いたりきたり
みなさん、こんにちは
元都立高校国語科教師、アマチュア落語家のすい喬です。
今回は久しぶりに落語のネタをご紹介します。
上方の噺家、桂枝雀師匠が亡くなったのが、1999年です。
あれから随分と月日がたちました。
不世出の人でしたね。
桂米朝の弟子になり、正統的な上方落語を話していたと思ったら、突然はじけて枝雀ワールドに変身してしまいました。
今でもたくさんの動画がYoutubeに残っています。
暇な時は、時々覗いています。
どれも面白いですね。
極端から極端への芸です。
しかし底はし~んと静かなんです。
シニシズムもあり、ニヒリズムも漂っています。
人間の本質をつねに考えていた人です。
「緊張」と「緩和」という言葉を好みました。
極度にお客を引っ張って、ストンと離すのです。
だからどうしようもなくなって、みな笑いこけます。
爆笑の渦です。
その間、ぼんやりと高座に座っているのです。
不思議な落語家でした。
むしろ思索家の片鱗も持っていた人です。
たくさんの持ちネタの中で、気に入っているのが「いたりきたり」です。
これは大阪弁の表現ですね。
本当は「行ったり来たり」が正しいのでしょう。
自作です。
短い噺ですが、そこには彼の哲学があります。
あらすじ
登場人物はたった2人。
主人公とその友達だけなのです。
飼っているペットの話を、主人公は友人に訊かれます。
そこでちょっとだけ話をすることになりました。
うちの裏の竹林に行ったところ、そこに小さな穴があってね。
その穴から出たり入ったりしていたのが、「いたりきたり」だったんだ。
翌日そこをまた通りかかると、穴の前を行ったり来たりしていたのが、「でたりはいったり」だったの。
名前はちゃんと図鑑で確認したから、間違いないよ。
ヘンな名前だな。
出たり入ったりしてるのが「でたりはいったり」で行ったり来たりしてるのが「いたりきたり」じゃないの。
そうじゃないんだ。逆なの。
だって勝手に名前をかえられないでしょ。
友人は次にどんな格好をしてるのか、しきりに聞きたがります。
イタチに似てるけど、それより小さく、白っぽくて毛が長くてフワフワっとしてるの。
何を食べるんだ?
とったりみたり。
それ、どこにいるの?
ペットショップで売っているんだ。
ところがね、2匹ともカゴにいれたら元気がなくなっちゃったんだよ。
そこで主人公はカゴの中に、穴を開けた仕切りを入れたら、いたりきたりはその穴を出たり入ったりして元気になったと言います。
行ったり来たりしていた「でたりはいったり」は細長いカゴにしたら、その中を行ったり来たりしてして元気になったと友人に説明するのです。
その他に何か飼っているの?
もっと下等な動物で、ナマコみたいで白くて毛が長くてフワフワとしてるのも飼ってる。
2匹とも空いていた金魚鉢に入れてるんだ。
名前はなんていうの。
「のらりくらり」と「ねたりおきたり」。
生きているんだから何か食べるんだろう。
そりゃ食べるよ。
エサの名前は、「くうたりくわなんだり」なんだ。
世の中は相対的なもの
「のらりくらり」は、およそ逆らうということを知らないと主人公は説明します。
生き者は反射という行動をするものですが、何をされてもそのまんまだというのです。
ここからが枝雀流の哲学です。
「いたりきたり」をじっと見てると、サラリーマンが新幹線のひかりで東京まで行って、その日の内に帰って来ても、結局ずっとそこにじっとしているようなもんだ。
「いたりきたり」と同じだというのです。
結局、忙しくしてるだけで、どこにも行ってないみたいなもんでしょ。
「のらりくらり」と「ねたりおきたり」だって、普通はハシで押されたら押し返すけれど、これは押されたら押されっぱなし、引っ張られたら引かれ放しなんだよ。
悪口言われたら反発するのが、人間だけれど、本当に悪かったら直せば良いし、悪口言った方が間違えていたら恥ずかしいことになったりもする。
何も反論することないなんてないんだ。
絶対なんてものもない。
そう考えればすごく心が軽くなるよ。
この部分は、少しお説教の匂いがしないでもありませんね。
実際に演じる時は、心して軽い感じでやるのがポイントです。
枝雀の独特な表情と語り口は実に柔らかいですからね。
この段をどう扱うかで、噺の成否が決まります。
オチ
友人はそこでこんなことを言います。
それを聞いていたらぼくも何か飼いたくなったな。
そうか、じゃあ、1匹譲ってもいいのがいるんだ。
それは良かった。
名前はなんていうの?
ねごたりかのたり(願ったり叶ったり)だ。
この噺のキモははいつも出たり入ったりしているものの、一方からみれば「出ている」しもう片方からみれば「入っている」というところです。
どっちから見るかで、世界はガラリとその姿をかえます。
「でたりはいったり」はいつも行ったり来たりしているとはいうものの、結局はいつも同じ場所にいる。
「のらりくらり」は他の生き物と違って、押されると押し返すのではなく押されたら押されたままでいる。
ものの見方はなんでも多面的であるということです。
もっといえば、相対的でしかないのです。
自分の視点ががどこにあるかで、世界はガラリとその姿を変えます。
そのことに気がつかなければ、結局は大局を見誤るという論理なのです。
桂枝雀の他にこの噺をやったのは、亡くなった5代目円楽です。
現役では桂雀々が演じています。
アマチュアでは、悶々亭夢ん生がいい味を出しています。
ぜひ、彼らの動画を探してみてください。
しかし実際に自分でやろうとなると、かなり難しいです。
特有の間と話し方のゆるさがないと、この噺は緊張だけになってしまいます。
ゆるい感じでできる咄家だけに、許されたネタかもしれません。
関西弁の人は、こういうナンセンスモノが得意ですね。
江戸弁ではなかなか難しいです。
羨ましいかぎりです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。