【格差病社会】あらゆる現象を説明するには便利な表現だが本当なのか

格差という言葉

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は加藤諦三の著書『格差病社会―日本人の心理構造』を読んで感じたことを少し書きます。

この本は今から15年ほど前に出版されたものです。

先日、なんの気なしに読みかえしました。

日本で格差社会という言葉が1人歩きを始めてから、どれくらいの月日がたつのでしょうか。

第1人者、橘木俊詔氏の『格差社会―何が問題なのか』 (岩波新書)が出版されたのは2006年のことでした。

今からかなり前ですね。

「格差」という事象の発端は、小泉構造改革による規制緩和と社会保障給付費削減から始まります。

この頃から所得格差が広がり、貧困層が増え始めていきました。

非正規雇用の増大です。

企業は正規雇用を次々と減らしていきました。

会社組織にそれだけの体力がなくなりつつあったのです。

同時に「自己責任」の大合唱が始まりました。

新自由主義。

確かに表現はきれいです。

しかしその裏側でフリーター、ニート、母子世帯、高齢者などの生活不安が現実のものになっていきました。

競争社会が拡がっていったのです。

雇用格差の実態にせまったこの本は、今でもバイブルの役割を果たしています。

大学推薦入試のテーマにも格差という言葉が躍り始めました。

今では誰もがこの表現を使います。

その現実を見ながら加藤諦三氏は、彼自身の格差論を展開したのです。

アメリカとの比較

アメリカとの比較が多いので、その全てが真実なのかどうかには疑問も残ります。

しかし参考になるところがいくつもありました。

それは日本よりはるかに厳しい競争社会であるアメリカでは、あまり格差ということを口にしないという指摘です。

加藤は言います。

現実の格差の大きさと、格差意識の深刻さとは関係ない。

日本にくらべてアメリカのほうが現実の格差ははるかに大きいが、格差意識は少ない。

日本のほうが現実の格差は小さいが、格差意識は大きい、と。

日本人が必要以上に横並び意識でやってきた理由はどこにあるのでしょうか。

その根拠は何であるのか。

そして今なぜこれだけ声高に皆が格差と叫ぶのか。

こに日本人の心性の根本があるからだろうというのが彼の推論の根拠なのです。

確かに日本人は長い間、年功序列や終身雇用をかたくなに守ってきました。

そこには傷つくことを恐れた日本人の心理的傾向があったからかもしれません。

そもそもアメリカには日本でいうところの「勝ち組・負け組」に対する言葉がないといいます。

日本では他人が自分よりはやくいい地位についたとしても、それは年齢が上だということで我慢もできました。

自分の将来も似た形で約束されていれば、人は心穏やかに暮らせたのです。

同一民族が多数同じ国土の上に住むこの国では、他者の感情をある程度容易に推察できてしまいます。

半ばは隠された嫉妬優先社会であったといえるのかもしれません。

そのため従来の日本人は、この国の風土にあった社会システムをつくりあげてきたとも考えられます。

年功序列社会の意味

年功序列や終身雇用をどれほど、日本の社会が大切にしてきたのかは、誰もがよく知っているところです。

なるほど、そう言われてみれば確かにそんな一面もあると感じました。

この指摘は、全く反対の方向から光をあてたという意味において新鮮でしたね。

なるほど、シニックな見方をすれば、そういう側面があるかもしれません。

多くの格差を怖れるが故に、日本人がつくりあげたシステムと考えれば、整合性は十分にあり得ます。

次は自分の番だと思えば、焦りも消えます。

勝ち負けということも、根本的には起きません。

順番にその時を待っていればいいのです。

妙な言い方ですが、噺家が真打になるのを待っているようなものです。

入門してほぼ15年ほど過ぎれば、誰でもが真打になれるのです。

時に入門の順番(香盤)を通り越して、真打に抜擢されたりすると、本人も抜かれた噺家たちも、居心地が悪くなるのです。

最近は地道に働いてお金を稼ぐというより、より短期的に楽をして稼いだ方がいいという風潮もあります。

ユーチューバーがこれほど多くの人に影響を与えられる存在になるとは、想像もしていませんでした。

テレビのCMにまで登場するに至っては、子供たちが憧れるのも無理はありません。

実際は大変地道な苦労もしているのでしょうが、それは外には見えないのです。

いかにも楽をして大金を稼ぐ時代の寵児でもあります。

あるいは株の売買で多額の利益を得るような人もいますね。

かつてお金を儲けて何が悪いというような、あからさまな発言をした投資家もいました。

彼らのメンタリティーはどのようにして生まれたのでしょうか。

額に汗して働いてはいないが、金を儲けている人は堕落することはないと多くの若者たちは考えているようです。

お金の儲け方などいう本を出版し、関連のユーチューブを盛んに流している人もいます。

精神の崩壊

1日中、パソコンを見てデイトレードしている人たちに憧れる現実も確かにあるのです。

しかし50才までこんなことをしていたら、必ず精神が破壊されると著者は言い放っています。

その表現はある意味で力強いものです。

最小の労働で最大の利益が、現代のテーゼでもあります。

だからこそ、デイトレーダーたちの奇跡に満ちた物語も生まれるのでしょう。

彼らは半ば憧れを具現化した存在でもあるのです。

生産性とか、効率性優先で常に自己改革をせまられるアメリカ型社会を日本にそのままの形で導入し、果たしてうまくいくのでしょうか。

一方で、働き方改革も大きく叫ばれています。

ジョブ型雇用の是非なども論じられているのです。

これも大きな課題です。

この路線が進むと、さらに格差社会が広がる懸念もあります。

つい最近、骨休めのため温泉旅館を探しました。

その時に気づいたのは、あまりにも宿泊料と施設に差があることです。

かつても当然のように料金の差はありました。

しかし今ほどではなかったような気がします。

日本人の中間層が次第に細くなり、豊かな人々の直下に、貧しい人たちが大勢ぶら下がっているのだと感じました。

ストレス社会は悲鳴をあげています。

どういう処方箋が有効なのか。

経済のシステムももう限界に近く、うめき声をあげています。

その中で、経済的に恵まれた人と、そうでない人との差はますます拡がりつつあるのです。

いろいろな意味で、たくさんのことを考えさせられる本でした。

内容の全てに同意できたわけではありません。

しかしその中には示唆に富んだ視点があったことだけは付け足しておきます。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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