市川團十郎白猿
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
歌舞伎の世界は久しぶりに大きな襲名の披露興行となりそうです。
松竹は今日、市川海老蔵が13代市川團十郎白猿を秋に襲名すると発表しました。
同時に長男、堀越勸玄が8代目市川新之助として初舞台を踏むそうです。
先代の團十郎が亡くなってもう10年。
本当ならもっと早く披露興行をするところだったのでしょう。
全てはコロナのせいです。
これだけはどうしようもありませんね。
今日の新聞をしみじみと眺めていたら、6月大歌舞伎の宣伝が大きく出ていました。
写真と名前をみているだけで、月日の流れを感じます。
若い頃は、市川染五郎で人気を博した後、松本幸四郎になり、さらに松本白鷗を襲名しています。
松緑、鴈治郎、猿之助とみんな名前がどんどん大きくなっているのです。
ぼくの頭の中にある名前と顔とがなかなかうまくくっつきません。
中村勘三郎といえば、亡くなった勘九郎の父親のイメージが焼き付いています。
今も歌右衛門はさすがにいませんけどね。
ぼくにとって、勘三郎はどこまでいっても勘九郎の父です。
歌右衛門と2人で演じた「隅田川」の静かな舞台が忘れられません。
もう40年以上たっていると思います。
これほどにどんどん名前がかわっていいものなのかどうか。
まるで出世魚のようです。
多分に商魂ばかりが先行しているような気がしないでもありません。
荒事
市川團十郎といえばやはり荒事ですね。
大きな目を剥いて睨む芝居もみものです。
つい先日もスカイツリーの上で「にらみ」を見せてくれました。
近頃は家族内の不幸や揉め事が次々とニュースになって流れます。
今は役者にとっても生きづらい時代になりました。
本来なら、奥様が一切を取り仕切らなければなりません。
贔屓筋への挨拶などは必ず夫婦で行うものと聞きました。
それもできず、さぞや無念でしょうね。
屋号の「成田屋」は、初代團十郎が成田山新勝寺を深く信仰していたことからつけられたといいます。
大看板には必ず俳名がつきます。
白猿とは、2代目團十郎の俳名・栢莚(はくえん)を、5代目團十郎が、文字をかえて名乗ったとか。
俳名を持てる役者はそれほど多くはありません。
どの家に生まれたかによって、芸のうまいへたを別にして役者は昇進していくのです。
このあたりの悲劇は、落語にもいくつか取り上げられています。
「中村仲蔵」という噺をご存知ですか。
江戸時代に一番下の階級である大部屋俳優から、名題になったという立志伝中の人です。
若旦那と呼ばれ、大切に育てられた御曹司とは、全く生き方も違うのです。
いずれにしても大名跡を継ぐことの重さは、本人が1番自覚しているに違いありません。
松竹という会社に支えられているからこその襲名披露なのです。
この公演のために、どれほどの金銭が動くことでしょう。
芸の世界の外にいる人にとっては想像もできないことばかりです。
それでも襲名をすることには大きな意味があります。
素人からみれば、名前をかえてそれが何になるのかというレベルですけどね。
襲名をすると見える風景の全てがかわるのです。
再生とでも言ったらいいのかもしれません。
生まれ変わるのです。
一族の血の中にはっきりと繋がることを意味します。
襲名
名前を継ぐというのはどういうことなのでしょうか。
他の国や文化にこのようなことがあるのかどうか。
あまり聞いたことがありません。
個人的には落語家の世界がもっとも近くてわかりやすいです。
襲名披露パーティに出席したこともあります。
現在も芸能の世界ではごく自然に名前の継承が行われています。
落語でいえば、先ごろガンで入院した三遊亭円楽が圓生を継げるのかどうかというのも話題になっています。
この名前は現在止め名になっていて、6代目が亡くなって以来、だれも継いではいません。
大名跡を円楽がもらえるかどうかは、当分の間、マスコミを賑わせるでしょうね。
もう1つのビッグネームとしては古今亭志ん生があります。
倅の志ん朝が継ぐという話もないことはなかったようです。
しかし彼は若くして亡くなってしまいました。
それ以降、志ん生の名前もお預けのままです。
襲名には興行的な要素も多々あります。
お客を呼ぶ仕掛けがあるのです。
それ以上に、新しい名前にすることで、芸の幅が大きく広がったという話もよく聞きます。
講談の世界では神田松之丞が真打として、神田伯山になりました。
現在も彼が出演すると、寄席は一杯になります。
それだけの人気を得るだけの実力があるのです。
観客の中に先代の芸を知っている人がどれくらいいるのか。
その姿を重ね合わせる要素も確かにあるのでしょう。
しかしもう名前だけが先行する時代ではありません。
自分で一枚看板にしていく覚悟が必要なのです。
再生
襲名とはまさに生まれ変わる、再生のドラマだといっていいでしょう。
以前の名前には死んでもらい、やがて新たな命を吹き込んだものとして生まれ変わります。
その時、おそらく芸能の神々にそれまでとは違った大きな力をもらうのではないでしょうか。
話はすこしずれますが、ひょっとしたら遷宮という要素に似ているのかもしれません。
伊勢神宮は20年に1度、全ての建物をとりこわし、新たな社を築きます。
いわゆる式年遷宮と呼ばれるものです。
襲名には、社殿を建替え、装束や神宝を新調して神にお遷り願うという行事にどこか似た類のものを感じます。
神が乗り移る。
面白い発想です。
社殿を拝見すればわかることがあります。
そこに使われる木材や装飾は最高度の技術を誇るものです。
いいかげんに建て替えてすませたというようなものではありません。
大変な労力を必要とするのです。
バタイユが主張した蕩尽(とうじん)という行為に似ているともいえます。
襲名という行事にも大変な手間と労力が必要です。
名前をかえるだけで、どれほどの金銭が出入りすることか。
生まれかわるという思想は芸能の神々にとって、大きな意味をもつのです。
願わくば次々と行われる襲名により、さらに芸人たちの技が磨かれることを願ってやみません。
落語家は次々と真打になり、多くの人が芸名をかえます。
そのたびに芸の幅がひろがり、生まれ変わります。
もう後戻りはゆるされないという、一種の覚悟でしょうね。
誠に不思議な風景だと言わざるを得ないのです。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。