【故事成語】意味深い教訓を含んだ昔話は心に刺さる【由緒あり】

学び

故事成語

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は漢文の話をします。

高校で学ぶ漢文の内容はさまざまです。

しかし費やす時間はそれほど多くありません。

カリキュラムが複雑に組まれていますのでね。

入試に出題する大学が減っているのも一因でしょう。

最初、書き下し文にするための訓読の決まりを学びます。

その後句読点、送り仮名、返り点、助字、返読文字などを勉強するのです。

それらの理解が一通り進んだ段階で最も基本的な故事に入ります。

「虎の威を借る」「推敲」「逆鱗に嬰る」「朝三暮四」「五十歩百歩」「完璧」などです

幾つかは聞いたことがあるかと思います。

その間に漢詩や論語なども学びます。

この段階ではごく基礎的なものです。

孔子や孟子の思想については、代表的なものを読みます。

『論語」「孟子」などのような四書五経もあります。

ここまですべて終われば、1年生のカリキュラムが完了ということになるのです。

今回は故事成語を勉強しましょう。

タイトルは誰でも知っていると思います。

最初に「朝三暮四」をやります。

猿が騙される話です。

しかしよくよく考えてみると、現在の我々の姿そのものにも見えてきます。

全国旅行支援などといって喜んでいる財源は、後から増税になって戻ってくるという図式です。

最初に書き下し文を示します。

声に出して読んでみてください。

朝三暮四

宋に狙公(そこう)なる者有り。

狙を愛し之を養ひて群を成す。

能(よ)く狙の意を解し、狙も亦た公の心を得たり。

其の家口を損して、狙の欲を充たせり。

俄(にわ)かにして匱(とぼ)し。

将(まさ)に其の食を限らんとし、衆狙の己に馴(な)れざらんことを恐る。

先ず之を誑(あざむ)きて曰く、若(なんぢ)に芧(しょ)を与ふるに、朝に三にして暮に四にせん、足るかと。

衆狙皆起ちて怒る。

俄かにして曰く、若に芧を与ふるに、朝に四にして暮に三にせん、足るかと。

衆狙皆伏して喜べり。

現代語訳

宋に狙公という者がおりました。

猿を愛して大切に養ったので、数もした次第に増え、群れをなしました。

狙公はよく猿の心がわかり、猿もまた狙公の気持ちがわかったのです。

自分の家族の食事を減らしても、猿たちの食欲を満足させようとしました。

ところが突然、生活が苦しくなり、日々の暮らしにも困るようになったのです。

そこで猿の食事を減らそうとしましたが、彼らが自分になつかなくなることを最も恐れました。

狙公は考えた末、猿たちをだまそうとしてこう言いました。

「お前たちにトチの実を与えるのに、朝は三つ、夕方に四つにしよう。足りるか。」

猿たちはみんな立ち上がって怒りました。

そこで彼は急に言葉を変えてこう言いました。

「ではお前たちにトチの実を与えるのに、朝は四つ、夕方に三つにしよう。これで足りるか。」

猿たちはみんなひれ伏して喜んだということです。

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意味が分かりますね。

結論からいえば、どちらも同じです。

しかし先に甘い密をたくさんもらえれば、後は少なくなってもいいという原理です。

というより、後のことなど考えられないのです。

目の前のニンジンが誰よりもたくさん欲しい。

悲しい生き物の性です。

しかし猿をバカにすることはできません。

まさにこれが現代のトリックだからです。

クレジットカードなどもまさにそれです。

ものを買うのにお金を払わなくていい。

そう言われると、人間は愚かです。

つい欲しいものを買ってしまう。

払う時になって苦しい思いをするのです。

これを毎月定額のリボルビング払いなどにしたら、もっと苦しくなるのは目に見えています

それでもつい使ってしまう悲しさですかね。

ついでにもう1つご紹介します。

こちらは所収していない教科書も多いです。

せっかくですから覚えておいてください。

舟に刻みて剣を求む

この話は古いものにしがみつき、時代の変化を理解しない者への皮肉と捉えられています

舟にたとえられているのは時代です。

古代の政治を理想とし、手本とする儒家を批判した側面もあるといわれているのです。

書き下し文を載せましょう。

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楚人(そひと)に江(こう)を渉(わた)る者有り。

其の剣、舟中(しょうちゅう)より水に墜(お)つ。

遽(にはか)に其の舟に刻きざみて曰く、是れ吾が剣の従よりて墜ちし所なり、と。

舟止まる。

其の契みし所の者従t(よ)り、水に入りて之を求む。

舟は已(すで)に行けり。

而(しか)るに剣は行かず。

剣を求むること此(か)くの若(ごと)し。

亦(また)惑いならずや。

現代語訳

楚の国の人で長江を渡る人がいました。

彼の剣が舟から水中に落ちたのです。

その人は急いで船に目印の傷をつけて、「ここが私の剣が落ちたところだ」と言いました。

船頭は慌てて船をとめました。

そして男は舟に目印を刻んだところから水の中に入り、剣を探そうとしたのです。

しかし船はもう動いてしまっています。

剣は元の場所に沈んだままです。

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剣を探すのにこんなことをするなんて、なんと道理のわからぬことではないでしょうか。

この故事に似た落語に「巌流島」という噺があります。

興味のある方は、ちょっと調べてみると楽しいですよ。

もちろん、時代はつねに動いています。

その中で古いものを探し続けることも大切でしょう。

しかしいつまでも昔のことにばかりこだわっていると、何もみえなくなってしまうという弊害もあるのです。

このあたりの兼ね合いは誠に難しいですね。

今回は故事を2つ、紹介しました。

今日、漢文は1つの教養という要素が大変強いです。

語彙を増やすという作業の助けにもなります。

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これからも続けてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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