【林京子・空き缶】原爆の持つ怖しさを日常の中で深く静かに綴った小説

教科書

授業でこの作品を扱ったのは、今から10年ほど前です。

教科書に所収されているのは知っていました。

しかしなかなか取り上げる機会を失ったままだったのです。

作品そのものの内容が大変に重いということもあります。

分量もかなりのものです。

1年間の間に、いくつもの小説を扱わなければいけない身としては、その立ち位置に迷ったというのも正直なところです。

しかしいつかは正対しなければいけない作品だとは思っていました。

原爆を扱った小説としては井伏鱒二の『黒い雨』などがよく知られています。

教科書に載っているのでしょうか。

見かけた記憶はありません。

林京子の『空き缶』に入るのには、かなりの覚悟を必要としました。

結局、2年の現代文で扱うことにしたのです。

ストーリーは原爆を正面から扱って、これほどに悲惨なのだと訴えるようなプロパガンダ小説とは一線を画しています。

むしろ日常を淡々と描いてあるからこそ、逆に底深い怖ろしさを感じさせる内容になっているのです。

教科書で読まなければ、一生読むチャンスはないだろうと思いました。

その意味で、数週間かけて学んだことの意味はあったかもしれません。

どういう視点から教えたらいいのか。

1人の国語科教師としてかなり迷いました。

広島への修学旅行も最近はしていません。

もっぱら沖縄がメインなのです。

その意味で、原爆の悲惨さを直接伝えるというのとも、少し違うスタンスでした。

現在ならば、まさにロシアのウクライナ侵攻にからめて扱うことができるかもしれません。

窮地に追い込まれたプーチン政権が、本当に核を使う日が来るのか。

あるいはウクライナの核施設を攻撃する可能性も論じられています。

その意味で、この作品の重みが増しているとも言えます。

あらすじ

主人公の私を含めた女性5人は、来年廃校になる名門、長崎高等女学校の校舎を見るために集まります。

30年ぶりの校舎です。

知人の消息に花が咲きます。

5人のうち4人は被爆者でした。 

その中で、西田は1人疎外感を感じています。

彼女は私と同様に入学試験を受けた生え抜きの長崎高女の生徒ではなく、転校生だったのです。

私は3月に転入したので被爆しましたが、西田は10月に転入したので被爆はしていません。

このあたりにそれぞれの背景の微妙な差があり、懐旧の濃淡もあります。

大木は中学校の教師をしています。

彼女は、離島転勤の問題を抱えています。

一見健康に見えますが、いつ原爆症が再発するかわからないのです。

不測の事態の時には、市内の原爆病院に入院したいというのが彼女の願いです。

離島にいくのは不安なのです。

野田は専業主婦で、生活を夫に頼っています。

話が進んでいくうち、当日来なかった、きぬ子の話がでます。

彼女は小学校の教師をしています。

きぬ子は爆風で飛び散ったガラス片が背中にまだ残っていたとわかり、摘出手術のため入院中だったのです。

ある教室で、きぬ子の空き缶の話が突然思い出話として出ます。

ここからがクライマックスなのです。

きぬ子の空き缶

きぬ子はいつも学校に空き缶を持ってきました。

口を新聞紙で縛ったまま、大切そうに扱っています。

ある日、書道の先生が空き缶に気づきました。

空き缶を机の中にしまえと彼女を咎めたのです。

その時、きぬ子は膝の上に空き缶を置いて泣き出しました。

「とうさんと、かあさんの骨です」

その時、教師はどうしたのか。

彼は少女の手から空き缶を取ると教壇の上に移します。

その空き缶に向かって長い黙祷をしたあと、明日から家に置いて両親には君の帰りを待っててもらうほうがいいと少女を諭します。

このシーンを読むと、心が静まりますね。

抜き書きをしてみましょう。

読んでみてください。

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『「ほら覚えとる?」と大木が聞いた。

きぬ子の空罐?と重ねて聞く。

空缶を、どうかしなったと、野田が聞いた。

「ほら、空缶におとうさんとおかあさんの骨ば入れて、毎日持って来とんなったでしたい」と大木が言った。

ああ、と私は叫んだ。

あの少女が、きぬ子だったのか。

それならばきぬ子と私は、クラスメートになる。

両親の骨を手さげカバンに入れて、登校してきた少女を、私は覚えている。

少女は、赤く、炎でただれた蓋のない空缶に、骨を入れていた。

骨がこぼれ落ちないように、口に新聞紙をかけて、赤い糸で結えてあった。

少女は席に着くと、手さげカバンの中から、教科書を出す。

それから両手で抱き上げるように、空缶を取り出す。

そして、それを机の右端に置く。授業が終わると、手さげカバンの底に、両手でしまい、帰っていく。

初め、私たちは空缶の中身が何であるか、誰も知らなかった。

少女も話そうとしない。

被爆後、私たちは明らさまに話さないことが多くなっていたので、気にかかりながら、誰も尋ねなかった。

少女の、空缶を取り扱う指先が、いかにも愛しそうに見えて、いっそう聞くのをはばかった。

書道の時間だった。

復員して帰ってきた若い書道の教師が、ある日、机の上の空缶に気がついた。

半紙と硯と教科書で、机の上は一杯になっている。

「その缶は何んだ、机の中にしまえ」と教壇から教師が言った。

少女はうつむいて、空缶をモンペのひざに抱いた。

そして、泣き出した。

教師が理由を聞いた。

「とうさんと、かあさんの骨です」と少女が答えた。

書道の教師は、少女の手から、空缶を取った。

それを教壇の中央に置いた。

ご両親の冥福をお祈りして、黙祷を捧げよう、と教師は目を閉じた。

ながい沈黙の後で、教師は、空缶を少女の机に返して、「明日からは、家に置いてきなさい。ご両親は、君の帰りを待っててくださるよ、その方がいい」と言った。

あの時の少女がきぬ子だったのだ。

きぬ子は明日入院するという。

きぬ子の背中から、30年前のガラス片は、何個でてくるだろう。

光の中に取り出された白い脂肪のぬめった珠は、どんな光を放つのだろうか。

背中にささったガラス片

背中にガラス片が入っていたのに気づかなかったという描写にも1つのストーリーがあります。

子どもたちにマット運動をみせている時、彼女の背中がマットに落ちたとき、突然激痛が走ったのです。

被爆した時、体内に入ったガラスのせいなのでした。

原爆病院で診てもらったとき、医者は指先であちこちを押して、ガラスじゃないかと診断します。

案の定切開してみると、ガラスが出てきました。

本格的な手術をするため、入院していて、この日の集まりに来られなかったのです。

大木というクラスメートも全く同じ経験をしていました。

4、5年前に大木の背中からも1個、ガラスが出たという話が挿入されています。

切開をして出してもらうと、真綿のような脂肪の固まりが出てきました。

4、5ミリメートルの小さいガラス片は、脂肪の核になって、まるく、真珠のように包み込まれていたという話が紹介されています。

これが小説の伏線になって、ストーリーが展開されていきます。

重い小説です。

しかしそれを日常の中でさりげなく切り取る手腕は、並々のものではありません。

機会があったら、ぜひ全文を読んでみてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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