【後に会はんと・大和物語】伊勢物語の最終章を髣髴とさせる人との別れ

ついにゆく道

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は『大和物語』の文章をみていきましょう。

歌物語としては『伊勢物語』の方が先に出来上がりました。

在原業平という主人公をイメージして全編が構成されています

しかし『大和物語』は特定の人が主人公という構成にはなっていません。

多くの人の歌とエピソードが集約された形式になっているのです。

両者を比べて読んでみると、その違いがよくわかるのではないでしょうか。

一般的には『伊勢物語』の方が華やかな印象に満ちています。

初段は「初冠」(うひかうぶり)から始まります。

難しい表現ですが、いわゆる元服の儀式ですね。

子どもから大人になる大切な式なのです。

人生の通過儀礼といってもいいでしょう。

貴族の場合は髪を結い、初めて冠をかぶります。

そこから出た表現が「初冠(うひかうぶり)」なのです。

やがて主人公が年齢を重ね、多くの女性たちと恋愛を繰り広げます。

『源氏物語』の原型とも言われているのです。

最終段をお読みになったことがありますか。

劇的に短く、大切にされてきた章段です。

中に出てくる歌も忘れられないですね。

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昔、男、わづらひて、心地死ぬべくおぼえけけば

つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを

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『伊勢物語』と『大和物語』はともに歌物語として、兄弟のような関係にあります。

おそらく今回扱う段は、在原業平の有名な和歌を元に再構成した「つひにゆく道」と対になっているように思えます。

書き手がこの段に刺激され、後になって綴ったに違いありません。

ともに亡くなっていく人が最後に詠んだ歌をメインにしています。

味わいのある章段です。

『大和物語』原文

おなじ少将、病にいといたうわづらひて、少しおこたりて内に参りたりけり。

近江の守公忠の君、掃部の助にて蔵人なりける頃なりけり。

その掃部の助に、会ひて言ひけるやう、

「乱り心地は、まだおこたり果てねど、いとむつかしう心もとなく侍ればなむ、参りつる。

後は知らねど、かくまで侍ること。まかり出でて、明後日ばかり参り来む。よきに奏したまへ」

など言ひ置きてまかでぬ。

三日ばかりありて、少将のもとより、文をなむおこせたりけるを見れば、

悔しくぞのちに会はむと契りける今日を限りと言はましものを

とのみ書きたり。

いとあさましくて、涙をこぼして使ひに問ふ。

「いかがものしたまふ」と問へば、使ひも「いと弱くなりたまひにたり」と言ひて泣くを聞くに、さらにえ聞こえず。

「みづから、ただ今参りて」と言ひて、里に車取りに遣りて待つほど、いと心もとなし。

近衛の御門に出で立ちて、待ちつけて、乗りて馳せ行く。

五条にぞ、少将の家あるに、行き着きて見れば、いといみじう騒ぎののしりて、門鎖しつ。

死ぬるなりけり。

消息言ひ入るれど、何のかひなし。

いみじう悲しくて、泣く泣く帰りにけり。

かくてありけることを、上の件奏しければ、帝も限りなくあはれがりたまひける。

現代語訳

藤原季縄(すえなわ)の少将が、病に伏せって、少し快方に向かったとき、宮中にやってきました。

それは、近江の守である源公忠(きんただ)が、まだ掃部(かもん)という役職の次官であり、蔵人でもあった頃のことでした。

その源公忠に会って、藤原季縄が、

「まだ気分が直りきっていませんが、ふさぎ込んでしまうのと、仕事が心配なのでこうして参上いたしました。

これからのことはともかく、ともかくまずは出勤してみたのです。

今日はこれで退出して、あさって頃には正式に出勤しましょう。そのように、よく天皇にお伝えくださいませ」

と言い、宮中から退出していきました。

その3日ほど後に、彼のもとから手紙が届けられました。

それを見ると、

くやしくぞのちにあはむと契りける今日をかぎりと言はましものを
          
無念なことに後に逢おうと約束してしまいました。今日で最後だと言うべきだったのに、とだけ書かれていたのです。

驚いて、涙ながらに使いの者に、「どのようなご様子か」と聞くと、使いは「たいへん弱っておしまいでこざいます」と言って、泣き出してしまい、それ以上は何も聞き出せません。

「こちらからすぐにお訪ねします」といって、自宅から車を取り寄せました。

待っている間も落ち着きません。

近衛府の門まで出て待って、急いで車に乗って走らせました。

五条にある少将の家に着いてみたところ、ひどく騒がしい様子ですが、門は閉ざされたままです。

やはり少将がお亡くなりになったのでした。

お尋ねしても、誰も取り合ってさえくれないのです。

ひどく悲しくなって、涙ながらに帰宅するしかありませんでした。

この様子を、一通りお伝えすると、帝もたいそう哀れな気持ちになり、打ちひしがれてしまわれたそうです。

近代の小説

『大和物語』は作者も成立年代もわかっていません。

10世紀前半の歌人にまつわる物語を集めた前半と、伝承的な歌にまつわる物語を集めた後半とに分けられています。

華やかな『伊勢物語』に比べると、全体に少し地味な印象を持ちます。

しかしそれがいいという人も多いのです。

伊勢物語に所収されている歌に比べると、精彩を放つという印象はありません。

しかしそれだけに心のこもった柔らかなものが多いと感じます。

この章段に出てくる歌も、それほどの技巧を凝らしてはいません。

むしろその瞬時の気持ちを歌に託したという方が強いのではないでしょうか。

普通なら、死の床へ赴き、そこで涙を流すなどといった場面があってもおかしくありません。

しかしこの話の主人公はそれもかなわず、悲しい気持ちを引きずったまま、家に戻ってきています。

むしろ暗いシーンを省いて、現実の「死」を強調する書き方などは、一種の小説の書き方を髣髴とさせます。

死者との関係などはどのようであったのかとか、なぜ会わせてもらえなかったのかといった人間関係の複雑さなどにも、つい意識が働いてしまいます。

『伊勢物語』とは細かい描写の仕方などもかなり違います。

じっくりと読み比べることで、それぞれの作品の持つ味わいを感じてみてはいかがでしょうか。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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