【断捨離あるある】処分したケーブルや本はやっぱり宝物だった【くやしい】

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老後の暇つぶし

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

昨日、エッセイスト・小田嶋隆の『諦念後』を読みました。

2年前に亡くなった文筆家です。

テクニカルライターの草分けといってもいい人ですね。

最後の小説だという『東京四次元紀行』という、摩訶不思議な本も読んだことがあります。

文章力があって、ちょっと癖のある世界をのぞき込みにいこうというエネルギーに満ちた作家だったのです。

今回のエッセイはいよいよ老年に入ろうとしている筆者が、あれやこれやと手をだして、その結果どうなったのかという話です。

ずいぶんとさまざまなことに興味を持ったもんです。

要するに「老後の暇つぶし」大全とでも呼べばいいのかな。

チャレンジしたものも千差万別でした。

「ギター」「スポーツジム」「断捨離」「終活」「同窓会」「選挙」「盆栽」「大学講師」「SNS」「脳梗塞」「仕事」などなどです

脳梗塞はたまたま調子がわるくなったあと、調べたら、そういうことになっていて入院までしたというおまけがついています。

彼一流の少し毒の入った文章は、読んでいると、突然「そういうことはあるな」と感心させられてしまうことばかりです。

大学講師になってみたという話にいたっては、人間の自尊心をくすぐられる愉快なエッセイに仕上がっています。

安い講師料で誰も文句を言わないのは、大学という名前のついた名刺をつくって、喜んでいる老人の失われた魂なのかもしれません。

今回はそれらの話のなかで、いちばん気にいった「断捨離」について書きます。

ここにはちょっと涙ぐましい話が網羅されています。

もともと、文筆で口を糊している彼としては、やられたという印象が強いのだとか。

とにかく年を重ねるということは、それだけ過去をより多く持っているということです。

モノがあふれるのは仕方のないことなのです。

それを捨てろというのですから、これはつらいに決まっているワケです。

エアーポケット

このエッセイには最初に定義が書いてあります。

なんだか妙に崇高です。

「断捨離」に関していえば、次のようになります。

「いまここにある現在を直視して、そこから派生する未来に正しく対峙すること以上に重要な仕事はない」

なるほどそういわれてみると、そんな気がしないでもありませんね。

断行 不要なものの侵入を断つ
捨行 すでにある不要なものを捨てる
離行 モノへの執着から離れる

これがすなわち「断捨離」のテーゼそのものです。

要するにいらないものを捨てろというワケです。

これは文筆に携わる人の目からみると、実にいいところに目をつけたということになるんでしょう。

視点がうまいですよね。

この3つの行は誰にも反論できないように形作られてます。

ベストセラーになるような本には、それなりの仕掛けがあるのです。

読者の心の中にあるエアーポケットにすっと入り込み、そこに鎮座しちゃうのです。

1度巣くったら、もう2度と出ていきません。

さあ、あなたも断捨離をやるべしとなるのです。

しかしこれをやったことのある人はみんな後で後悔します。

モノへの執着なんて、そんな簡単に捨てられるものではないからです。

未練といわれればそれまでのことですが、意外なくらいに後までひきずるのです。

尾をひくというのはこういうことを言うんでしょうね。

考えてみれば、人間には溜め込むタイプの人が、多いのかもしれません。

過去にこだわる

少しだけ、彼の文を引用します。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

私や、私の周囲にいる同年輩の知り合いの多くは、果断な人々ではない。

昭和生まれの旧弊な人間であるわれわれは、ブツに執着し、過去に囚われ、記憶に拘泥し、決

断を嫌い、慣れ親しんだ環境が変化することを何よりも憎む優柔不断な人間たちだ。

この文章を読んでいてああ、その通りだと思う人は少なくないのでは、とつい考えてしまいます。

事実、彼は200冊以上の本を紙ごみだと断定し、例の古本屋さんへ持って行ったそうです。

ところがそのあと、自転車で転倒し、足を骨折までしたのだとか。

これを天罰といわずになんと呼ぶのかと小田嶋氏は呟いています。

彼はそのあと、偶然その古本屋を訪れたとき、自分の売った3000円の本が、わずか100円の値付けがされている事実にぶちあたります。

侮辱的な店員への憤りと、手放した自らの軽薄な判断に対する後悔との間で揺れ続けたのです。

これはある意味、自分の過去の時間を生き埋めにするようなものです。

大変、有名な断捨離の達人の女の人が、よく言ってますね。

どうしてもだめなときは3つの袋を用意しなさいと。

心ときめくものの袋
ときめかないものの袋
判断のつかないものの袋

ここでポイントになるのが「決断」です。

これが簡単にできるくらいなら、だれも悩みはしないのです。

第3の袋に直行するものの、なんと多いこと。

少しやるだけで、心が死にます。

結局、断捨離はやめちゃおうとなるのです。

断捨離あるある

断捨離をぼくも何度かやりました。

今までにパソコンを何台も買っていますので、いろいろと関係の部品が増えました。

これは嫌も応もありません。

まずケーブルの類いです。

使わない仕様のものがどんどん増える。

技術は日進月歩ですからね。

少し前まではないと動かなかったのに、今ではそれは何の世界です。

ハードディスクの外付けなんて、どうして買ったのかというくらいでかくて、重いのです。

結構高くて悩みました。

最初は箱に入れてました。

だんだん量が増えて段ボールになり、それでもあふれて、さらにケーブルがからまって解けない。

それでもためこんでいたら、とうとう奥様に切れられました。

即刻、全部捨てろというワケです。

必死に戦いましたよ。

しかし負けました。

同様に古本も売りました。

一畳サイズの大きな本箱を2つ分。

あちこちの本屋を歩いて買いためた苦心の名品ばかりです。

邪魔だから、捨ててよというつれないお言葉には、泣きましたね。

後から襲ってきたのは、あの時、なぜ人間が守るべき道徳に反して捨てたんだろうという悔恨のみです。

今でも、本箱の向こうに、その本のタイトルがうっすらと見えるような気がします。

心がときめくなんて暢気なことは言ってられません。

まるで生きた金魚を地面に埋めるのに似た行為です。

なんて残酷なことをしたんでしょうか。

これからは絶対に捨てないぞと自分に言い聞かせてはみたものの、そんなに話は簡単ではありません。

さて、あなたなら、どうしますか。

こんな話を書く予定ではなかったのに。

今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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