「性的少数者」共生する社会を築くために配慮すべき問題点と望ましい姿勢とは

ノート

ポスト・ゲイ・リブ

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は複雑な問題を考えます。

性的マイノリティの話です。

これはかつて、ある大学の小論文入試に出た文章から引用したものです。

しばらく以前なら、このような内容の文が入試に使われるなどということは考えられませんでした。

それだけ時代は変わったのだと思います。

しかし問題が出題されるようになったから、テーマはほとんど解決したのかといえば、そんなに単純な話ではありません。

実はむしろ複雑化していると考えた方がいいのです。

よく言われるものに、「フェミニズム」の問題がありますね。

たとえば、①女性も働けるようになった、②女性も大学に行ける、③女性も政治家や管理職になれる、④男女の雇用機会均等法ができた。

だから、もうこの課題は解決しているというものです。

しかし女性への差別が過去のものだと断定してしまうことは大変に危険です。

今さら「フェミニズム」を持ち出す必要はないという考え方を「ポスト・フェミニズム」と呼びます。

本当にそうなのでしょうか。

現実には「ガラスの天井」と呼ばれる男女の不平等があちこちに存在しています。

それと同じなのが「ポスト・ゲイ・リブ」という考え方です。

ここでは少しその内側に入って考えてみましょう。

ゲイ男性の置かれた状況は、女性の置かれた状況とはまた違う側面を持っているからです。

筆者は社会学者の林正浩氏です。

本文

私はゲイ・コミュニティ・スペースで時々サポートスタッフをやっている。

そこには和やかな光景が広がっている。

パートナーと連れ添うことのできる社会がより現実味を帯びてきて、そのような生活を夢見る若年層のゲイ男性がいる。

一方で、恋話から距離を置き、アニメやフェスなど趣味に没頭する人もいる。

中年層の方々からは、老後の心配が聞かれるものの、悩みの共有を通じて心強くなったという人も多い。

この和やかさは、ゲイ男性の安住できる環境が整えられつつあることの表れだといえる。

それはめでたいことであるが、恐ろしくもあると、私は率直に思う。

個人的な悩みについて語ることはあっても、ゲイ男性全体を取り巻く状況について触れることは稀である。

「男女平等が すでに達成され、フェミニズムは不要だ」と唱えると同じように、「ポスト・ゲイ・リブ」とでも称する態度、ゲイ男性全体の権利獲得に興味を示さず、現状に満足するというような意識が、一部のゲイ男性の間でみられるようになっている。

しかし果たしてゲイ男性は、そこまで生きやすくなったといえるのだろうか。

私からすれば、彼らは現に差異化、選別されているようにみえる。

ゲイといわれてよく連想されるのは、若くてイケメンで、繊細な感性と高い購買力をみせる男性のことである。

男らしさを巧みに表現できるゲイ男性は、SNSで便利につながりを得られるが、そうでない人は工夫しても出会い探しにつまずいたりする。

つまり、昨今のゲイ男性の生きやすさは、あくまで表面的で、一部の人に限った話でしかないのだ。

出典:林正浩(2025))『ユリイカ』2月号

ゲイは生きやすくなったのか

筆者の論点はわかりやすいですね。

ただし多くの人が立ち止まって考えたことのないテーマだとも思います。

あなたの周囲にゲイの男性がいれば、ある程度イメージはつかみやすいかもしれません。

核心は「ゲイ男性が以前より生きやすくなったのか」という問いです。

ある程度の恩恵が生まれたのは事実でしょう。

しかし大切なのはその恩恵がゲイの男性全体に均等に行き渡っているわけではない」という点です。

ここが最大の論点なのではないでしょうか。

林氏は実際にサポートスタッフとして働きながら、彼らの様子を見ています。

それだけに事実に基づいた発想がよくわかっています。

文章の論旨はそれほど複雑なものではありません。

ゲイのコミュニティは、以前よりも穏やかなものになったというのが一点です。

社会的に受容されつつあるということの表れなのでしょう。

以前なら単純に異端として排除されてしまう危険性もありました。

しかし現在ではそれも受け入れられているのです。

ぼく自身、かつてニューヨークのゲイが集まる公園へ赴いたことがあります。

確かに異様ではありましたが、だからといって特に彼らが排斥されるということもなく、共生が進んでいる現実を目の当たりにしました。

あれからかなりの年月が経っています。

あのような光景を許す素地が日本にも定着したということなのでしょうね。

ところが話はここからです。

それほどに単純ではありません。

その「穏やかさ」が、ゲイ男性を取り巻く社会的問題そのものへの関心を弱める可能性があるというのです。

わかりやすくいえば、「ゲイ・リブ」は必要ないという「ポスト・ゲイ・リブ」的な意識が生じつつあることです。

これは「フェミニズム」の運動が不必要だという論点とほぼ同じです。

実際には、むしろ問題が見えにくくなっているというところが厄介です。

属性による選別

なにが一番厄介なのかといえば、ゲイ男性の中でも、若さ・容姿・男らしさ・経済力などによって評価されるということのようです。

これは現場で彼らに接触していないと、なかなかわからない現象かもしれません。

SNSが人とのつながりを容易にした一方で、その反対の立場にいる「はじかれたゲイ」たちにとっては、むしろ状況が悪くなっているのです。

つまり生きやすくなったという言葉が先になり、表面的には確かにそうした面もある反面、一部の人に限った話になってしまっているということです。

「ゲイであること」が社会的に受け入れられるのは、確かに一歩進んだと考えてください。

しかしその次にくる、ゲイ男性が誰であっても生きやすい社会になったことと、同義ではありません。

「ポスト・ゲイ・リブ」にはさまざまな要素がからんでいます。

いちばんわかりやすいのは、同性婚が認められるようになったことです。

LGBTへの社会的理解が進み、ゲイであることを公言できるようになりました。

あるいはゲイ向けのコミュニティやサービスが増えたこともあります。

だからかれらの権利問題は解決したとはいえないところに、この問題の複雑な側面があります。

大切なのは「誰が生きやすくなったのか」というポイントです。

あなた自身の周囲にそのような人がいなければ、なかなかこの小論文をうまくまとめるのは難しいかもしれません。

最後は想像しながらまとめていくしかないでしょうね。

どんなゲイならば、あなた自身は許容できるのか。

そこから入っていくことも可能です。

ただし「ポスト・フェミニズム」と「ポスト・ゲイ・リブ」は完全に同じものではありません。

そこを間違えると方向性を誤ります。

フェミニズムは、女性という社会的カテゴリーに関わる性差別やジェンダー構造を扱います。

一方、ゲイ・リブは主に性的指向をめぐる差別や権利、社会的承認などをめぐる運動なのです。

両者の共通点は、社会が以前より平等で寛容になったという事実のみです。

だからもう運動は必要ないという意識につながってしまうのが恐ろしいですね。

ここがきちんと読み取れれば、いい文章が書けるのではないでしょうか。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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