【小論文・コロナ後】日本文化はいわゆる集団主義から抜け出したのか

学び

日本人は集団主義的なのか

みなさん、こんにちは。

小論文添削歴20年の元高校国語科教師、すい喬です。

今回はコロナ後の日本人について考えます。

日本人は昔から「日本人論」が大好きです。

極東の島国であるという地理的な特徴もあり、自分たちは特殊な民族であるという認識を長く持っていました。

多くの人たちが好んで日本人論を書き、それを喜んで受け入れてきたのです。

その中で1番最初に大きな影響を与えたのは戦後間もない時期に出版された、アメリカの人類学者ルース・ベネディクトの著書『菊と刀』です。

この本は今でも伝説的な意味合いをもっています。

キーワードは恥です

日本人が人一倍恥を嫌うという論点は今や誰もが知っています。

それと同時に「日本人は集団主義的だ」という主張もなされました。

この説には多くの人々が納得しました。

特に戦争中の日本軍の異様なまでの行動には衝撃を受けたからです。

この本が出版され、多くの人に読まれるようになって後、日本文化の集団主義はほぼ定番化したのです。

元々稲作農民であったという事実も集団主義と相性がよくすんなりと受け入れられました。

kareni / Pixabay

日本人は山ばかりの険しい風土の中で暮らしてきました。

島国であったことも大きな意味を持ちます。

集団を大切にして生きていく以外に方法がなかったともいえます。

個人を尊重しすぎると、何も生産できず、また危険性も大きかったのです。

必然的に自我意識が弱くなってしまったということも考えられます。

しかし近年の研究では、本当に日本文化が集団主義的なのかを根本から疑おうという方向に傾きつつあります。

というより、ほぼ日本文化の集団主義説には懐疑的になっています。

人間の集団に共通したもの

仮に日本文化が集団主義的だったとしましょう。

その際、どのようなことが言えるのでしょうか。

このテーマを考えるだけでも、小論文をまとめる時のためのヒントになりますね。

この問題を今回のコロナ禍とあわせて論じなさいという問題があっても不思議ではありません。

最初に頭に浮かぶのは今回突然登場した自粛警察の存在です。

みんなが苦しんでいる時に楽をしている人、ルールを守らない人を排除するという動きです。

誰に頼まれたのでもありません。

SNSなどを中心にして、あっという間に広がりました。

あの店舗はまだ営業を続けているなどという書き込みです。

ひどいケースでは店の入り口に貼り紙をしていくなどということもありました。

さらに他県からやってきた自動車のナンバープレートに、すぐに帰れというような紙まで貼られたのです。

geralt / Pixabay

キーワードは正義です。

専門家はこの行為を「誰かを処罰することで自粛による不安や不満を解消しようとしている」と指摘しています。

差別につながりかねない危険性を持っています。

あふれるほどのストレスが「自粛」という名の正義に向かって突進したのです。

これらはある意味で、軍国主義になじもうとしない国民に対する非国民的な扱いとも似ています。

そうした行動が2020年の今、同じように起こったということにショックを覚えた人もいたのではないでしょうか。

日本人は江戸時代に制度化された5人組のシステムからいまだに抜け出せていないのかもしれません。

いつまでも営業をやめようとしないパチンコ店の名前を公表するという動きもありました。

しかしよく考えてみてください。

このように正義を振りかざすというスタイルは、日本だけに限った話ではないのです。

経済がグローバル化していけば、どの国にも似た反応が出ます。

アメリカが中国からの輸入品に対してヒステリックなまでに高い関税を課すなどいった例もあります。

あるいはヨーロッパにおける移民の問題もあります。

自国の人々の仕事を移民が奪っているという考え方から、厳しい政策をとる国もあらわれました。

ネオナチズムの活動も軽視できません。

こうしてみると、集団主義は単純に日本だけの問題とも言えなくなります。

外からの脅威に対抗するために、価値観を1つにして集団主義的に行動しようとする傾向は、1つの国に限った話ではないのです。

人間の集団が非常時にごく自然にとる動きと考えた方がいいでしょう。

ステレオタイプの理解は怖い

「日本人は集団主義的だ」という主張にのっとり他者を理解するという行為はどういう意味を持つのでしょうか。

人間には時に自分に都合のいい事実だけを集めて、それ以外を見ないという傾向があります。

これが最も簡便な方法です。

だから「日本人は~だ」というように単純に結論づけるのです。

日本人が戦時中に見せた集団主義的な行動を思い起こす時、このような対応の仕方によってすべてを理解してしまった側面がないとは言えません。

例外の部分はすべて捨ててしまうという方法が最も手っ取り早いからです。

今回のコロナ禍のケースをみてみましょう。

mohamed_hassan / Pixabay

さきほど自粛警察のことを書きました。

それでは国民全てがみんな自粛警察化したのかという問いです。

SNSに誰もが投稿を繰り返したのか。

かつての関東大震災の時のような人種的偏見が再現したのか。

論点をまとめる時、自分に都合のいい情報だけを集めて、テーマを完成させてはいけません。

小論文を書く時の基本です。

多くの日本人は政府の自粛規制に黙って従いました。

多くの店舗も収入が途絶えるのを知りながら店を閉めたのです。

それを日本文化の集団化という言葉で単純にまとめることはできないでしょう。

国家単位で強制力を持たずに自粛を可能にさせた背景には、逆にいえば、日本人の持っている個人が自立して、ものを考える力を持つようになった姿勢のあらわれともみえます。

近年では組織に対する帰属意識を持ちながらも、個人を前面に出して、権利を主張するという側面も持ちつつあったのです。

それでも今回は自宅勤務などの変則的な働き方を受け入れました。

日本的な考え方の行方

もう1度確認しましょう。

小論文を自分に都合のいい結論にしてはいけません。

これが最も大切なことです。

日本文化の持っている集団主義が変わりつつあるとすれば、それはどうしてなのかということを私たちは考えなくてはなりません。

もちろん近代の西洋的な教育が人権に基づく平等の精神を養ってきたからです。

しかしそれだけでは解決はしません。

日本は今や不平等な社会に向かいつつあります。

いわゆる格差社会です。

今回のコロナ禍でも正社員と非正規、アルバイトなどの休業補償には大きな開きがありました。

この差があらゆるところに押し寄せています。

集団主義を強く押し出そうとしても、簡単にはいきません。

学歴の差が階層差とパラレルになっています。

どのような家に生まれつくかによって、その後の人生設計が大きく変化していきます。

それを個人主義という枠で囲もうとすると、やはり無理が出てきます。

全て個人の責任ということでは、何も解消しないのです。

今回のコロナウィルス蔓延は、日本人が長い間直視してこなかったことに対して、あらためて考え直せという指示を与えたと思います。

このまま日本人のいわゆる集団主義化を進めればいいのか。

あるいは個人に特化して問題を解決していくのか。

いずれにしても難問です。

人間の生物学的な共通性はほとんど人種によらないことが、近年明らかになってきました。

危機における行動のパターンにほぼ変わりはないのです。

日本文化だけが集団主義的であるわけではありません。

とするなら、論じあうための土壌はいくらでもあると思われます。

現在アメリカと中国が繰り広げている自国を守るための神経戦も貿易摩擦というキーワードをはさめば、容易に理解できます。

とはいえ、世界のグローバル化は止めようがありません。

中華思想、イスラム思想、欧米文化、あるいは日本文化。

それぞれの特徴をステレオタイプ化することは危険です。

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コロナと人類という枠組みで考えなければ解決しないテーマだということを私たちは知ったはずなのです。

もう少しこのテーマを深く考えてみてください。

厄介で複雑な問題ですが、小論文を書く時の役に立つと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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