ベル・エポック
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は高校の教科書「文学国語」に載っていた短編を読みます。
人として生まれれば、想像し物語ることは限りなく自由です。
誰にでもできます。
しかしそこにリアリティを持たせるのは、至難の業なのです。
それをこの絲山秋子という作家は、身軽にこなしてしまいます。
今回、作品を読んで、あらためて驚かされました。
文章は少しも難しくありません。
ごく日常的なありふれた風景が、さりげなく書かれているのです。
ところが、蓋を少し開いてみると、そこには切ないくらいに人間の持つ孤独がみえてきます。
少し触れただけで火傷を負いそうな、熱い情念が燃えているのです。
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どこが面白いのかと言われると、なんと答えたらいいのかよくわからないですね。
しかし30歳前後の独り身の女性が感じる世界の輪郭が、みごとに描かれています。
あらすじがあるのかないのか、それさえもよくわかりません。
短編集『ニート』の中に登場するのは、どこにでもいそうな人々の日常です。
しかしその背後には複雑な闇があります。
登場するのは結婚や恋愛の悩みを超えて、人生を前に進めようとしているあたりまえの人達です。
ところが何かがうまくいきません。
不思議な読後感を支えているのは、登場人物どうしの距離感でしょうか。
親しいとみせかけて、実はそれほどではないのかもしれないのです。
それでもたえず互いを観察しあっています。
だからこそ、怖いのです。
あらすじ
登場するのは「私」とみちかちゃんです。
池袋の英会話スクールで知り合いました。
「私」はSE、みちかちゃんは保育士です。
大宮で東武野田線に乗り換えるあたりに住んでいるみちかちゃんには、婚約者がいました。
しかし34歳の彼、誠は半年前に突然心筋梗塞で亡くなってしまったのです。
挙式を前にして亡くなった婚約者との関係が、それとなく描写されています。
声高に表現されているのではありません。
みちかちゃんはお葬式の時も遠い親戚のような顔をして、静かにうつむいていたとあります。
SEの「私」が彼女の手を握ると、「昨日の晩、いっぱい泣いたから大丈夫だよ」と耳打ちしてくるような悲しみの中にいたのです。
その後しばらく同じ部屋に住み、やがて3月、彼女はきりのいいところで田舎に帰ることになりました。
この2人の年齢や距離感がどんなものなのか。
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ここがこの小説の味わいを深くしています。
英会話スクールに通うことになった、彼女たちの生活ぶりが想像できますか。
より効率的で収入のいい暮らしに憧れていたのでしょうか。
そこから飛躍して、今までは違う人生に向かおうとしていたのか。
そうではないような気がしてならないのです。
一言でいえば、少しだけ自分の人生にスパイスをかけてみたかったというのが、1番真実に近いような気がします。
それがすぐに人生の方向性をかえるほどの効果はないということを、知りつつあったはずです。
30歳を過ぎると、そういうことが少しずつみえてきます。
人生の苦さを知り始めた時分ともいえるのです。
引っ越し
この小説のほとんどは引っ越し作業を手伝う2人の様子を細かく描写した文章で占められています。
ここでも「私」は細かな神経を使います。
引っ越し業者がくるまで梱包を手伝うのです。
しかしみちかちゃんが見られたくない私物があったりしたら嫌なので、「私」は食器を包みます。
そのシーンの会話はいかにも女性同士の様子を髣髴とさせますね。
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「二人でやったらすぐ片付くよ。引っ越し屋さんは何時なの」
「三時」
「余裕余裕、私、食器やろうか」
やっぱり他人に触られたくないものもあるだろうから、食器が1番無難だと思った。
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こういう表現の中に2人の関係性がそれとなく見て取れます。
30歳過ぎて、知り合った友人同士の親しさの程度が如実に表れている描写です。
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その後、業者が荷物を積み出すところの描き方もみごとです。
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2時50分に引っ越し屋さんは2人で来て、鮮やか、と手をたたきたくなるほど手際よく荷物を積み出していった。
段ボールはたちまち消え失せ、テレビも冷蔵庫もテーブルも椅子も手品のように梱包されて運び出されていった。(中略)
「この部屋、気に入ってたんだよね。風通しよくてさ」
ほんとだ、今も少し風が通っている。
みちかちゃんの匂いも、誠さんの匂いも、ゆっくりこの部屋から抜けて空に昇っていくんだろう。(中略)
雑巾をゴミ袋に放り込んで私たちは手を洗った。
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「空に昇る」という表現は「死」を連想させますね。
人の死の持つ意味は「無」に近いのかもしれません。
それまでの時間を全て一瞬で剥ぎ取ってしまう、残酷なものです。
この雑巾の記述も実にさりげないですが、うまいなと感心しました。
ガランとした部屋の様子が目に見えるようです。
1人で暮らすにはこの部屋は広すぎるというみちかちゃんの台詞も、胸に迫ります。
彼女は部屋にあったものだけでなく、婚約者だった誠の思い出もそこに捨ててしまおうと考えたに違いないのです。
それをなんとなく感じ取る「私」の気分も、この場面を印象深いものにしています。
ババロア
「ベル・エポック」というタイトルは文字通り「古き良き時代」とい意味です。
ここでの「ベル・エポック」は洋菓子屋の名前です。
そこのババロアがおいしいというので、みちかちゃんが買っておいてくれたのです。
彼女はていねいに紅茶をいれてくれます。
ベル・エポックのババロアが、みちかと「私」の別れを象徴しています。
そんなにいい時代はもう来ないというくらい、予感に満たされているのです。
2人はもう会うこともないと確信しています。
誠との暮らしも今は消え、いい時代は何を彼女に残したのか。
そのことを読者に感じさせます。
この小説の結末には象徴的な描写があります。
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車の音がして、みちかちゃんが上がって来たので私は何も言わずに新しい暮らしの最初の段ボール箱を持って部屋を出た。
みちかちゃんはゴミ袋を持って玄関から部屋を振り返った。
みちかちゃんが管理人にカギを返しに行っている間に、私はマンションの前に停まっているワゴン車の大きな荷室に段ボールを積んだ。
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それはいかにも頼りなげな裏切りだった。
エンジンはかけっぱなしで、カーステレオからは、昔流行ったブランキー・ジェット・シティの『小さな恋のメロディ』が流れていた。
こんなやるせない曲を聴きながら、みちかちゃんは私の知らないどこかへ行こうとしている。
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みちかちゃんは、当然実家に帰るのだと、この時の「私」は思っていたようです。
しかしあけられたままの段ボールの中を覗くと、そこにあったのはカーテンの箱、タオル、新しい雑巾、トイレットペーパー1巻でした。
「私」ははじめて彼女は実家に帰るのではないと察します。
ここが大きな転回点です。
蓋を閉じていない段ボール箱は、彼女の新しい部屋での暮らしを象徴しています。
最後のシーンはその確認のためのものでした。
みちかちゃんは笑いながら車に乗った。
そしてすぐに窓を下げて言った。
「典ちゃん、連絡するからね、絶対遊びに来てね」
みちかが「私」の名を「典ちゃん」と呼ぶのは2度目です。
手を振って、青いワゴン車が遠ざかるのを見送りながら、きっとみちかちゃんは携帯の番号さえも変えてしまうのだろうと思った。
このエンディングの見事さは特筆ものですね。
本当にうまいし、哀しい。
切なすぎます。
『ベル・エポック』は人の世の生きざまを見事に描いた短編です。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。