「法華八講の見物・枕草子」貴族社会の華やかさが清少納言の美意識を刺激した

関白藤原道隆

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は久しぶりに『枕草子』を取り上げます。

この随筆はいつ読んでも興味がつきませんね。

清少納言という人の特質がさまざまな分野にわたって繰り広げられているからです。

彼女の美意識はある意味でかなり偏っているのかもしれません。

しかそれが読者にとっては、とても心地よいのです。

彼女は小さなものや、美しい色や形に魅せられました。

めざとくそれらをエッセイの中に書き込んでいます。

しかし華やかな貴族社会に出仕して、さらにその視線はさまざまなものに触れたことでしょう。

華やかな宮中での日常が、彼女の審美眼をより高めたことは間違いありません。

しかし同時に人の世の深い悲哀も味わいました。

清少納言が仕えてからわずか2年後の長徳元(995)年に、関白道隆が急死してしまったのです。

それ以降、政治の世界は一変します。

関白の座は、道隆の弟である道兼が継いだたものの、彼も数日後に病死をしてしまいます。

「七日関白」という表現はここから生まれました。

となると、次の関白は道隆の弟、道長か、道隆の息子、伊周(これちか)ということになります。

周囲の目はこの二人に注がれました。

しかし伊周は、弟の隆家とともに「長徳の変」と呼ばれる不祥事をしでかしてしまいます。

兄弟そろって花山法皇に対して弓を射かけたのです。

以前は道長の陰謀説もありましたが、現在では女性問題に対する伊周の誤認だったことがはっきりしています。

事件の外貌が露見したことで兄弟が罰せられて失脚しました。

中関白家は突然没落したのです。

その一部始終を清少納言はごく近くで見ていました。

結局、伊周は太宰府へ、隆家は出雲へと左遷させられることとなりました。

伊周と隆家の兄弟が不祥事を起こしたことで、清少納言が仕えていた中宮定子は出家するという悲運の運命をたどります。

今回、取り上げたのはその数年前、道隆絶頂期の様子を描いた頃の様子です。

本文

小白河といふ所は、小一条の大将殿の御家ぞかし。

そこにて上達部、結縁(けちえん)の八講し給ふ。

世の中の人、いみじうめでたきことにて、「おそからむ車などは立つべきやうもなし」といへば、露とともにおきて、げにぞひまなかりける轅(ながえ)のうへにまたさしかさねて、みつばかりまではすこし物も聞こゆべし。
 
六月十余日にて、暑きこと世に知らぬほどなり。

池の蓮を見やるのみぞいと涼しき心地する。

左右の大臣達をおき奉りては、おはせぬ上達部なし。

二藍(ふたあい)の指貫(さしぬき)、直衣、浅葱の帷子どもぞすかし給へる。

少し大人び給へるは、青鈍(あおにび)の指貫、白き袴もいと涼しげなり。

殿上人、若君達、狩装束、直衣などもいとをかしうてえゐもさだまらず、ここかしこにたちさまよひたるもいとをかし。

すこし日たくるほどに、三位の中将とは関白殿をぞきこえし、唐の薄物の二藍の御直衣、二藍の織物の指貫、濃蘇芳(こすほう)の下の御袴に、張りたる白き単衣のいみじう鮮やかなるを着給ひて、歩み入り給へる、

さばかりかろび涼しげなる御中に、暑かはしげなるべけれど、いといみじうめでたしとぞ見え給ふ。

朴、塗骨(ぬりぼね)など、骨は変はれど、ただ赤き紙を、おしなべてうち使ひ持ち給へるは、撫子(なでしこ)のいみじう咲きたるにぞいとよく似たる。
 
まだ講師も上らぬほど、懸盤(かけばん)して、何にかあらむ、もの参るなるべし。

義懐(よしちか)の中納言の御様、つねよりもまさりておはするぞ限りなきや。

現代語訳

小白河という所は、小一条の大将殿(藤原済時)のお屋敷です。

そこで、身分の高い貴族たちが仏との縁を結ぶための法華八講をお開きになりました。

人々が、「遅く着いたのでは、とても牛車を止める場所もないだろう」と言いますので、私は露の降りる頃に起き出して、早くに出かけたのです。

そのおかげで車が重なるほど混雑していましたが、それでも少し余裕がありました。

六月十日過ぎのことで、暑さはこの世のものとも思えないほどでした。

それでも池の蓮を眺めるときだけは、とても涼しい気持ちがしたものです。

左右の大臣をはじめとして、みえていない公卿方は一人もいないほどでした。

二藍色の指貫に直衣、浅葱色の帷子を透かして着ている人々は、とても涼しそうで美しかったです。

少し年配の人は、青鈍色の指貫に白い袴姿で、これもまた実に涼しげでした。

殿上人や若君たちが、狩装束や直衣姿で、あちらこちらを歩き回っている様子も、とても趣きがあって、目をどこに向けてよいかわからないほどでした。

少し日が高くなったころ、三位中将さまがお見えになりました。

唐の薄物で作られた二藍色の直衣に、二藍色の織物の指貫、濃い蘇芳色の袴、その下には糊のきいた真っ白な単衣を鮮やかにお召しになって歩いて入って来られたのです。

そのお姿は、軽やかで涼しげな装いに見えました。

この暑さでは苦しく見えても不思議ではないのに、実にすばらしく立派だったのです。

扇は朴の木のものや漆塗りの骨のものなど、骨組みはさまざまでしたが、どれも赤い紙を一様に張って持っていらっしゃいます。

その様子は、満開に咲いた撫子の花によく似ていて、とても美しかったです。

まだ講師の方が着座なさらないうちに、懸盤が並べられ、何か食べ物が配られるようでした。

義懐中納言のお姿は、いつもにもまして立派で、それはこれ以上ないほど見事でした。

法華八講

法華八講とは、『法華経』を8回に分けて講義し、仏を信仰して功徳を積むための大きな仏教行事のことです。

平安時代には、信仰の場であると同時に、貴族たちが集まり、美しい装束や教養、格式を披露する社交の場でした。

おそらく清少納言は初めてその場に赴いたものと思われます。

目の前で繰り広げられた新しい世界に全身が震えているのがよくわかります。

上流貴族の社交場に紛れ込んでしまったという感覚でしょうか。

なにもかもが珍しかったに違いありません。

特にすぐれた美意識の感覚をもっていた彼女のことです。

公達が身につけている衣服の形や色に釘付けになっています。

それが文章の端々に出ていますね。

衣服の色についての記述が実に細かいですね。

二藍・浅葱・青鈍・濃蘇芳などの名を次々と挙げ、平安貴族の洗練された衣装の美を表現しています。

時間があったら、ぜひ、あなた自身で調べてみてください。

今日の色彩感覚で見ても、飛びぬけてすぐれています。

えゐもさだまらず(目の置き所も定まらない)という表現からは、美しい人々や装束があまりにも多く、見飽きることがないという清少納言の感動が伝わってきます。

正直な感想が彼女の驚きとともに伝わってきますね。

清少納言は、法華八講を見て、大勢の人が集まるほどのにぎわいに驚いたはずです。

真夏の暑さの中でも、蓮の花や人々の姿に涼しさや優雅さを同時に感じました。

彼女は宗教行事を宗教ではなく「人間ドラマ」として読みこもうともしています。

特に関白道隆など身分の高い人々の姿を見て、「実にすばらしい」と深く感動しています。

権力者の持つオーラをつよく意識したのではないでしょうか。

最後には、特に関白殿や義懐中納言の姿を称賛していますね。

その華やかな貴族社会の雰囲気を生き生きと描いています。

逆にいえば、ここから急変した政界の前夜とでも呼べるのかもしれません。

光が強ければ、影も一層濃くなります。

清少納言にとっても一番いい時代の名残りだったということでしょうか。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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