恩師
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はちょっと恩師の話をさせてください。
高校の時の話です。
野口武彦先生に出会えたのは、ぼくにとって僥倖と呼べるものでした。
こうしたことがまさに一期一会と言えるのではないでしょうか。
彼は当時大学院博士課程の学生で、講師としてぼくの在籍していた高校へ教えに来ていたのです。
野口先生はその後、神戸大学で教鞭をとり、2002年に退官しました。
ハーバード大学客員研究員、プリンストン大学客員教授も務めたのです。
江戸文学の第一人者です。
その著書に触れられた人もいることでしょう。
実に多くの本を上梓しています。
当時先生は小説も書き、その作品は主として河出書房の「文芸」という雑誌に掲載されていました。
『ピケットライン』、『洪水の後』など、いずれも学生運動がその中心テーマです。
時代は羽田闘争からやがて大学紛争へと進む入り口にさしかかっていました。
早大時代は全国学生自治会連絡会議(全自連)のリーダーでした。
野口先生はいつも少し甲高い声で、淡々と授業を進めました。
なぜあの頃もっと真剣に聞いておかなかったのかと今でも悔やまれます。
現代文を中心にした授業でした。
あの当時、ぼくはただぼんやりと時間の過ぎ去るのを待つ学生に過ぎませんでした。
全く忸怩たる思いに駆られます。
小説を読む
それでも先生の書く作品には興味があったのか、友人と2人で、すぐに本屋へ行きました。
『価値ある足』という処女作があることもその時知りました。
デモの中で足を悪くしてしまった女性を後に妻にするという実話に近い物語でした。
どの作品もテーマが重く、当時どれくらい理解できたのかはわかりません。
ただ先生がぼくの知らない世界に深く入り込み、苦しんでいるのだけはよく分かりました。
ところで昼休みになると、多くの生徒は校舎の裏手にある食堂へ行きました。
チャイムが鳴るのと同時に駆け込んだものです。
というのもすぐに長い行列ができるからです。
しかしほとんどの先生はその列に加わらず、特別な窓口で先にプレートにのせられた食器を受け取るのが常でした。
ところが野口先生はいつもじっと生徒と一緒に食券を持って並んでいました。
その姿が今でもはっきりと目の底に焼き付いています。
あの時、ぼくは友人と何度かそのことについて話し合いました。
なぜ彼は教師の特権を使わないのだろうか、と。
あたりまえのように前へ行って、生徒用の脇の窓口へ食券を出せば、素早くプレートにのせられた昼食を手にすることができたのです。
しかし彼はそれをしませんでした。
いつも短く刈った髪にスーツ姿で列に並んでいました。
今思うと、ぼくはそういう先生が好きだったのかもしれません。
そこに彼の信念が宿っているような気がしました。
小説の世界で読む彼の真摯な姿を重ねて見ていたのです。
これは後になってから知ったことですが、先生は当時の学生運動の中で中心的な活動家の1人でした。
いわばイデオローグという立場にいました。
当然反対の立場の人が書いたものを読むと、批判の対象そのものでもありました。
三島由紀夫の世界
高校を卒業する頃、ぼくは先生の著書『三島由紀夫の世界』を手にしました。
その時あまりにも意外な感じがしたのです。
というのもあれだけ技巧的生活を嫌う先生が、そして三島とは全く正反対の政治的立場に立つ彼が、こういうものを書くとは思ってもみなかったからです。
しかし彼はあとがきでその理由を書いています。
それは三島の持つ反動性こそが逆にある時魅力になりうるという美学の発見は、批評への意志を試す試金石であるというような文章でした。
先生はあくまでも三島を嫌っていました。
しかしつきつめる必要はあると認識していたのでしょう。
畏怖するわけでもなく、心服するわけでもない作家に対しての問題意識の持ち方は、ある意味で大変ユニークだといえます。
この後、むしろ先生にとってはより親しみのある『谷崎潤一郎論』を中央公論社より刊行し、この時は随分長くNHKの文学講座で解説をしていました。
また神戸大震災では本当につらい体験をしたということをいつだったか、新聞に書いていました。
人間にとって大切なものとは何かというのがその時のテーマでした。
随分と昔のことですが、ぼくにとっては忘れられない大切なことばかりです。
男の子が生まれた時、先生の名前から勝手に「彦」という字を一字もらいました。
彼は小説を書くのをやめてから、江戸のことを専門に書き始めました。
『江戸の歴史家』でサントリー学芸賞。
『「源氏物語」を江戸から読む』で芸術選奨文部大臣賞。
『江戸の兵学思想』で和辻哲郎文化賞。
『幕末気分』で読売文学賞をそれぞれ受賞しています。
近世の儒学
専攻は近世の儒学だそうです。
高校生の頃は少しも知りませんでした。
『洪水の後』という小説を書いた頃は、そのまま小説家になるのかと思いました。
授業中、何度か質問されたこともあります。
その時は何を答えたのか。
今となっては思い出せません。
特別に難しいことを訊かれた記憶はありません。
羽田闘争の話を少しだけされた記憶もあります。
人との出会いは不思議なものですね。
それが人生の方向を決めることもあります。
その後、自分が高校で国語を教えるなどとは、その時思ってもみませんでした。
三島由紀夫も谷崎潤一郎も大好きです。
実は今日も三島由紀夫の『愛の渇き』を読みました。
ここのところ、彼の表現力にただ舌を巻いています。
高校生の頃には想像もつかない破壊的な視力を持っていますね。
最近になってやっと気がつき始めたというところです。
谷崎の小説でいえば、『少将滋幹の母』などが好きです。
それも野口先生の本を読み、学んだことがきっかけです。
恩師などという言葉を軽々しく使うものてはありません。
しかし今ふとかんがえてみると、昼食をたべるために食堂に生徒と並んでいた先生の姿が目に浮かびます。
あれが全てではないでしょうか。
彼の文学を支えている矜持をみた瞬間でした。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。