【小論文・SNS依存社会】手紙が消滅した後に訪れるデジタルの闇

学び

SNSのメリットとデメリット

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

ソーシャルネットワーキングサービスが全盛ですね。

SNSのことです。

人と人との繋がりをサポートするサービスの在り方が今ほど問題になっている時はありません。

スタンプという絵やイラストなどを添付するライン。

140字以内の文字を投稿するツイッター。

実名で公開することが原則のフェイスブック。

その他、インスタグラムなど種々雑多です。

日常生活の中でなかなか会えない人とテレビ電話をしたり、時間を気にせずに自分の考えていることを呟くことも可能になりました。

便利な世の中になったものです。

気にいった風景や写真を気軽に載せ、親しい友人に近況を報告もできます。

あらゆるコミュニケーションが可能なのです。

少し前には考えられないサービスといっていいでしょう。

しかしこれらのシステムには当然デメリットもあります。

よく言われるのがSNS疲れです。

複数の人から次々と情報が流れてくるので疲れてしまうのです。

さらに厄介なのがネットの匿名性です。

必要以上に過激な言葉がやりとりされ、それが元で訴訟になることすらあります。

個人情報が自分の知らない間に流れ出てしまうという怖れもあります。

政治的な発言が物議を醸したり、タレントや個人のプライバシーが公にされるなどのトラブルも目立ちます。

いじめなどとの関連もよく話題になります。

深刻な少年犯罪などには必ずSNSがからんでいるのも事実です。

全く別の人格の他人になりすまして、知らない人と連絡を取り合い、最後に殺人事件にまで発展するケースが近年、多発しています。

アメリカのトランプ前大統領などは、政権の方向性をほとんどツイッターで発信していました。

その威力は絶大なものだったのです。

コミュニケーションのありかたが今こそ問われる時代が来たのです。

モラルの在り方を再検討しなくてはいけません。

誰も書かなくなった

あなたはここ数年で手紙をしたためたことがありますか。

年賀状は別にして、自分で文字を綴り、きちんと郵便などの形で投函した記憶があるでしょうか。

ぼくの場合、手紙を書いたという記憶が全くありません。

いろいろと文章は書いていますが、全て電子メールだけです。

文字を書いて郵便で出すということが極めて少なくなりました。

本当に年賀状だけです。

というより、手紙を綴る意志がなくなってしまったという方が正しいのかもしれません。

かつてこの国では文字を書くことが1つの文化でした。

紙、筆、墨など、全ての選択が知性や感性の対象でした。

SEVENHEADS / Pixabay

その文化が衰えつつあるのは、誰の目にも明らかでしょう。

確かにきちんとした手紙をまめに書いている人はいます。

しかしその数は激減しているのではないでしょうか。

それだけにどのような紙に、どの筆記具で書くのかにこだわっている人もいるのです。

大手の文房具店でも凝った便箋がよく売れるという話を聞きました。

それにしてもです。

やはりトータルの数は少なくなりました。

手紙というもの

鎌倉時代初期の評論『無名草子』から手紙に関する文章を抜き出してみます。

作者は藤原俊成女(越部禅尼)とされています。

「文」というタイトルのこの文は特に有名です。

日本の文化の流れが実によく見えるいい文章です。

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この世に、いかでかかることありけむと、めでたくおぼゆることは、文こそ侍れな。

枕草子に返す返す申して侍るめれば、こと新しく申すに及ばねど、なほいとめでたきものなり。

遥かなる世界にかき離れて、幾年あひ見ぬ人なれど、文というものだに見つれば、ただ今さし向かひたる心地して、なかなか、うち向かひては思ふほども続けやらぬ心の色も表し、言はまほしきことをもこまごまと書き尽くしたるを見る心地は、めづらしく、うれしく、あひ向かひたるに劣りてやはある。

つれづれなる折、昔の人の文出でたるは、ただその折の心地して、いみじううれしくこそおぼゆれ。

まして亡き人などの書きたるやうなるものなど見るは、いみじくあはれに、年月の多く積もりたるも、ただ今筆うち濡らして書きたるやうなるこそ、返す返すめでたけれ。

何事も、たださし向かひたるほどの情ばかりにてこそはべるに、これは、ただ昔ながら、つゆ変はることなきも、いとめでたきことなり。

現代語訳

この世に、どうしてこんなことがあるのだろうと、すばらしく思われるのは、手紙です。

『枕草子』でも繰り返し繰り返し申しているようですので、いまさら新たに申すには及びませんが、やはりとてもすばらしいものです。

とても遠くの場所に離れており、何年も会わない人であっても、手紙というものさえ見てしまうと、たった今向かい合っているような気持ちがしてきます。

むしろ、向き合っては思うほども言い表せない心の機微も手紙では表し、言いたいことを細かく書き尽くしているのを見る気持ちは、すばらしく、うれしくて、互いに向かいあっているのに比べて劣っているでしょうか。

することもなく手持ちぶさたな時、昔の人の手紙を見つけると、ただもう、その時その人と会った時の気持ちがして、とてもうれしく思います。

まして亡くなった人などの書いたようなものなどを見るのは、とても感慨深く、年月が多くたっているのに、たった今筆を濡らして書いたようなのは、つくづく、すばらしいのです。  

どんな事も、ただ向かい合っている間の気持ちだけでありますが、手紙はまったく昔のままで、少しも変わることがないのも、たいそう素晴らしいことです。

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亡くなった人の手紙をふと読んだ時の気持ちはまさにここに書かれている通りですね。

その人の筆跡に人間性が宿っているのです。

今後ますますデジタル化が進んいくに違いありません。

そうした環境の中で、手紙は生き永らえることができるのでしょうか。

ペン習字などを習っている人は、文章を書くことが楽しいと言います。

自分の好きな紙の上に文字を1つ1つ刻み込んでいく。

その中に素直な感情を入れる。

その作業の連続が大きな喜びをもたらすのです。

メールやSNS全盛の時代に手紙を書くことの意味は何でしょうか。

すぐに返事がくるというワケではありません。

ひょっとすると来ないこともあるでしょう。

しかしその間にあれこれと考え、返信を待つ時間も豊かな心を培うのです。

ビジネスの世界では瞬時に返事が戻ってこなければ、商機を逸します。

しかし人間の生きていくスピードは、デジタルの時代とはいえ、それほど早くはないのです。

むしろ手紙が消えた後に残る心の空白や寂しさの方がずっと重いものです。

亡くなった人の手紙を読むというのは、実に豊かな時間です。

小林秀雄の評論『ゴッホの手紙』を読んでみてください。

そこには間違いなくゴッホが生きています。

生き馬の目を抜くような時代の中で、SNSをいったん脇におくことの意味も考えてみなくてはなりません。

本当に難しい時代になりました。

逆行することはないでしょう。

それだけに真剣に考えなくてはなりません。

SNSのメリット、デメリットとあわせて小論文のテーマとなります。

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この機会に考えをまとめておいてください。

今回も最後までおつきあいいただきありがとうございました。

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