【小論文・若者の法則】身近な人へのやさしさが第三者に向かわないワケ

学び

若者の法則

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は若者論をとりあげましょう。

テキストは心理学者、香山リカの著書です。

岩波新書から1部を抜き出して考えてみます。

主題は若者の想像力についてです。

主旨は大変わかりやすく書かれています。

今の若者は自分と自分の延長上の人で対人関係が完結しているというのです。

それ以外は全て外の風景といってもいいのでしょう。

電車の中で無作法な態度を示す若者には、それ以外の乗客は見えないに違いないのです。

そこには世間というものがありません。

それでいて自分の仲間には大変に気を遣うというのです。

もちろん、その反対の考え方もないワケではありません。

ボランティアなどに積極的に関わる若者もいます。

転倒した老人を助ける青年をみかけたこともあります。

どちらが、本当の若者の姿なのか。

そこに焦点をあててみましょうというのが、基本的なスタンスです。

と同時に大人たちの責任にも言及しています。

これからの世界で生きていく若者になってもらうために、大人たちが率先してしなければならないことはなにか。

それを考えることもここでの論点です。

「若者論」と単純にはいえません。

日本人論の問題とも絡んでくるケースが多いのです。

文章を少しだけ紹介します。

課題文

「どんな男の人が好き」と若い女性に聞くと、やさしい人という答えが返ってくることが多い。

「じゃ、どんな人がやさしいと思う」と細かく聞いていくとそのやさしさとはどうも「自分に対して気をつかってくれる、甘やかしてくれる」という意味であることがわかってくる。(中略)

おそらく若者たちは、ごく身近な人間に対してはほとんど自分とイコールと考え、「自分がやさしくしてもらえたのと同じくらい、相手にもやさしくしなければ」と思うのだろう。

そして、その「やさしさ」とは身近な人間以外への理解、共感あるいは同情には、あまり結びつかない性質のものだと思う。

というより、ごく身近にいる人間以外の人の気持ちや事情など、彼らにとっては想像外のものなので、やさしくしようにもどうしていいのかわからないのかもしれない。

自分とその自分の延長のような身近な人とで対人関係が完結していて、自分とは違う第三者がいないと同じ。

これは今の若者に広く見られる行動や考えのパターンだ。

だからもしあまりよく知らない若者が自分に対して冷たい態度をとっても、すぐに「この人はやさしくない」と決めつけないほうがいい。

MorganK / Pixabay

それでも帰らの元を去らずに少し付き合いを続ければ、今度はうって変わってやさしい態度を示してくれるようになるかもしれない。

もちろん、だからといって、「やっぱり本当は優しいのだ」と思い込まない方がいいとは思うが。

そうやって自分がその若者にとって「身近な人」となった時に、彼らが示してくれるやさしさを、どうやってより広い社会や他人にも向けさせるか。

そのあたりが、大人達がしなければならないことなのだろう。

多くの大人は、若者が思わぬやさしさを見せてくれると、そこですっかり安心してしまってそれ以上、考えるのやめてしまうようだ。

しかし、本当は若者がやさしさを示してくれてからが、大人の腕の見せ所なのだ。

体験と見聞

自分とその自分の延長のような身近な人とで対人関係が完結していて、自分とは違う第三者がいないと同じ。

これは今の若者に広く見られる行動や考えのパターンだ。

傍線部の部分の指摘について、あなたはどう考えますか。

自分の体験や見聞を含めて600字以内で述べなさいというのがこの課題文に対する問いです。

あなたならどのように書きますか。

大切なのは問題の設定をきちんと守ることです。

特にここでは「体験」「見聞」がキーワードです。

この点について触れていない場合は30~50%程度、内容の得点が減らされます。

しかしだからといって制限字数は600字しかありません。

自分の体験をダラダラと書いたのでは、まとまった文にはならないでしょう。

最初にYesで書くのか、Noで書くのかを決めることです。

筆者は若者の想像力が第三者には及んでいないと指摘しています。

しかしNoでまとめるのなら、自分はそうは思わないとしっかり書くことです。

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現在参加しているボランティアグループの中では、いきいきと行動をしている若者が多い。

近くの川の清掃作業などを大人たちと一緒にしていると、多くの人が挨拶をしてくれる。

その時の嬉しさは自分の生き方の財産になっている。

cherylholt / Pixabay

必ずしも筆者がいう自分勝手な若者ばかりではないのだ。

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こういう視点は生きてきますね。

しかし同時に家にこもってスマホでSNSをやり続けている友人もいるという風に、別のところへ目を向ける書き方もあります。

この場合は、若者の関心が社会や公的なものに向かず、政治に対する意識も低いままなのは、よく理解できると筆者に対する共感をしめせばいいのです。

こういう風にYesの部分をある程度、周囲に取材してまとめることも可能です。

自然災害などで立ち上がる若者の姿を強調して、Noの立場だけでまとめきれれば、それも1つの方向です。

この場合はあまりに筆者にべったりとつきすぎず、それでいて問題もやはりあるという姿勢もとれます。

この場合は筆者の論に対して中間の立場でしょうか。

他者に対する想像力

他者に対する関心が十分にあるのかないのか。

この問題はかなりこの視点が難しいです。

特に日本人論とからめる必要はないと思いますが、大人にも同じ傾向があると指摘することも可能です。

つまり日本人そのものが内側に閉塞しがちな傾向をもっているということです。

ウクライナからの移住者に対しても、かなりの報道がなされています。

あたたかい視線が多くの人から寄せられているというのは、日本の新しい模索でしょう。

それと同時にアジア圏から来ている実習生、研修生に対するいじめや暴力などのニュースも同時に流れてきています。

示談になったケースもあるようですが、きびしい労働環境におかれて、日本人のかわりに3K職場で働かされているという実態もあります。

こういうケースを考えてみると、他者に対する想像力が十分になされないまま、捨て置かれているという状況があちこちにあるようです。

それでも自分と違う他者に対して、やさしさを発揮していくことは大切なことに違いありません。

同じ国内だけでなく、外国にまで目をむけることができれば、それも1つの方向になり得ます。

コミュニティが崩壊し、核家族化が進むなかで、やさしさを他者に発揮することはかなり難しくなっています。

大人たちが率先して他者への想像力をみせていく、ということも大切でしょう。

小論文はつねに制限字数との戦いでもあります。

今回はいくつものキーワードを示しながら、どの視点で書けばいいのかについて考えました。

単純にYesNoで進められれば、それでもかまいません。

ただし、必ず論旨に一貫性が必要です。

そこがブレてしまうと、600字しかないだけに、総くずれになります。

あまり多くのことを1度に書かないこと。

コンパクトにまとめる練習をしてください。

この場合は自分の体験、見聞が必須です。

文章が長くならないように書き込むのは、大変に難しいです。

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3つくらいのパターンを分けて練習してみてください。

実戦に必ず役立ちます。

今回も最後までおつきあいいただきありがとうございました。

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