【人情噺】落語・阿武松は大食い男が横綱になるというスポ根物語 

ノート

相撲3題

みなさん、こんにちは。

アマチュア落語家、すい喬です。

今回もぼくの好きな噺について書かせてください。

今までにいろいろなところで、おしゃべりをさせていただきました。

本当にありがたいことだと思っています。

その中でもちょっと毛色の変わった噺といえば、やっぱり相撲噺でしょうか。

一番有名なのは講談「谷風の人情相撲」かな。

これは落語では「佐野山」という題でやります。

佐野山というのは谷風がわざと負けてあげた相撲取りの四股名です。

親孝行の佐野山が苦境に陥っているのを耳にした谷風が情けをかけるのです。

いい噺ですよ。

もうひとつは大関花筏と瓜二つの提灯屋さんが、身代わりになって相撲をとるという噺。

タイトルは「花筏」。

これも面白い噺です。

どちらも寄席によくかかりますね。

佐野山は柳家権太楼のが好きです。

講談の方では神田松之丞でしょうか。

ここ数年、何度も聞きました。

彼は真打昇進も待ってますからね。

いま、講談界一番の人気者です。

「花筏」はいろんな人がやりますけど、春風亭昇太のがとぼけていて面白いですね。

やっぱり落語は面白いというのが基本ではないでしょうか。

理屈じゃありません。

昔の相撲興行の様子もよくわかります。

今と違ってテレビもありませんから、誰も実物を見たことはないワケです。

だからこそ、病気になった大関のそっくりさんでもなんとかなったんでしょう。

先に地方巡業のための予約金をもらってしまったら、行かないという理屈は通らなかったに違いありません。

他にも相撲を題材にした落語はあります。

三遊亭兼好がよくやる「大安売り」などもバカバカしくていいですね。

しかし、この噺は繰り返しが多く、人によって好みが分かれるかもしれません。

その他にはないのとなれば、やっぱり「阿武松」でしょう。

人情噺の要素が強く、少し地味な落語です。

タイトルが読めますか?

「おうのまつ」と読みます。

これを見た瞬間に読める人はかなりの相撲通ですね。

現在も阿武松部屋があります。

なぜか、ぼくはこの噺が好きなのです。

圧巻は三遊亭圓生のものです。

ぼくはこの人の型で覚えました。

内容からいって身体の大きな人の方が絵になりやすいので、今では三遊亭歌奴がよくやってます。

彼は声がよく通り、声量もあるので、とても安心して聞いてられます。

そこへいくと圓生はあの細さです。

芸の力以外は考えられません。

大食漢

能登国鳳至郡鵜川村七海(ふげしごおりうがわむらしつみ)から相撲取りを目指し江戸へ出てきた長吉が主人公です。

京橋の観世新道に住む武隈文右衛門の弟子になり小車(おぐるま)という名前をもらいます。

よく稽古をするのですが、ものすごい大食漢。

いくら食べても、お腹がいっぱいになったことがありません。

武隈親方は小車を呼び、一分の金を渡して、故郷へ帰れと暇を出します。

小車は板橋から志村、戸田の渡しまでやって来ます。

しかし大食いのせいで相撲取りをやめさせられたというのでは、故郷へ帰れるはずもありません。

いっそ川に身を投げようと思いましたが、どうせ死ぬならもらった一分で好きな飯を腹一杯食べてからにしようと決心。

板橋平尾宿の橘屋善兵衛という旅籠へ泊まります。

一分のお金で食べられるだけ食べさせて欲しいと告げるのです。

今生最後のご飯です。

その量のものすごいこと。

2升入りのお櫃を3度交換して、4つ目に入るというところ。

泣いている小車に善兵衛はやさしく話しかけます。

小車はことの顛末一切を語るのです。

善兵衛も大の相撲好き。

自分の懇意にしている親方へ世話をする気になりました。

大食漢の小車のために、月に五斗俵を2俵づつ食い扶持に送るというのです。

小車は死なずにすむことになりました。

翌朝、善兵衛は小車を連れて根津七軒町の錣山(しころやま)喜平次という関取の部屋へ行きます。

親方との出会い

小車を弟子にしてやってくれと頼むと、錣山は喜んで前相撲の時の小緑という自分の四股名までつけてくれました。

文化12年の12月、麹町十丁目、報恩寺の相撲の番付に初めて名前が載ります。

序の口すそから14枚目に小緑常吉。

翌13年2月、芝西久保八幡の番付には序二段、すそから24枚目に躍進します。

文政5年、蔵前八幡の大相撲で入幕をはたし、小緑改め小柳長吉と四股名を変えます。

初日、二日、三日と連勝。

4日目の取組みの中に、武隈対小柳という一番がありました。

元の親方との対決です。

昔は親方も現役の相撲取りだったのです。

これを見て喜んだのが師匠の錣山です。

錣山「明日はお前の旧師匠、武隈関との割りが出た。しっかり働け」

小柳「へい、明日の相撲にすべりましては、板橋の旦那さんに合わせる顔がござりません。おのれまんまの仇、武隈文右衛門」

立ち会いから、電車道で一気の寄り。

この時、武隈との立ち合いがたまたま長州公の目にとまりました。

その後、阿武松緑之助と改名し横綱に出世したという力士の噺です。

出世噺の心地よさ

いかがでしょうか。

一席話終えると、いい気持ちですよ。

自分が阿武松でもいいし、宿屋の主人でもいい。

さらに言えば、錣山でもいいのです。

ここいらが、この噺の不思議さでしょうか。

今年もお正月の落語会でやりました。

特別なオチはありません。

出世力士のおめでたい噺ですといえば、お客様から拍手をいただけます。

国技などと難しいことを言わなくても、相撲好きな方は多いのです。

特に落語が好きなのはシニア世代です。

だからなのか、やっぱりサクセスストーリーは聞いていて気持ちがいいようです。

特に大メシ食いで破門され、一度は死のうと思いつめた男が、人情のある宿の主と出会い、さらにいい親方にかわいがられて、最後は横綱になるのです。

スポーツ根性物語です。

聞いていても気持ちがいいですよね。

可哀想なのは仇役にされた最初の師匠、武隈文右衛門です。

本当はそんなにひどい人じゃなかったと思いますけどね。

落語だから勘弁してあげましょう。

この噺の難しさは途中に横綱の名前が出てくるところです。

噺家によって少しずつ型は違います。

いずれにしてもなかなか覚えられません。

生徒の名前を覚えるのよりつらいです。

最初の2人が野州の人、次の2人が奥州の産、五代目が滋賀県大津の人です。

そして六代目が能登鳳至郡鵜川村七海生まれの阿武松緑之助というわけです。

これがスラスラ言えないと、この噺は調子が狂います。

必ず本番前にはお稽古をしておかなければなりません。

横綱の碑というのが深川の富岡八幡宮の境内にあります。

一度訪ねてみてはいかがでしようか。

明石志賀之助  綾川五郎次  丸山権太左衛門 谷風梶之助  小野川喜三郎 阿武松緑之助

という順番に生まれ故郷がどこかを説明しながら、きちんとやらなくちゃいけません。

落語を覚えるのは大変です。

頭の体操をしてるようなもんですかね。

でもなかなかやめられない。

この噺はぼくにとって大切なものの1つです。

いつでもやれるようにしておかなくちゃと思っています。

実際、相撲部屋とか国技館の力士控え室とか、参考になりそうなところはあちこち訪ねました。

あの鬢付け油の匂いがなんともいえません。

不思議な江戸の空間に迷い込んだようです。

やっぱり力士のいる風景は落語にピッタリですよね。

是非、圓生師匠のを聞いてみてください。

滲み出てくる味わいがあります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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