「AI全盛時代」人間はどこをめざせば生き残れるのか「存在価値の意味」

ノート

道具とコミュニケーション

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今はAI全盛の時代です。

人間の価値も確実に変化しつつあります。

未来に向けて生きるために、人間はどこへ向かえばいいのでしょうか。

私たちは「道具が使える」とか「コミュニケーションができる」といった、人間らしさを次第に失いつつあるのかもしれません。

科学者の研究によれば、サルやイルカなどにも、人間とそれほどかわらない知能が潜んでいると言います。

人間とチンパンジーの遺伝子は96%も一致しているのだと主張している研究者もいます。

人間でいえば、4才程度の赤ん坊の知能を持っているとか。

AIの発達ぶりをみていると、空恐ろしくなってきますね。

過去の写真から動画を作り出したり、現在はもう存在しない人の映像までも作り出してしまいます。

SNSに投稿される写真や動画などをみていると、どれが本物でどれが偽物なのかという境界までもわからなくなっています。

人間とAIとの境がますます近づきつつあるのを強く感じるのです。

ちなみに、大腸がんなどの手術もAIが取り仕切る時代がやってきました。

画像診断なども、AIの方がより正確に行えるといいます。

今まで職人芸のようにして、病状を診断し、治療をしてきた医療の分野にも、あっという間にAIが進出しています。

ここまでくれば、もちろん軍事への移行は当然のことでしょう。

人間に変わって戦略を練り、最も効果的な勝利をおさめるために、あらゆる方法論を駆使します。

ミサイルもドローンもすべてAIが作り出す戦略の中に組み込まれていくのです。

今後、人間はどこへ進めばいいのでしょうか。

AIと人間の未来についてしばらく考えていたら、ある文章に出会いました。

政治社会学者、堀内進之介氏の評論です。

本文

「もっと人間性を大事にしよう」と、人間の価値を強調すればするほど、人間性を獲得しようとするAIの価値もまた高められ、人間とAIの区別がつけられなくなるということだ。

いっそAIが人間に反逆的な態度をとれば、人間との違いははっきりするかもしれないが、いずれにしても、境界線を引くのは人間ではなく、AIの方である。

だとすれば「人間ならではの価値」はますます見えにくくなり、「人間とは何か」という問いは、回答不能のまま放置されるしかない、ということになる。(中略)

冒頭でも述べたように、既に神は退場し、私たちは自らの似姿としてのAIが神にとって代わる未来に思いをはせるようになった。

しかしそんな私たちの思惑から離れて、AIは神の代役になることから退場してしまいそうである。

私たち人間の理解を超えるAIは、もはや私たちの似姿ではあり得ない。

そう考えると、私たち人間はとてもシニカルな存在だ。

一方では「人間なるもの」を維持しようと、神やAIの比較を通じて一所懸命に正当化することを試みながら、他方では、まさにその試みが「人間なるもの」という概念を破壊し続けているのだから。

こうした事情をふまえると、「人間とは何か」という哲学的な問いの答えは、やはり哲学的なものにならざるをえないようだ。

即ち、「人間とは、人間であることをやめたがっている存在だ」と。(中略)

これから「新しい技術」は私たちが思いもよらない「新しい人間」の姿を映し出していくかもしれない。

しかし、明らかにされる人間の「真実」がどのようなものであっても、世界に開かれていくことで、新たな可能性が見出されるはずだ。

フィルタリングバブルという閉じられたままの世界でいくら幸福を追求しても、そこからは何も生まれない。

開かれた世界で、時にはノイズや不都合な「真実」からも学びながら、私たちは未来への扉を開くのだ。

AI発展の意味

人間が「人間らしさ」を大事にしようとすればするほど、人間とAIの区別が曖昧になっていくのは必然です。

人間の価値を強調すればするほど、それを再現しようとするAIの価値が高くなるからです。

本来なら「人間がAIとの違いを決める」と思いがちですが、この文章では逆の可能性を指摘しています。

人間はいつも「人間らしさ」という最後の牙城だけは守ろうとしてきました。

人間の持つ特別な像を説明し続けてきたのです。

人間は常により賢くなりたい、より強くなりたい、機械やAIのように進化したいと願ってもきました。

「人間の限界」を常に超えたがってきたのです。

そのためにはどうすればいいのでしょうか。

現在のように自分の好きなものに囲まれるフィルターバブルの閉じた世界では何も生まれないという筆者の論点にも納得させられるものが多々あります。

いつも開かれた世界で学び続けることでしか、未来を切り拓くことはできないという大切な考え方です。

「AIが人間を超える未来」への不安には、いくつもの階層があります。

単に「AIが強くなる」という恐怖ではなく、人間の立場や意味が変わってしまうことへの不安です。

不安の根源には何があるのでしょうか。

最もよく言われるのが仕事や役割を奪われることです。

現在もAIがあらゆる人間の分野から仕事を奪いつつあります。

その領域の裾野は広がり続け、文章を書くこと、研究、医療診断、プログラム作成、芸術、創造などのあらゆる分野にわたっています。

人間は何のために働くのかという最も根本的な問題を短時間の間に超えつつあるのです。

この議論は極端までいくと、人間の社会的役割を消してしまう可能性さえあるのです。

もしAIが知能、記憶、判断、創造性などの分野で人間を超えた場合、「人間の特殊性」はどこにあると考えたらいいのでしょうか。

これは「人間の尊厳」に関わる重大な命題です。

人間を超えた判断

AIが極めて高度になると、人間が理解できない判断をすることもあり得ます。

人間が設計した目的から逸れる可能性もあります。

AIは非常に強い力なので、国家、大企業、軍事などを独占すると、そこに向けて権力が極端に集中する可能性が増えます。

人間は世界の中心ではなくなるかもしれないという感覚です。

もしAIが完全に人間を超えたとしたら、人間の価値はどうなるのでしょうか。

能力と関係なく、人間にはそれでも存在しているだけで価値があると言えるのでしょうか。

この問いは、今のAI時代の哲学の中心的命題の一つです。

最大の争点はまさにここにあります。

論点が再び、同じ場所へ舞い戻ってしまうのは仕方がありません。

議論は巡り巡って、回遊します。

輻輳化した現代にとって最も喫緊のテーマがこれなのです。

ある意味、不可避だと考えるのが普通でしょう。

それだけに、何度でも自らに問いかけなければならないというのが、筆者の論点でもあります。

あなたはどのように考えますか。

それでも人には生きていくだけの価値があるのかどうか。

究極の哲学はそれです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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