芦刈伝説
みなさん、こんにちは。
今回は『大和物語』を取り上げます。
高校ではこの段をやっていない記憶があります。
全段が少し長いので、似たような話のある『伊勢物語』にその場を譲ったのでしょう。
しかし仔細に読んでみると、実に味わいのあるいい章段です。
夫婦の情がよく出ていて、後に、この話から谷崎潤一郎は名作『蘆刈』の着想を得たと言われています。
ぼく自身、つい先日も読み返しましたが、思わず感じ入るところが多々ありました。
どこまでが本当で、どこからが創作なのか、境界がはっきりとしません。
最後に忽然と消えてしまう語り部の姿が、今も目の前に残っています。
『大和物語』の原作とは違うところもありますが、根は続いているのです。
作家の想像力の豊かさを知る上でも、お勧めしたいです、
『吉野葛』とあわせて所収されている本がありますので、是非ご一読ください。
また世阿弥はこの話から、能をつくりました。
現在も上演されています。
こちらも機会がありましたら、是非ご覧ください。
能は見始めると、だんだんその世界に入り込んでいきます。
詞章と呼ばれる言葉の流れをいちいち確認する必要はありません。
静かな舞台を見ながら、太鼓と鼓、笛の世界に浸るだけで、異空間を逍遥できます。
芦刈説話を扱った古典もいずれも悲しい結末のものが多いです。
しかし謡曲「芦刈」だけが幸福なエンディングを迎えます。
二百番近い能の中で、この作品は夫婦の心の触れ合いを賛美した演目なのです。
夫婦の愛情を肯定した異色作といってもいいでしょう。
悲恋で終わる能の中で、「芦刈」はユニークな位置を占めています。
原文(別れ)
「津の国の難波のわたりに家居して住む人ありけり」の段は大変長いです。
全文を載せるのは難しいので、割愛して一部分をご紹介します。
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津の国の難波のわたりに家居して住む人ありけり。
あひ知りて年ごろありける、
男も女も、いと下種(げす)にはあらざりけれども、年ごろ、わたらひなども悪(わろ)くなりて、家も壊(こぼ)れ、使ふ人なども徳ある所へ行きつつ、ただ二人住みわたるほどに、
さすがに下種にしあらねば、人に雇はれ、使はれもせず、いとわびしかりけるままに、思ひわびて、二人言ひけるやう、「なほ、いとかくわびしうては、えあらじ」。
男は、「かくはかなくてのみいますかめるを見捨てては、いづちもいづちもえ行くまじ」。
女は、「男を捨てては、いづち行かむ」とのみ言ひわたりけるを、男「おのれは、とてもかくても経(へ)なん。
女のかく若きほどに、かくてなんある、いといとほし。
京に上りて宮仕へもし、よろしきやうにもならば、われをもとぶらへ。
おのれも人のごともならば、必ず尋ねとぶらはん」など、泣く泣く言ひ契りて、便りの人に付きて、女は京に来にけり。
さしはへ、いづこともなくて来たれば、この付きて来し人のもとに居て、「いとあはれ」と思ひやりけり。
前に荻・薄いと多き所になんありける。
風なと吹きたるに、かの津の国を思ひやりて、「いかであらん」など、悲しくて詠みける。
一人していかにせましとわびつれはそよとも前の荻ぞ答ふる
となん、一人ごちける。
さて、とかく女さすらへて、ある人の、やむごとなき所に宮たてたり。
さて宮仕ひするほどに、装束(さうぞく)きよげに、むつかしきこともなくてありければ、いときよらかに、顔・形もなりにけり。(中略)
再会
難波に祓へして帰りなどする時に、「このわたりに、見るべきことなんある」とて、「いま少し、とやれ、かくやれ」と言ひて、この車をやらせつつ、家のありしわたりを見るに、屋(や)もなし、人もなし。
「何方(いづかた)へ往にけむ」と悲しう思ひけり。
「しばし」と言ふほどに、芦担(にな)ひたる男の、かたゐのやうなる姿なる、この車の前より行きけり。
これが顔を見るに、その人といふべくもあらず。いみじきさまなれど、わが男に似たりけり。
これを見て、よく見まほしさに、「この芦持ちたる男、呼ばせよ。かの芦買はん」と言はせけり。
さりければ、「用なき物、買ひ給ふ」とは思ひけれど、主(しう)ののたまふことなれば、呼びて買はす。
「車のもと近く担ひ寄せさせよ。見ん」など言ひて、この男の顔をよく見るに、それなりけり。
「いとあはれに、かかる物商ひて世経る人、いかならん」と言ひて泣きければ、供の人は、なほ、「おほかたの世をあはれがる」となん思ひける。(中略)
物をこそは賜はせんとすれ、幼き者などのやうなる」と言ふ時に、硯を乞ひて文を書く。
それに、
君なくてあしかりけりと思ふにもいとど難波の浦ぞ住み憂き
と書きて、封して、「これを御車に奉れ」と言ひければ、「あやし」と思ひて持て来て奉る。開けて見るに、悲しきことものに似ず。
よよとぞ泣きける。
さて、返しはいかがしたりけん、知らず。
車に着たりける衣(きぬ)脱ぎて、包みて、文など書き具してやりける。
さてなん帰りける。
のちにはいかがなりにけん、知らず。
あしからじとてこそ人の別れけめなにか難波の浦も住み憂き
現代語訳(意訳)
長いので、簡単に意訳します。
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摂津の国の難波のあたりに家を構えて住んでいる人がおりました。
仲良く暮らすようになっていたのです。
女も男も、さほど素姓の卑しい者ではありませんでしたが、ここ数年というもの暮らし向きなども思わしくなくなって、家も壊れ、召し使っていた者なども裕福な人の所に一人、二人と去って行きました。
それでも二人で住み続けていたのです。
暮らしが思うにまかせなくなったとはいえ、やはり卑しい身分ではなかったので、人に雇われたり使われたりもせずにいました。
しかし、どうにも暮らしが立たず苦しくなってきたので、思い悩んだあげく「やはりこう苦しくなってきては、このまま暮らしてゆくことはできないでしょう」と男は言いました。
「自分はどのようにしてでも生きることぐらいはできます。でも女のあなたがこんなに若いうちにこんなみすぼらしい暮らしをしているのは、とても見ていられません。
京に上って宮仕えをして、今よりもましな状態にでもなったら、私を訪ねてください。私も人並みの暮らしが出来るようになったら、必ずあなたを訪ねて行きましょう」などと泣く泣く言って再会を約束しました。
女はその後、知り合いを頼って、京にのぼっていきました。
上京しても、男のことがしみじみと恋しく思いだされます。
風などが吹いている時にはあの津の国を思いやって、今ごろどうしているだろう、などと悲しくなったのです。
女はあちらこちらさすらった後、ある身分の高い人の所に宮仕えをすることができました。
やがて暮らしの上でわずらわしいことなどもなくなり、顔かたちもたいそう美しくなりました。
けれども、あの津の国のことを片時も忘れず、男のことを恋しいと思いやられてなりません。
夫婦の愛情表現
ここからが、この話の最も味わい深いところになります。
それを助けているのが2つの歌です。
(男)君なくてあしかりけりと思ふにもいとど難波の浦ぞ住み憂き
(女)あしからじとてこそ人の別れけめなにか難波の浦も住み憂き
「芦刈」と「悪(あ)しかり」が掛詞になっています。
「あしかり」というのは「よくない、具合が悪い」という意味です。
男の歌は、あなたがいなくなって芦刈までして苦しい生活をしてきました。
別れなければよかった。難波の浦は住みづらいところですという意味です。
男は女にあわせる顔がなかったんでしょうね。
とっさに人の家に入ってかまどのうしろに隠れたくらいです。
それでもあの男をつれてきてと叫んだ女の真心が痛いです。
男の歌に対する女の返歌は、別れても悪くはならないといって私と別れたのでしょう。
難波の浦がどうしてそんなに住みづらいのですかという、恨みと愛情が複雑にからみあっています。
会いたかった嫌いではない男だからこそ、、気持ちが高ぶってしまったに違いありません。
いずれにしても複雑な愛情の表現を含んだ歌が、この話をいっそう味わい深いものにしています。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。