【奥の細道・平泉】芭蕉の視線の彼方には杜甫の漢詩・春望が見えた

平泉・金色堂

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は『奥の細道』の中でも最も有名な平泉の段を取り上げます。

声に出して読んでみて下さい。

名文ですね。

本当に心地がよくなります。

リズムがここまで整っていると、もう何も言うことがありません。

この「平泉」の段は芭蕉が平泉を訪れた時のことを中心に展開されています。

平泉は岩手県の南部にある土地です。

1度は訪ねてほしい場所です。

岩手は民話の故郷と呼ばれています。

宮沢賢治記念館や遠野の探索とからめて、平泉の中尊寺を訪れることをお勧めします。

この地方は、平安時代に奥州藤原氏という一族が治めました。

藤原清衡、基衡、秀衡の親子3代のときが最盛期です。

しかし栄華は長くは続きませんでした。

藤原秀衡が、源頼朝から逃げてきた源義経をかくまったことを発端に滅ぼされてしまったのです。

このあたりの話は勧進帳などの歌舞伎でもよく取り上げられます。

義経が奥州へ逃げたのは有名な話です。

この段では奥州藤原氏の没落と歴史の風景が重なって、哀愁が感じられます。

どのような栄華も長く続くことはありません。

まさに盛者必滅を旨とする無常の世界をそのままに描きこんでいます。

史実を目の前で回想しながら物語が展開されています。

それだけに、なおいっそう風情が感じられてなりません。

原文

三代の栄耀(えいよう)一睡のうちにして、 大門の跡は一里こなたにあり。

秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。

まづ高館(たかだち)にのぼれば、北上川南部より流るる大河なり。

衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落ち入る。

泰衡らが旧跡は、衣が関を隔てて南部口をさし固め、夷(えぞ)を防ぐと見えたり。

さても、義臣すぐつてこの城にこもり、功名一時のくさむらとなる。

国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠うち敷きて、時の移るまで涙を落とし侍りぬ。

夏草や兵どもが夢の跡

卯の花に兼房見ゆる白毛かな 曾良

かねて耳驚かしたる二堂開帳す。

経堂は三将の像を残し、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。

七宝(しっぽう)散りうせて、珠の扉風に破れ、金の柱霜雪に朽ちて、既に頽廃空虚のくさむらとなるべきを、四面新たに囲みて、甍(いらか)を覆ひて風雨をしのぐ。

しばらく千歳の記念とはなれり。

五月雨の降り残してや光堂

現代語訳

三代にわたって栄えた藤原氏の栄華も一睡の夢のようにして消え、藤原氏の館の大門の跡は一里ほどこちらにありました。

秀衡の館の跡は田や野原になっていて、金鶏山だけが昔の形を残しています。

高館に登ると、眼下に見える北上川は南部から流れてくる大河です。

衣川は城を取り囲んで流れ、高館の下で大河に流れ込みます。

秀衡の息子の泰衡たちの旧跡は、衣が関を間において、南部地方からの入り口を厳重に警備し、夷の侵入を防いだものと思われます。

それにしても、義経は忠義の家臣を選りすぐってこの城に立てこもりました。

しかし功名は一時のことで今は草むらとなっています。

都が破壊されても山や川は昔のままかわらずにあり、城の中にも春がきて草や木が深々と生い茂っているのです。

杜甫が詠んだ句を胸に笠を敷いて腰を下し、時が移るまで涙を流しました。

以前から評判を聞いていた二堂が開かれていました。

経堂には3人(藤原清衡、基衡、秀衡)の像が残されていて、光堂にはその棺も納められています。

光堂の七宝はなくなり、珠宝で飾られた扉は風雨でいたみ、金の柱は霜や雪によって朽ち果て、もう少しで崩れ果てて何もない草むらとなるはずでした。

それを後世の人たちが四方を新しく囲んで、屋根瓦を覆って雨風を防ぐようにしました。

新しい壁と屋根が朽ちるまでしばらくの間昔を思う記念となっているのです。

杜甫・春望

名文ですね。

難しい漢字がいくつか出てきますが、読みをつけておいたので、是非声に出して読んでみてください。

この段の背景には杜甫の詩があります。

ある意味では本歌取りの要素もあるのです。

それだけに読者は必ずこの漢詩をイメージします。

両方の内容が重なって、さらに情感が増していくのです。

簡単に『春望』を紹介しましょう。

中学や高校で必ず習う漢詩です。

日本でも最も有名なものの1つですね。

国 破 山 河 在
城 春 草 木 深
感 時 花 濺 涙
恨 別 鳥 驚 心

烽 火 連 三 月
家 書 抵 万 金
白 頭 掻 更 短
渾 欲 不 勝 簪

五言絶句です。

国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす

烽火三月に連なり
家書万金に抵(あ)たる
白頭掻けば更に短く
渾(す)べて簪(しん)に勝(た)へざらんと欲す

現代語訳

戦争によって首都が破壊されても山や川は昔のままかわらずにあり、
荒廃した城内にも春がきて草や木が深々と生い茂っています。
この戦乱の時代を思うと美しい花をみても涙が落ち、
家族との別れを悲しんでは心がはずむ鳥の鳴き声を聞いても心が痛むのです。

戦火は三ヶ月も続いており、
家族からの手紙は万金と同じぐらい貴重です。
白髪頭を掻くとますます短くなって、
冠をとめるためのかんざしも挿せなさそうです。

人間は飽くことなく戦争をして人々が死に、城も朽ち果てていきます。

それでも山や川は昔のままに残り、鳥は春を告げてくれます。

まさに松尾芭蕉が見た平泉の風景はこの詩の世界でした。

2つの世界が完全に重なって見えたのでしょうね。

五月雨だけがこの光堂(金色堂)を降り残してくれたのだろうか。

雨が降らずにいてくれたはずはありません。

しかしここには自然への崇敬も見て取れます。

この段に出てくる俳句は本当に素晴らしいですね。

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同行者、曾良の俳句を含めて、この3つの句は是非記憶の隅にとどめておいてください。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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