恋人・平資盛
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は『建礼門院右京大夫集』の一節を読みます。
建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ(1157年~没年未詳)は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての女流歌人です。
父は藤原伊行。
母は大神基政の娘で箏の名手であった夕霧です。
承安3年(1173年)、高倉天皇の中宮建礼門院平徳子に右京大夫として出仕しました。
それが彼女の名前の由来になっています。
藤原隆信、平資盛と恋愛関係にあり、資盛の死後、供養の旅に出たといいます。
建久6年(1195年)頃、後鳥羽天皇に再び出仕した記録が残っています。
この文章はかつての恋人、平資盛と過ごした北山の邸の跡を再訪した作者が、生前の思い出と変わり果てた景色を対比させた時の文章です。
死者への深い悲しみと無常観を、歌を交えて叙情的に綴りました。
追憶と鎮魂にあふれた文学的な叙述と言えるでしょう。
筆者は平資盛と何度も訪れた北山の邸宅跡が見たかったに違いありません。
しかし以前は美しく手入れされていた庭が、浅茅や蓬が生い茂る荒れ地になっていました。

悲しみが一気に深まっていきます。
当時のまま残っていた木々や、彼が植えた萩を見て、思い出に涙し、言葉にならない悲しみにくれたのです。
過去が甘く美しければ、なおのこと、つらさも増すというものです。
和歌を通して、恋人がもういないという現実と、残された悲しみ、そして幾多の花に当時の記憶を留めるよう願う切ない心境が詠まれています。
この文章の冒頭で彼女は「我ならでたれかあはれとみずくきの跡もし末の世に残るとも」と詠んでいます。
この歌集が後世に残っても、自分以外感動する人はいないであろうという意味です。
しかし多くの人に読まれる作品となりました。
歌というものの持つ力を如実に感じさせる話です。
本文
北山の辺によしある所のありしを、はかなくなりし人の領ずる所にて、花の盛り、秋の野辺など見には、常に通ひしかば、
誰も見し折もありしを、ある聖のものになりてと聞きしを、ゆかりあることありしかば、せめてのことに、忍びて渡りて見れば、面影は先立ちて、またかきくらさるるさまぞ、言ふ方なき。

みがきつくろはれし庭も、浅茅が原、蓬が杣(そま)になりて、葎(むぐら)も苔も茂りつつ、ありしけしきにもあらぬに、植ゑし小萩は茂り合ひて、北南の庭に乱れ伏したり。
藤袴うちかをり、ひとむら薄も、まことの虫の音しげき野辺と見えしに、車寄せて降りし妻戸のもとにて、ただひとりながむるに、さまざま思ひ出づることなど、言ふもなかなかなり。
例の、ものもおぼえぬやうにかき乱る心のうちながら、
露消えし跡は野原となり果ててありしにも似ず荒れ果てにけり。
跡をだに形見に見んと思ひしをさてしもいとど悲しさぞ添ふ
東の庭に、柳、桜の同じ丈なるを混ぜて、あまた植ゑ並べたりしを、ひととせの春、もろともに見しことも、ただ今の心地するに、梢ばかりはさながらあるも、心憂く悲しくて、
植ゑて見し人はかれぬる跡になほ残る梢を見るも露けし
わが身もし春まであらばたづね見ん花もその世のことな忘れそ
現代語訳
北山のあたりに、風情のある場所がありました。
その当時、今は亡くなってしまった人の領地であったので、春の花の盛りや秋の野の景色を見るために、よく通っていました。
人目に触れるのははばかられることではありましたが、その場所がある僧の所有になったと聞いたのです。
そこでかつての縁もあったことから、こっそりと訪れてみました。
すると、昔の面影がまず心に浮かび、さらに胸がかき乱されるような気持ちになり、何とも言いようのない思いに包まれたのです。
手入れされていた庭も、今では浅茅の生い茂る原や、蓬だらけの山のようになってしまっていました。
つる草や苔が生い茂って、かつての様子とはまるで違っていたのです。

植えられていた小萩だけが生い茂り、庭のあちこちに乱れて倒れていました。
藤袴の香りが漂い、一群れのすすきもあって、まるで野原のように虫の声がしきりに聞こえてきます。
その昔、牛車を寄せて降りた戸口のあたりに立って、ただ一人で眺めていると、いろいろな思い出がよみがえり、とても言葉にはなりませんでした。
いつものように、何も考えられないほど心が乱れている中で次のような歌を詠みました。
露消えし跡は野原となり果ててありしにも似ず荒れ果てにけり
露が消えた後の野原のように、すっかり変わり果てて、かつての面影もなく荒れてしまったことよ。
跡をだに形見に見んと思ひしをさてしもいとど悲しさぞ添ふ
せめて跡だけでも形見として見ようと思ったのに、かえって悲しみがいっそう募ってしまいました。
東の庭には、柳や桜を同じ高さにそろえてたくさん植えてありましたが、ある年の春に一緒に眺めたことが、まるで今のことのように思い出されます。
梢だけは昔のままですが、それがかえってつらく悲しくて…。
植ゑて見し人はかれぬる跡になほ残る梢を見るも露けし
一緒に植えて眺めた人は亡くなってしまったのに、その跡に残る木の梢を見ると涙がこぼれてきます。
わが身もし春まであらばたづね見ん花もその世のことな忘れそ
自分が春まで生きていられたなら、また訪れてみることにしよう。花たちよ、どうかあの頃のことを忘れないでいてほしい。
無常と追憶
この文章の核心は「無常」と「追憶」です。
そこにもののあはれを加えれば十分でしょう。
かつて華やかだった場所が荒れ果てている様子と、亡くなった人との思い出が重なって、描かれています。
特に印象的なのは跡を見れば癒されると思ったのに、逆に悲しくなるという残酷さです。
自然だけが昔のまま残っているというのは、かえってつらい感情を引き起こすだけなのかもしれません。
彼女は平家滅亡という歴史的な出来事に出会いました。
恋愛関係にあった平資盛(清盛の孫)は戦乱で亡くなっていきます。
壇ノ浦の戦いのことは誰もがよく知っていますね。
奢れるものは久しからずと言います。
隆盛を誇った平家一門もすべて滅亡し、資盛も命を落とします。
平家の栄華があまりにもみごとだったため、滅亡後の世界との落差が激しいです。
無常の世界を目の前でみた彼女にとって、かつての栄華を極めた邸宅の庭を見ることは、衝撃だったことでしょう。
昔、通った場所だけに記憶も生々しいものがあったに違いありません。

深い悲しみが襲ってきたことも、容易に想像できます。
この作品は単なる歌集ではなく和歌と物語が組み合わさった形式の文章です。
わかりやすくいえば、和歌で綴った回想記という要素が強いのです。
できたのは鎌倉初期ごろと言われています。
つまり実際の歴史的な事実からは、かなり時間がたったのちにまとめられました。:
彼女にとって美しい記憶に満ちた日々が、現実の厳しさにさらされる時間だったのです
この本は他の日記文学とも一線を画しています。
現在進行形の話ではなく、すでに終わったものを振り返る文学なのです。
そこに『更級日記』や『蜻蛉日記』などとの違いを見つけることも可能でしょう。
ぜひ、一度手にとって原文を読んでみてください。
そこに生きた人間の心をみてとることができるはずです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
