【落窪物語】継子いじめの果てに掴んだシンデレラ姫の幸せストーリー

継子いじめ

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は『落窪物語』を扱いましょう。

このサイトに登場するのは初めですね。

平安時代の物語で、全四巻からなります。

作者は男性のようですが、よくわかっていません。

10世紀末ごろ成立したといわれています。

首尾一貫した構成をもつ作品で、『源氏物語』をはじめ後代の文学に大きな影響を与えました。

残念なことに高校ではほとんど学習しません。

本当に古文が好きな生徒向けの選択科目の中で、扱う程度でしょうか。

「落窪」というタイトルがとてもユニークです。

文字通り落ち窪んだ部屋のイメージから名付けられました。

主人公は中納言忠頼の娘です。

姫君は寝殿の隅にある、畳の落ち窪んだ汚い部屋に住まわされます。

継母からの壮絶ないじめにあうのです。

しかし、結末は右近の少将に見初められ結ばれて幸せになるという、まさにシンデレラストーリーそのものです。

世界中でも継子いじめの話は珍しくはありません。

しかし日本ではどうなのでしょうか。

古文にもこういう世界があるのだという例ですね。

ストーリーはごく単純なものですが、当時の貴族社会の様子がよくわかります。

今回の話から、登場人物それぞれの思いを読み取ってください。

内容は落窪の君の父である中納言が、病床にあって大納言になれない不遇を嘆いています。

落窪の君の願いを受けて、婿の大将が自分の兼ねている大納言の官職を譲り、望みを遂げさせてあげるという美談です。

味わって読んでみてください。

本文

かくて、やうやう中納言重く悩み給へば、大将殿、愛ほしく思し嘆きて、修法など数多あまたせさせ給へば、

中納言「何かは。今は思ふことも侍らねば、命惜しくも侍らず。煩はしく何かは折りせさせ給ふ」と申し給ふ。

弱る様日なり給へば、「なほ死ぬべきなめり。今しばし生きてあらばやと思ふは、我が年頃沈みて、昨日今日の若人どもに多く越えられて、なり劣りつるになむ、恥に思ひける。

我が君のかばかり顧み給ふ御世に、命だにあらば、なりぬと思ひぬるに、また、かく死ぬれば、我が身の大納言になるまじき報いにてこそありけれど、

これのみぞ、飽かず思ゆること。

さては、老い果ての面立(おもだ)たしさは、おのれに勝る人、世にあらじ」とのたまふを、大将聞き給ひて、哀れに思ゆること限りなし。

女君「やがて大納言をかな。一人なし奉りて、飽かむことなしと思はせ奉らむ」とのたまふを聞き給ひて、げに、させばや、と思せど、員(かず)より外の大納言になさむことは難し。

rawpixel / Pixabay

人の、はた取るべきにあらず、我を許さむの御心付きて、父大殿の御許に詣で給ひて、「かくなむ思ひ給へるを、幼き者ども多く侍れど、

それが徳を見すべく、行く末あるべきことにもあらぬ代りには、このことをなむ、と思ひ侍る。御気色、よろしう定めさせ給へ」と申させ給ふ。

「何かは。さ思はむを、早うさるべき様に奏を奉らせよ。大納言はなくても、悪しくもあらじ」と、

我が心なる世なればと思してのたまへば、限りなく喜び給ひて、申し給ひて、奏し奉らせ給ひて、中納言、大納言になり給ふ宣旨下し給ひつ。

これを聞きて、大納言、煩(わづら)ふ心地に、泣く泣く喜び給ふ様、親にかく喜ばれ給ふに、功徳ならむと見ゆ。

現代語訳

やがて、中納言の病いは重くなり、左大将殿は、気の毒に思って悲しみ、加持祈などを多く行わせました。

中納言は「どうしてそれほどにしてくれるのですか。今は思い残すことはなく、命など惜しくありません。面倒なことだろうにどうして祈祷などなさるのでしょうか」と申しました。

中納言は日に日に弱って、「そろそろお迎えが来る頃だ。今しばらく生きていたいと思うのは、わしは年老いてから昇進もなく、

昨日今日出仕したような若者に多く位階を越えられて、下位に甘んじていることを、恥と思っていたのです。

左大将の君が目をかけてくれたので、命さえ続けば、いつか大納言になれると思っておりました。

しかしこのまま死んで行くのも、大納言にはなれぬ我が身の罪の報いでしょう。

もし大納言になれたなら、老いぼれた我が身にとってこの上なく名誉なことです、

わたしに勝る者など、世の中にはいないと思っております」と申すのを、左大将が聞いて、たいそう気の毒に思ったのでした。

落窪の君が「いずれは大納言をと願っていたのですね。なんとか大納言にして差し上げて、長年の願いを叶えてあげたい」

と言ったのを聞いて、左大将は、なんとかしてと思いました。

しかし人数が決められていて難しいことだったのです。

他人の位を取り上げることもできず、左大将は自身に許された位を譲ろうと思って、父の左大臣のところを訪ねました。

「わたしの位を中納言殿に譲りたいと思っています、わたしには幼い子どもたちがたくさんいますが、子どもたちに徳を授けたいと思うのです。

ですから、中納言殿に大納言の位を譲ろうと思います。

どうでしょうか、父上の思うままにお決めくださいと申しました。

左大臣は「何も問題ない。お前がそう思うのならば、一刻も早くそのことを帝に奏上しなさい。

大納言の位を失ったくらいで、大したことはなかろうと言うと、左大将はとても喜びました。

朝廷に『大納言の位を譲る由』を申して、帝に奏上し、帝は中納言を、大納言に就ける宣旨を下されました。

これを聞いて、中納言は病いに煩いながらも、泣いてよろこんだのです。

落窪の君の父親にこれほどよろこばれて、左大将はきっと功徳になることだろうと心から思ったのでした。

官職を譲る

昔に限らず、現在も役職というのは重い意味を持っていますね。

最近の若者はあまり偉くなりたくないという人が多いようですが、さてどんなものでしょうか。

地位にこだわるのは、男性も女性も同じです。

日本はタテ社会ですからね。

かつてはとんでもない男性優位社会でした。

さぞ官職の高低にはこだわりが強かったことと想像されます。

ここではそれを義理の父親のために譲るというのです。

この話はどういう意味を持っているのでしょうか。

話の大切なツボがまさにそこなので、少し説明しましょう。

右大臣の子であり、落窪の君の夫である道頼は近衛大将と大納言の官職を兼ねています。

このように2つの官職を兼ねているために、大将は大納言の地位を譲るといい、父大臣は「大納言の地位を差し上げなさい」と言っています。

kareni / Pixabay

当時の貴族は太政官の官職(大臣、納言、参議)などに加えて別の官職を兼ねることがよくありました。

近衛中将と参議を兼ねると、「宰相中将」、近衛中将と蔵人所の長官、蔵人頭を兼ねると「頭(とう)の中将」と呼ばれたのです。

頭の中将は『源氏物語』に出てきます。

主人公、光源氏の親友です。

道頼からみれば義父ですが、女君たちの間にいる幼い子供たちにとって、中納言は祖父にあたります。

中納言に対して孝養をつくせる頃にはもう、重病の祖父はいないというワケです。

それならば、大納言の職を譲って、子どもたちの代わりに自分が親孝行をしようと決心したのでしょう。

なんとも心温まる話ですね。

当時の官職の持つ意味を調べると、この話の醍醐味がより一層理解できると思います。

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誰もが少しでも上の官位を得ようとして、汲々としていたのが実態なのです。

今回も最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

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