【ポピュリズム】現代に蔓延する将来構想のない語りかけのマジック

ノート

ポピュリズム

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は世界を覆っているポピュリズムについて考えます。

最近、よく耳にする言葉ですね。

今後、小論文に出題されることもあると思います。

あらためて内容をチェックしておく必要があるでしょう

「ポピュリズム」という言葉が定着してから、かなりの時間が経ちました。

ここ数年の政治的な流れをみていると、そのことがよくわかります。

どのような考え方を「ポピュリズム」と呼ぶのでしょうか。

定義は大変に難しいです。

大きく捉えると、次の2つに分かれると考えられます。

第1の定義は、固定的な支持基盤をはるかに超えて、国民に直接訴える政治スタイルのことです

日本では、指導者が直接訴える政治の意味に用いることが多いようです。

第2の定義は、既成政治やエリートを批判する政治運動をポピュリズムととらえることです。

つまり政治変革を目指す勢力が、人々に訴えて、その主張の実現を目指す運動とされます。

近年の政治学では、この定義をとる立場の方が多いようにも見受けられます。

具体的な例をみてみましょう。

2016年、イギリスのEU離脱に関わる国民投票がありました。

同じ年に、トランプ大統領が誕生しました。

衝撃的でしたね。

自分に不都合な真実は、すべてでっち上げと称して、政治的な対立をあおるようにしながら、支持者を獲得していったのです。

まさにポピュリズムそのものの、選挙態勢でした。

複雑な構図

ちなみにトランプ氏はその4年後、バイデン氏によって大統領の座を奪われたものの、次期選挙に立候補する意志がかたいようです。

他の候補を追い落とすために、フェイクと称して、自分に対する不利な言説を無視する態度を続けるのでしょうか。

日本においても、かつての小泉政権などは、ポピュリズム的な要素が多かったとよく言われます

彼は中間にある煩雑なシステムをすべてとばして、自民党をつぶすと直接、国民に語りかけました。

その結果、郵政民営化などを実現し、さらに、現在問題化している非正規労働者のワクを拡大したのです。

ポピュリズムには右派も左派もないというのが、現在の考え方です。

人によっては「大衆迎合主義」「反知性主義」といった言葉で説明することがあります。

しかしそれほど単純なものではないというのが、現在の通説です。

神学者、森本あんり氏の評論から、「ポピュリズム」に関する評論を抜き出してみましょう。

宗教的な視点から、論じている著作が多いです。

特にアメリカの現代社会が抱える問題を考えようとしています。

ここではポピュリズムの持つ方向性を論じています。

本文

「ポピュリズム」を定義するのは難しい。

ポピュリストには右も左もあり、保守派も進歩派もあり、国粋主義者もいれば社会主義者もいて、どのように定義をするにしても、それらすべてを1つの定義のもとに包摂することはできないからである。(中略)

ポピュリズムは全体的な将来構想をもたない。

あるのはただ「雇用」「移民」「テロ」など、その時点でその社会がもつ特定の政治的なアジェンダに限定した語りかけの言説である。(中略)

ポピュリズムの持つ熱情は本質的には宗教的な熱情と同根である。

社会的な不正義の是正を求める人々はかつては教会や寺院などの宗教的な組織にその集団的な表現、経路を見出していた。

寄生、宗教が弱体化して人々の発言を集約する機能を持たなくなった今日、その情熱の排出に代替的な手段を与えているのがポピュリズムなのである。

この点で、ポピュリズムは反知性主義と同じく、宗教なき時代に交流する、代替宗教の一様態である

ポピュリズムの宗教的な性格はその善悪二元論にも明らかである。

政治は本来、妥協と調教の世界である。

一方的な善の体現者もいなければ、一方的な悪の体現者もいない。

しかし、ひとたび全国民の「声なき声」を代弁する立場を襲うと、彼らの闘争には「悪に対する善の闘争」という宇宙論的な意義が付与され、にわかに宗教的な二元論の様相を帯びる。

だからポピュリストの発言は、妥協を許さない「あれかこれか」の原理主義へと、転化しやすいのである。

市井の人々も、これを歓迎する。

善悪二元論的な世界理解は、日頃抱いている不満や怒りを、たとえ争点とは事実上無関係であっても、そこに集約させてぶつけることができるからである。

それによって人々は、自分にも意義ある主体的な世界参加の道が開かれていることを実感する。

つまり、ポピュリズムは一般市民に「正統性」の意識を抱かせ、それを堪能する機会を与えているのである。

人々は、匿名であるままに、自らを安全な立場に置いた上で、この正統性意識を堪能することができる。

怖ろしい一面

非常にユニークな文章ですね。

政治的な運動を宗教的な立場から分析するというのは、大変に興味があります。

この文章をそのまま小論文の課題文として提出することは十分に可能です。

あなたが考えたことを800字以内で書きなさいという問題が提出されたとき、どのように文章をまとめますか。

この評論では、ポピュリズムというものを一般的な広さにまで伸ばして論じています。

ポピュリズムは反知性主義と同じく、宗教なき時代に交流する、代替宗教の一様態であるという表現の意味が理解できますか。

この論点が大切なポイントです。

つねにここでの意見は、善か悪かの二元論になりやすいのです。

その結果、自分の向こう側にいるものはすべて敵になります。

本来、妥協の産物である政治が、まったく機能しなくなるのです。

その分、ある意味でネットと親和性をもっています。

読んでいる人間にとっては、実に心地が良いのです。

なぜか。

匿名であるがゆえに、自らを安全な立場に置いた上で、この正統性意識をどこまでも堪能することができるからなのです。

ポピュリズムの大切な要素は、この匿名性にあります。

白か黒かという分類の仕方は、ある意味、ネット上でのゼロがイチかの2進法に似ています。

新しいポピュリズム政党がわかりやすい名前をつけるのは、まさにそれがわかりにくくなっている政治に対するアンチテーゼだからなのです。

その意味で「NHK党」などのネーミングはまさに国民の意思を吸い上げるシステムとしては、いい視点だといえるでしよう。

ただし、こうしたポピュリズムとされる政治家や政党がどの程度、現実に支持されるかは疑問です。

外国に逃亡したまま、当選した議員が、その後当院することもなく、議員を辞職した例がつい最近ありました。

ポピュリズムの持つ怖ろしい一面です。

投票先として選ぶ有権者が存在しなければ、注目されたり、権力を得たりすることはありません。

現実に有権者がいたのです。

そして当選しました。

ここにポピュリズムの持つ難題があります。

個別の政治家や政党を分析するだけでは不十分です。

現在、ポピュリズム政党とされる集団が、日本にもいくつかあり、実際に議席を得ています。

彼らが何を主張し、どの方向に向かいつつあるのかということを、きちんと見抜いていかないと、方向性を誤る可能性も考えられます。

カリスマ性のあるリーダーが過激な発言をし、ある方向へ世論を導こうとしていけば、多くの人はその線上に乗る可能性もあります。

その主張は必ずしも保守的ではないケースも存在します。

その結果、ポピュリズムはどうしても急進的な政治になりやすい傾向があるのです。

幅広い政策が発信され、政治への関心が高まるのはメリットといえるでしょう。

しかし同時に社会が分断され、独裁者を生み出しやすい構造もあります。

ポピュリズム政党や政治家は、意図的に敵を作る傾向が強いです。

冷静な判断がどこまでも必要な所以がそこに横たわっているというワケです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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