【完璧・十八史略】故事には歴史の重みと人の魂を鼓舞する知恵がある

完璧

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は誰もがよく使う「完璧」という故事について学びましょう

この話にでてくる和氏(かし)の壁(へき)とはなんのことか、ご存知でしょうか。

これは楚の人である卞和(べんか)が山中で見つけた、玉石から磨きだされた壁のことをさします。

壁とは円形で平たく、中央に穴のあいた装身具をさします。

俗に「たま」とも呼ばれているものです。

現在でもこの表現は、めったに手に入らない、とても価値があるもののたとえに使われています。

中国の春秋時代、楚の国の卞和(べんか)、和氏(かし)とも呼ばれる人物がある石を見つけました。

磨けばとても美しい宝石(璧)になると考えて、王に献上したのです。

しかし、専門家の鑑定では、それは宝石ではないとのことでした。

卞和は嘘をついたとされ、罰として左足の筋を抜かれてしまいました。

次の代の王に献じても結果は同じで、今度は右足の筋を抜かれてしまったのです。

その次の代の王の時、卞和が嘆いているところに、王が通りかかって、その理由を尋ねました。

宝石なのにそれが誰にも認められず、うそつき呼ばわりされるのが悲しい、というのがその返事でした。

王が試しにその石を磨かせてみたところ、美しい宝石の輝きになったということです。

この宝石は、後にいくつもの城と交換できるほど価値があるとされました。

そこから、城をいくつも並べるほどの価値ある「壁」ということで、「連城の璧」と呼ばれるようになったということです。

その背景がわかっていないと、この文章の意味が理解できないません。

それほどの価値あるものと交換することの重みを十分に認識してから、本文を読んでみてください。

本文

趙の恵文王、嘗(かつ)て楚の和氏(かし)の璧(へき)を得たり。

秦の昭王、十五城を以つて之に易(か)へんことを請ふ。

与へざらんと欲すれば、秦の強きを畏(おそ)れ、与へんと欲すれば、欺(あざむ)かるるを恐る。

藺相如(りんしゃうじょ) 曰はく、

「願はくは、璧を奉じて往(い)かん。 城入らずんば、則ち臣請ふ璧を完(まっと)うして帰らん。」と。

既に至る。

秦王城を償(つぐな)ふに意無し。

相如乃(すなわ)ち紿(あざむ)きて璧を取り、怒髪(どはつ)冠を指す。

柱下に卻立(きゃくりつ)して曰はく、

「臣が頭(こうべ)は璧と倶(とも)に砕けん」と。

従者をして璧を懐(いだ)きて間行して先づ帰らしめ、身は命を秦に待つ。

秦の昭王、賢として之を帰らしむ。

現代語訳

趙の恵文王が、楚の宝であった「和氏の壁」を手に入れました。

秦の昭王は、和氏の璧を手にしたいと思い、15の城と和氏の璧を交換してくれと申し出てきました。

恵文王は、秦にこの宝を譲らないと言えば秦が怒って攻めてくるだろうと恐れ、交換に応じればだまされるだろうと考えていました。

すると藺相如が、和氏の璧をもって秦に行きましょうと言ったのです。

藺相如は「城が手に入らなければ、和氏の璧を完全な状態で持ち帰ります」と言って、秦に向かいました。

秦の王には、城を与える意志はありませんでした。

秦の王に一度は献上した和氏の璧を、藺相如はうまくだまして取り返し、髪の毛が逆立って冠から出るほど怒りを表にして、交渉していた部屋の柱の下に立って言いました。

「城をいただけないのであれば、私の頭と一緒に、和氏の璧を粉々にします」と

捕らえられた藺相如は、密かに従者の懐に和氏の璧を忍ばせて先に返し、自分は秦の王の判断が下るのを待ちました。

秦の照王は、賢い者だと言って、藺相如を趙の国に帰らせたということです。

先見性の勝利

趙の王は悩みました。

交換に応じれば必ずだまされるだろうと不安でした。

すると食客の1人であった藺相如(りんしょうじょ)が、和氏の璧をもって秦に行ってきましょうと言ってくれたのです。

当時は食客(しょっきゃく)という名の、客分待遇の人が多数いました。

元々は中国の戦国時代に広まった風習なのです。

君主たちが才能のある人物を客として扱う代わりに、彼らは主人を助けました。

場合によっては、命を差し出すこともあったと言われています。

この話に出てくる藺相如はまさにそうした食客の1人でした。

彼はこの話の先行きを見抜いていました。

秦は強く趙は弱いので、この申し出を受けざるを得ないと考えたのです。

当然、恵文王は秦に璧を奪われ、15の城は渡されない可能性が高いという結論に達しました。

藺相如にはひとつの腹案がありました。

その筋道にそっていけば、必ずうまくいくという自信もあり、自分がその任にあたると王に約束したのです。

彼は秦の都、咸陽へ入り、和氏の壁を王に献上しました。

ところが受け取った昭王には、案の定、交換すると約束した城の話などする気がありません。

藺相如は、すぐに和氏の壁には小さな傷があるといって近寄り、璧を奪い取ると、そのまま柱の側へ駆け寄ったのです。

ここまで趙が譲歩しているのに、秦の昭王の態度が余りにも非礼ではないかといって壁を割るぞと大声で叫びました。

王はあわてて地図を持ってこさせたものの、秦には城を渡す気がもともとないと見抜いていました

そこで藺相如は宝物を受ける際の儀式として、昭王に5日間、身を清めるよう要求したのです。

その間に、従者に璧を持たせ密かに趙へ帰らせる一方、自らは残って時間を稼ぎました。

身を清め終えた王は、和氏の璧はどうなったのかと訊ねました。

昭王が城を渡すつもりはないと見たので、欺かれることを恐れ既に趙へ持ち帰らせましたと、藺相如は堂々と答えたのです。

無礼の償いとして、私には死罪を賜りたいと告げました。

秦の照王は、さすがに殺すことはできませんでした。

これこそが賢者だと言って、藺相如の命を奪うこともせず、趙の国に帰らせたということです

結局、藺相如は趙王の命令を守り、秦との外交関係が決定的な決裂を迎えるのを防ぎました。

初めから秦の要求を突っぱねていたら、戦争になっていたかもしれません。

彼の先見性が、趙の窮地を救ったともいえるのです。

「鶏鳴狗盗」という故事の話などを読むと、斉の孟嘗君には3千人の食客がいたといわれています。

鶏の鳴き声がうまいものとか、盗みの名手とか、さまざまな能力を持った食客が登場します。

普段は何もしていない彼らが、突然あらわれて主役になるところも、中国の歴史のスケールを感じさせますね。

ここでの藺相如の活躍も、そうした武勇伝の1つなのです。

ぜひ味わって読んでみてください。

普通「完璧」というと、「壁」の字と間違えることがよくあります。

仔細にみてみると、完璧の「璧」は下が「玉」です。

「土」ではありません。

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まさにこの話からできあがった文字なのです。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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