江戸中期の読み本
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は珍しい本を取り上げます。
タイトルは『西山物語』(にしやまものがたり)と言います。
あまり聞いたことがないのではないでしょうか。
同時代の上田秋成の『雨月物語』は何作か扱いましたが、『西山物語』を授業で取り上げたことはありません。
評価があまり高くはないということもあって、教科書に所収されなかったものと思われます。

この作品は、江戸時代中期のいわゆる読み本(よみほん)です。
俳人で国学者だった建部綾足(たけべあやたり)が著し、1768年(明和5年)に刊行されました。
読み本という言葉もあまり耳にしたことがないかもしれませんね。
現代でいうところの小説に近いものです。
挿絵などではなく、あくまでも物語のストーリーがメインです。
この作品は1767年に京都近郊で起きた「源太騒動」と呼ばれた事件をもとにしている点が特異です。
農夫源太による妹惨殺に取材した創作なのです。
恋愛問題のもつれから、妹が殺害されしまったというのが実際の事件の概要でした。
しかしそれだけでは多くの人の関心をひかないと考えたのか、綾足はこれを大きく脚色します。
恋愛や怪異と組み合わせた物語へと仕立てあげたのです。
あらすじ
京都西山に住む武士、大森七郎が、祖先ゆかりの名刀を取り戻したことから怪異が起こり始めます。
刀を取り戻して以降、七郎の周辺には奇妙な現象が重なるのです。
七郎の妹かへと、七郎の従兄弟八郎の息子宇須美が恋仲となり、七郎は八郎に両者の結婚を申し出ました。
しかしその場で断られてしまいます。
八郎が両者の結婚を認めなかったのは、占いをたてたところ、不吉を告げられたからでした。
そこで七郎はかへを連れて八郎のところへ行き、かへを斬ってしまいます。
それ以降、宇須美の夢にかへの亡霊が現れるようになりました。
これ以降、宝刀にまつわる祟りや幽霊などの伝奇的要素も加わり、悲恋物語としてストーリーが展開していくのです。
作者である建部綾足は国学の影響を強く受けました。
父親は陸奥弘前藩の家老、母は学者の娘でした。
祖母は山鹿素行の娘という家系に生まれながら、20歳の春に亡命者となったのです。
原因は兄嫁との恋でした。

未然に発覚し、自害をすることも家の名誉のために許されなかったとか。
放浪の生活は56歳まで続いたと言われています。
作品の中には『万葉集』『源氏物語』『伊勢物語』などから多くの歌が引用されています。
いわゆる「擬古文」と呼ばれる文体で書かれた読み物です。
江戸時代にまとめられた古典文学を模した小説とでもいったらいいのでしょうか。
この作品は後の作家にも大きな影響を与えました。
築地小劇場をおこした小山内薫は同じ題材をもとにして戯曲『西山物語』を書いています。
作品に独自性はあるものの、しかし文学史上の評価はあまり高くはありませんでした。
そのあたりの事情もあるのでしょう。
現代ではあまり読まれることがないようです。
しかし、文学史的には初期の読み本の代表として重要視されています。
また、「怪談」「恋愛」「武士道」「国学」という江戸中期の文化が一つの作品に凝縮されている点でも興味深い作品と言えます。
本文
やうやう涼しき風吹き出でて、月の影もきよらなるに、すこし人ごこち出で来て、夜ばかりはせめて起きあがりつつ、しめやかなる火かき照らして、歌物語などよむに、我がごとものおもひけるひともむかしよりおほかりき。
さて寝られぬままに、

秋の夜のあくるもしらず啼く虫は我がごと物やかなしかるらむ
こよひはけにおもひ出でつつ、ただ涙のながるるに、御経ひと巻よみ奉らむと、おもひつつ、奥床を見れば、虫などのしけむ、みあかしふたところまで消ちたり。
尼たちもいびきあはせてふし給へるに、火をうち出して御あかしを照らし、提婆品といふ御巻をぞこころしずかによみ奉りける。
さてさとりの道には、をとこをみなの相(すがた)なしてふ事を、わたつみのむすめに説きたまひし所にいたりて、燈又ふたところながらくらくなるに、御経をよみさして立ちてかかげむとすれば、火はそのままに照らさでよといふ声す。
さて見れば白き衣(きぬ)を身にひきまとひたるをとめの、かしらの髪はいと黒くてうつふしにふしゐたり。
現代語訳
ようやく涼しい風が吹き始め、月の光も清らかに澄んでくると、少し気分も落ち着いてきた。
夜だけは何とか起き上がって、静かな灯りを立てて明るくし、歌物語などを読んでいると、私のように物思いをした人は昔からたくさんいたのだなと思うのでした。
それで眠れないまま、
秋の夜が明けることも知らずに鳴く虫は、私と同じように、悲しみを抱えているものなのだろうか
と歌を詠みました。

今夜はことさらにさまざまなことを思い出され、しきりに涙が流れるので、お経を一巻お読み申し上げようと思いました。
奥の間を見ると、虫が飛び入ったのでしょうか、灯明が二つとも消えていたのです。
尼たちもいびきをかき合って眠っているので、自分で火を起こして灯明をともし、法華経の「提婆品」(だいばぼん)を心静かに読み申し上げました。
「悟りの世界では、男女の姿の区別はなく、竜女(海神の娘)が成仏することを説かれた」という箇所まで読むと、灯明がまた二本とも暗くなったので、お経を読むのを中断して灯火を掲げようとしました。
すると、「火はそのままにして、照らさないでください。」という声がするのです。
驚いて見ると、白い衣を身にまとった若い乙女が、髪は裾まで届くほど黒く長く、そのままうつ伏せになって伏していました。
幻想的な場面
『西山物語』の中でも特に幻想的な場面がここですね。
作者は亡くなった人を思って眠れず、涙を流しています。
次に心を鎮めようとして『法華経』を読みます。
「提婆品」(だいばぼん)がそれです。
女性でも成仏できることを説く「竜女成仏」の場面に差しかかったところで、不思議な女性が現れました。

「照らさないで」という言葉から、この女性は現実の人ではなく、霊的な存在であることが暗示されています。
悲しみから宗教的な慰めへ、さらに幻想的な世界へ移っていくという情景が描かれているところです。
江戸時代に活躍した読み本作者にはどのような人がいたのでしょうか。
なんといっても第一人者は上田秋成です。
『雨月物語」はもっともすぐれたこの時代の小説と言ってもいいのではないでしょうか。
その他に山東京伝や滝沢馬琴などがいます。
なかなか読む機会がありませんが、ぜひ、手にとってみてください。
江戸時代の作品には、独特の味わいがあります。
高校では井原西鶴などしか扱いませんが、一読する価値はあると思います。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
