【春暁・孟浩然】誰もが一度は聞いたことのある漢詩の代表といえばコレ

学び

盛唐の詩人

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は1番有名な漢詩を学びなおしましょう。

唐の時代を代表する詩人といったら、誰もが李白と杜甫の名前をあげるに違いありません。

中学、高校時代を通じて必ず勉強します。

本当にすばらしい詩が多いですね。

彼らと同様によく知られている詩人が、孟浩然(もうこうねん)なのです。

689年に生まれ、740年に亡くなった中国、盛唐の詩人です。

五言の詩をたくさん作りました。

絵画的で自然描写にすぐれた美しい詩が多いです。

その中でも最も有名なのが「春暁」でしょう。

この詩の持つ大きさを感じてください。

暗記するまで何度も読んで、自分のものにしましょう。

たった5文字で4行しかありません。

いわゆる五言絶句と呼ばれるものです。

五言の場合、韻は通常、偶数行の最後の文字が踏みます。

すなわち「鳥」「少」がそれにあたります。

ここでは1行目の「暁」も踏んでいますので、破格という扱いになります。

読みは日本語読みで「ギョウ」「チョウ」「ショウ」となります。

春暁 孟浩然

春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少

春眠 暁を覚えず
処処啼鳥を聞く
夜来 風雨の声
花落つること 知る多少

しゅんみん あかつきをおぼえず
しょしょ ていちょうをきく
やらい ふううのこえ
はなおつること しるたしょう

春の眠りは夜明けさえ気づかないほど、心地のいいものだ。
あちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる。
昨夜はものすごい風が吹き、雨の音がした。
花はどれだけ散ってしまったことだろうか。

孟浩然の名前が出てきましたから、ついでに彼を黄鶴楼で見送った時の李白の詩も紹介します。

こちらは7文字で4行の詩です。

七言絶句

七言の場合は1、2、4句目の最後の文字「樓」「州」「流」が韻を踏みます。

黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る 李白

故人西辭黄鶴樓
煙花三月下揚州
孤帆遠影碧空盡
惟見長江天際流

故人 西のかた黄鶴楼を辞し
煙花三月 揚州に下る
孤帆の遠影 碧空に尽き
惟だ見る 長江の天際に流るるを

こじん にしのかたこうかくろうをじし
えんかさんがつ ようしゅうにくだる
こはんのえんえい へきくうにつき
ただみる ちょうこうのてんさいにながるるを

わが友(孟浩然)は、西の黄鶴楼に別れを告げて、
花がすみの三月に、揚州へと下っていく。
ぽつんと浮かんだ帆掛け船の姿が青空に消えて、
後はただ、長江の流れが天の果てへと流れていくばかりだ。

うららかな春霞のなか、敬愛する友人の孟浩然が武昌からはるか東の揚州へ船出してゆく時の様子をうたった詩です。

雄大な風景ですね。

李白が長江のほとりにある黄鶴楼から、いつまでも名残惜しく孟浩然を見送った時の離別の詩なのです。

詩を通して、2人の絆がいかに深いものだったかがわかります。

敬愛の気持ちが滲み出ていますね。

「黄鶴樓」は水上交通の要地である武昌にあります。

長江の流れを一望できる名所として有名です。

孟浩然は李白より10歳ほど年長でした。

この詩は古くから送別詩の傑作として名高いものです。

多くの人が好んで、詩吟として歌ったりもしたのです。[15]。

科挙の試験

孟浩然の『春暁』は、春の朝のまどろみと鳥のさえずり、庭に散り敷いた花などが次々と登場します。

その花も春を惜しむ気持ちを表現しているのです。

雨と風によって、花が落ちる風景は春の終わりを象徴しています。

孟浩然の一生はどのようなものだったのでしょうか。

若い頃から各地を放浪したと言われています。

玄宗皇帝の時代、唐の都、長安に赴いて仕官しようとしました。

しかし科挙に合格していないので、それもかなわなかったようです。

科挙の試験に落ちたことが、彼の人生を半ば決定してしまいました。

この試験については、過去に記事を書いたことがあります。

リンクをはっておきます。

読んでみてください。

隋の時代の6世紀末から清の末期、1905年に廃止されるまで約1300年間、中国ではずっとこの試験が続けられてきたのてす。

出世のカギを握るのはこの「官吏登用試験」がすべてだったのです。

最後の殿試に合格すれば、高級官僚への道が約束されました。

かつて日本で行われていた高等文官試験、あるいは現在の上級公務員国家試験をイメージしてもらえば理解しやすいでしょう。

不合格の果てに

科挙は三段階に分かれています

第1段階は、3年に1回、各省の省都でおこなわれる「郷試」。

その後にあるのが「会試」と皇帝の主催する「殿試」です。

殿試に合格した人を「進士」と呼び、高級官僚への道が開けたのです。

有名な中島敦の小説『山月記』には若くして進士となった2人の人物が登場します。

しかし孟浩然は、科挙に合格できませんでした。

それがこの詩の背景にはあります。

一読すると自由な生活を謳歌しているようにもみえますね。

しかしその奥には役人になれなかった、屈折した彼の思いも含まれているのです。

「暁を覚えず」というと、なんとなくのんびりと寝ている風景のようです。

しかし当時の役人は、早朝3時には宮城に行かなければなりませんでした。

始業時刻が午前3時だったのです。

それが「暁」の意味です。

暁という表現には、役人になれなかった孟浩然の悔恨も含まれているのです。

大切な出勤時間など全く気にしなくていいという気分は、誰にも言いたくない悔しさに裏打ちされていたワケです。

しかし寝入っていたにしては風雨の音も聞こえているようです。

どこか安息しきれない、心の葛藤があったと考えることも可能ですね。

詩人の心のうちは誰にも知ることができません。

そんな想像も十分に可能です。

短い詩ですから、自分なりに訳してみるのも面白いかもしれません。

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土井晩翠や井伏鱒二なども翻訳しています。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

【官吏登用試験・科挙】合格することだけが出世のための手段だった
中国や韓国において1000年以上も行われてきた科挙の試験は、人々の考え方に今も強い影響を与えています。試験だけで出身階級をかえることも可能でした。上級官吏になる道も開かれたのです。全てが科挙と呼ばれる試験の結果にまつわるものでした。

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