最初に定義付けを
みなさん、こんにちは。
小論文指導歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は小論文を書く時、1番最初にイメージする全体の構図の話をします。
テーマが出題されました。
あるいは課題文が提出されています。
ここからです。
いよいよ始まりました。
どこから書きますか。
何をどうしたらいいのか。
誰でも悩みますよね。
書き出しは顔です。
ここで採点者の注意を惹きつけましょう。
どうすればいいのか。
たとえば「個性とは何か」という問題が出たと仮定します。
その際、課題文の中にその定義があったら、それをうまく料理しましょう。
もちろん、そのままではダメですよ。
自分の言葉で書き換えるのです。
この時に必要なのが国語力です。
これは一朝一夕にできるものではありません。
時間がかかります。
それでもやれば必ずできるようになります。
課題文の中にそもそも個性とは何かということが書いてあったら、それをうまく利用してください。
必ず自分の言葉にすること。
これが定義の意味です。
「~と考える」という形でまず大前提を示すのです。
個性について出題された課題文の中になにも書いてない場合、これはちょっと難しいです。
考えたこのない人にとっては難問中の難問です。
ここで書けないと、これ以降はつらいですね。
しかしなんとかやり抜かなければなりません。
現象を明確に捉える
その個性が現在どうなっているのか。
これが現象です。
どのようなことが個性に対しておこっていると考えますか。
ここにその受験生の資質が垣間見えます。
現実をどのように認識しているのかを示す重要なところです。
1つの例文をあげてみましょう。
個性、あるいは多様性という言葉を大人達は頻繁に使うが、それはあくまでも大人にとって使い勝手のいいおとなしい個性なのではないか。
いわゆるいい子の持っている個性、多様性というレベルでしかない。
大人の規範を少しでも乗り越えようとすると、そこにはガラスの天井がはりめぐらされているのである。
これも1つの現象を示した文です。
あるいは次のような例文もあります。
今日、様々な場面で個性重視がいわれ、それが効果的な結果をもたらしている。
学校でも職場でも自由に自分の意見を述べ、それが活用される場面が増えてきた。
学校などでも無理に登校を促すことはなくなり、インターネットの活用などの場面も増えている。
ここで自分が日常的に1つの問題をどのように把握しているのかを示すことができます。
この生徒はこういう認識を持っているのだなということを採点官にアピールするいいチャンスなのです。
結果をどう表現するか
ではその個性が重視されているか、軽視されているかによって日本の社会はどのように変化していくのか。
場合によっては世界の変化をまとめなくてはなりません。
課題が地球温暖化などという環境問題の場合は、全地球的な規模での結果を示さなくてはならないのです。
ここでは個性についてもう少しみていきましょう。
個性を重視している社会だという認識を持っている受験生と、そうではなくむしろソフトに圧殺されている社会だと認識している場合とでは全く結果に違いが出てきます。
ここは最初の認識と整合性をきちんととらないと、論理が矛盾する大切なところです。
自分がどの立場で書いてきたのかということを明確にしておくこと。
曖昧に進めていくと、こういうところで完全に論理が破綻してしまいます。
それだけに前段階で何が起こっているのかという現象をきちんと論じておかなければいけません。
ここでの把握の仕方が甘いと、結果の論点が不明確になります。
日本という国はどちらかというと、集団的であることを求めてきた歴史があります。
元々、農業を中心とした産業構造は、どうしても互いに協力し合って生きていかなければなりませんでした。
それにはあまり突出した個人が必要ではなかったのです。
個性的であれと言い出したのは、本当にここ数十年のことなのです。
それだけに日本文化や教育のあり方などとリンクして書こうとすれば、いくらでも話題は広がります。
ある程度の歴史認識があれば、書ける内容です。
特に教育の分野では個性か社会性かという議論が多くなされてきました。
学校のクラス編成ひとつをとってみてもそれはよくわかります。
突出した個性を嫌う側面が如実にあらわれています。
制服、ジャージ、給食、連帯責任論などなど。
能力別編成をとると親から苦情がくるケースもあります。
しかし一方で積極的に能力別にクラスを分け、座席まで成績順に座らせる学校もないワケではありません。
こうした見聞があれば、それを文章の中に織り込み、より現実味のある説得力に満ちた小論文にすることができるでしょう。
成り注の文章はダメ
ここまで書き切れれば、あとはもう少しです。
今後、どうしたらいいのかということを論じればいいのです。
自分の立場から最もふさわしい方法を示してください。
俗に「成り注」という言葉があります。
これは「成り行きが注目される」という文章を短くしたものです。
どうにもならなくなると、これを結論にする人がいます。
絶対に避けてください。
何でも「成り注」にすれば、それなりの文章にはなります。
しかし中身が何もありません。
どんなことがあっても自分で最後の方法論を考えること。
そんなに簡単にみつかるワケはありません。
だからこそ、頭を絞って考えるのです。
この部分がしっかりしていると、評価は高くなります。
よく問題の意味を理解していると解釈されるのです。
最後の力を振り絞ってまとめてください。
個性についても同様です。
個性を重視するといいながら、実態はそうではないという認識の場合、日本人の考え方の根本をゆるがすテーマを提出する必要があるかもしれません。
ゆとり教育に代表される個性重視型と時代に即した形での学力低下を招かない教育のあり方を模索する立場の違いを示すのも、1つの方法でしょう。
個性を重視して、さらに欧米型に近づけるのか。
集団主義のいい面を伸ばして、独自に日本型とするのか。
学力の低下を招かない最も効果的な方法論を真剣に考え、結論にしてください。
もちろん、それが全てであるというワケではありません。
どこまで考えたのかを採点者はみたいのです。
考え抜いて書き込むこと。
これが合格に至る最終的な方法論だと言えます。
最後までお読みいただきありがとうございました。