ブラック校則
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今日の新聞にブラック校則の話が載っていました。
それによれば都立高校を中心とする学校が、地毛でも髪を一律に黒く染めさせるなどの校則5項目について、2022年度に全廃することが明らかになったとのことです。
やっとここまできたのかというのが、実感ですね。
都立高校といっても千差万別です。
ほとんどなんのルールもない学校もあります。
全て自由なのです。
教師は生徒を全面的に信頼しています。
刑法に触れるようなことがない限り、生徒を懲戒することはありません。
そういう学校にいると、教師と先生の関係は実に良好です。
毎日が楽しいのです。
ともに勉強を重ねて前に進もうという気概に溢れています。
つまらないことにエネルギーを使うことがありません。
それでなくてはいけないと両者が感じています。
私服で一足制などのケースでは、下駄で校内を歩くなという規則が1つあるだけです。
なんとも微笑ましい話です。
リベラルな旧制高校の伝統をもった都立高校には、いまだにこういうタイプの学校もあります。
その反対の学校もちろん存在します。
髪の色にこたわりすぎると、最初に教師がくたびれます。
もちろん、生徒もくたびれる。
染めた、染めないというのはなかなか判定しづらいのです。
天然パーマも同じ
くせ毛の生徒の判断も厄介です。
元々、そういうタチの人もいますからね。
直毛にしようと思ってもなおらない。
もちろん、パーマをかけたがる生徒もいます。
その判定もまた難しいのです。
先生の中にはこういうのを識別する能力を持っている人もいます。
生徒指導部などの分掌を長くやっていると、独特の嗅覚が働くようになります。
ある意味、刑事の勘に似たようなものかもしれません。
アヤシイと直感で識別できるのです。
しかしそれもやめましょうというのが今回の判断のようです。
1つの方向として歓迎したいですね。
廃止する校則はこのほかにもあります。
下着の色の指定やツーブロックの禁止などです。
都の教育委員会は理不尽なルールを次々と見直していったそうです。
いわゆるブラック校則と呼ばれるものです。
スカートの丈などにも敏感な学校は、入り口でものさしをもって計っていますからね。
ダメなら、速攻Uターンです。
この担当になると、毎日がつらいです。
必ずトラブルが発生します。
かつて校門での遅刻指導をしていた先生が、決められた時間に思い切り閉めたことがありました。
1990年、兵庫県神戸市の県立高校での悲劇です。
その結果。生徒が頭を挟まれ死亡したのです。
規則というのはそこまで一人歩きをしてしまう怖いものです。
ホームページで公開
ツーブロックはマスコミでも随分と話題になりました。
ご存知ですか。
髪のサイドを刈り上げるなどして濃淡が上下に分かれる髪形のことです。
若い人にかなり見られます。
いわゆる校則の厳しい高校では、ほとんど禁止でした。
都議会でも話題になったのです。
都の教育委員会に対して、ある都議が禁止の理由を訊ねたのです。
それを動画にまとめてツイッター上にも投稿しました。
すると再生回数はなんと4日間で588万回超になったとか。
それくらい関心が集まったのです。
なぜツーブロックはだめなのかという質問に対して、教育長の答えは次の通りでした。
外見等が原因で事件や事故に遭うケースなどがあるので、生徒を守るためだというのです。
全く意味不明です。
ツーブロックで事件や事故にあうというのは、苦しい弁明ですね。
しかしだいたいの校則はこんな感じです。
どこまで正当性があるのかを言い出したら、水掛け論に終わります。
ぼくも随分と長く教員をやってきましたが、生徒との信頼関係が崩れたら、校則なんて惨めなもんです。
あるからある。
ダメだからダメだになってしまいます。
結果はいつも悲しいものです。
だいたい「高校生らしい」とか「中学生らしい」という表現には、曖昧な部分が多すぎますね。
単一民族でなんとかやってきたから、今まではこれでなんとか通用していたのでしょう。
しかしグローバルな世の中で、そんなに悠長なことは言ってられません。
髪の色の違う人が、たくさん住んでいる世の中です。
あれもダメ、これもダメとなると、その人固有の文化を否定することにもなりかねません。
地毛証明書
この話はもう少し尾を引きそうですね。
生まれつき髪が黒くない生徒や、くせ毛の生徒に「地毛証明書」を任意で提出させる校則については、全廃とはなりませんでした。
生徒や保護者の1部からは届け出を残してほしいという声があったそうです。
このあたりに、日本の厄介な問題の根が残っていそうな気もします。
「任意」というあたりがポイントでしょうか。
警察にも任意の事情聴取というのがあります。
どこまで任意なのかは、線引きがかなり複雑です。
日本人はルールを守ることを美徳とするところがあります。
かつて、先生のいうことを信じて船の中で待っていた生徒たちが、多数死亡する海難事故がありました。
2014年4月、韓国の旅客船「セウォル号」が、仁川から済州島へ向かう途中でのことです。
韓国南西部の珍島沖で転覆し沈没しました。
ソウル郊外の高校の修学旅行生ら476人が乗船していましたが、295人が死亡したのです。
これは韓国での話です。
長幼の序を守るということは大切なことです。
しかし儒教にはこうしたマイナスの因子も横たわっていることは知っていていいかもしれません。
もちろん、プラスの要素が山のようにあることはごく当然のことです。
彼らは次の指示があるまで待てと先生にいわれて、船中でじっとしていたのです。
あの時、船長は先に逃げ出しました。
その映像は衝撃的でしたね。
また、3.11の津波で、先生の指示通り高台にのぼった子供たちは助かり、そうでない子供たちは亡くなったという保育園の話もあります。
これからはますます直感に頼る事例が増えると思います。
大人の言うことだけを鵜呑みにしていたのでは、とても生きてはいけません。
おかしいと思ったらそれはどうしてかを問いただす。
そんな時代になりつつあります。
都立高校の波は私立にも中学校にも波及していくでしょう。
しばらく見守り続けたいと思います。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。