空白の意味
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は多くの大学入試に出題されたデザイナー、原研哉氏の代表作『白』を題材にして考えます。
筆者はグラフィックデザイナーとして、広告やイベントなどの企画デザインを多く手がけています。
この『白』というタイトルの著作は、東大、早稲田大、学習院大、成蹊大、学習院女子大、フェリス女学院大等で出題されました。
日本人の美意識の根幹に触れる著作です。
ポイントは白という色の持つ意味合いです。
白は光の色を全て混ぜあわせたときの色です。
同時に絵の具やインクの色を全て引いていくと白になります。
白はわかりやすく言えば、あらゆる色の統合であると同時に無色そのものなのです。
それだけに特別な色でもあります。
もっといえば、より強く間や余白を感じさせます。
同時に時間と空間を飛び越えてしまう抽象的な概念も、含みこんでいるのです。
なぜ日本人は白を好むのか。
あるいは空白を愛するのか。
その理由を深掘りしていったのが、この作品です。
筆者の表現を借りれば、白には「エンプティネス」と呼ばれる空白があります。
「エンプティ」というのは中身が空であることをさすのです。
何もない状態には、圧倒的な想像力が必要となります。
まさに何もない無の領域がどこまでも広がることを意味します。
ここでは安土桃山時代から江戸初期にかけて活躍した、長谷川等伯を題材に扱った文章を読みます。
小論文の課題として、キーワードを探りながら読んでください。
課題文
白は時に「空白」を意味する。
色彩の不在としての白の概念は、そのまま不在性そのものの象徴へと発展する。
しかしこの空白は、「無」や「エネルギーの不在」ではなく、
むしろ未来に充実した中身が満たされるべき「機前の可能性」として示される場合が多く、
そのような白の運用はコミュニケーションに強い力を生み出す。
空っぽの器には何も入っていないが、これを無価値と見ず、何かが入る「予兆」と見立てる創造性がエンプティネスに力を与える。
このような「空白」あるいは「エンプティネス」のコミュニケーションにおける力と、白は強く結びついている。
日本美術の中で、最も人気のある作品のひとつに、長谷川等伯の「松林図」がある。
これは六曲一双すなわち六枚つながりの画面が左右一対に配された屏風である。
勢いのある筆触で松林が描かれているが、この作品の中には様々な白や空白が運用されている。
第1には松の木そのものが荒い筆使いで描かれており、必ずしも緻密な写実性をもたない
この筆致によって僕らはむしろリアルな松を想起させられてしまう。
ラフな筆触の荒削りな刺激に触発されて、記憶の引き出しから、松林の詳細な風情が誘い出されるようだ。
松林図はモノトーンの茫漠とした絵画である。(中略)
さらに、この絵は、松の木を描いているというよりも、松の木々の間の空間を描いているように見える。
画面に描かれた主役は松の木々ではなく、むしろ霞む木々を手がかりに大気そのものを描いているという感じか。
松林が空間の奥に向かうにしたがって朦朧となり、白い空間の中に溶けていく。
白い空間は不在としてではなく、その向こうに無数の松を蔵する濃密な奥行きとして意識される。
大気は密度と運動をはらんで絶妙な質感に満ち、見る者は、感覚をその白い空間の媒質の中に心地よく漂わせることができるのだ。
澱みのある湿潤な余白の中に自在に視線を泳がせていく浮遊感がこの絵の生命であると言ってもいい。
このような、何もない空白に、細密な描写以上の豊かなイマジネーションを見立てていくという、逆説的な絵画表現を日本人は尊び育んできた。
長谷川等伯の松林図はそのひとつの典型である。
「白紙も模様のうちなれば心にてふさぐべし」とは江戸時代の絵画の技法書『本朝画法大伝』に記された言葉である。
描かれていない空白地帯を情報のゼロ地帯とは見なさない。
それどころか、そこにこそ意味の比重を加算しようとする心性が日本の美意識の重要な一端を作っている。
そこに「白」の、コミュニケーションのコンセプトとしての重要な側面がある。
具体例に着目する
設問は次の通りです。
筆者のいう日本人の美意識について、あなたはどう考えるか。
具体例をあげて800字以内で論じなさい、いうものです。
一種の日本人論と考えて論を立てましょう。
確かに日本画にはたくさんの空白があります。
キャンバスの全て色で覆うという描き方はしません。
大きな屏風の中心に絵があるだけで、他には何も描かれていないといった構図のものもあります。
なぜ日本人はこうした絵画表現を好んできたのでしょうか。
設問はあなたがどう考えたのかを、具体例をあげて答えよというものです。
具体例と言われると、かなり難しくなりますね。
ここでは必ずしも絵画にこだわる必要はありません。
描かれていない部分、あるいは何もない空間に、イメージの生成を呼び起こすような装置があるのかどうかを考えることです。
解答を書くには、ある程度の知識が必要になります。
教養と呼んでも差支えがないかもしれません。
日本文化とエンプティネス
あなたが最初にイメージできる日本文化は何かというところから、このテーマを絞っていきましょう。
すぐに思い浮かぶのは芸術です。
絵画、能、狂言、歌舞伎、笛、文芸など、いくらでも考えられます。
定型の俳句、短歌なども余白とは深い関係がありそうです。
さらに日本人が長い間慣れ親しんできたものに何があるのか。
建築物なども例になるかもしれません。
たとえば、茶室などはどうでしょうか。
茶の湯の醍醐味はどこにあるのか。
それはまさに何もない空の茶室そのものです。
あらゆる装飾を全て取り去り、残っているものは狭い部屋だけです。
そこに必要なものは何か。
季節の花一輪の中に、満開の風情を想像します。
そこで供される茶菓子の中に、あらゆる幻想を見るのです。
あるいは庭も同様です。
生け花もそれを1つの庭にまで広げられる想像力があれば、世界は一気に広がります。
盆栽などもまさにそうした想像力がつくりあげる、世界の緊張と言っていいでしょう。
そこには何があるのか。
筆者の言葉でいうところの「エンプティネス」です。
全てが「空」であることが作り出す豊穣と言っていいでしょう。
長谷川等伯の絵にみる空白と、同じ性質のものです。
西洋の美意識とは明らかに違うものを感じ取る必要があります。
それを自分の言葉で書ききってください。
何度も練習しましょう。
なんとなくわかったような気で書いても、評価は高くなりません。
あなた自身の言葉で説明をつくすことです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。