【山月記・中島敦】臆病な自尊心と尊大な羞恥心のゆえ虎になった男の話

山月記

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は中島敦の名短編『山月記』をとりあげます。

この小説を高校で習わなかったという人はほとんどいないでしょう。

必ず教科書に所収されています。

自我が芽生え、他者と自分との境に悩んでいる高校生の時期に誰もが読む作品です。

特にキーワードとして、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」という2つの表現が目につきます。

誰でもがプライドを持って生きています。

その形が次第にはっきりしてくるのが、高校2年生頃なのです。

そこへ向けて、この作品をぶつけるため、強い印象を与えるようです。

高校で習った小説で何がよかったというと、たいていの生徒が『山月記』をあげます。

漢文がメインなので、言葉は難しいです。

しかし自尊心と羞恥心が人を虎にかえてしまうという話には共感するようです。

筆者は中島敦。

わずか33歳で病没しました。

作家になりたかったものの、すぐには叶わず高校の教員をしながら、作品を書きました。

鬱々たるものが心の中にあったのでしょう。

自分の才能がすぐに認められず、つらい日々を過ごしたようです。

その時の気持ちがこの作品の主人公、李徴には反映されていると思います。

中島敦は多作の作家ではありません。

わづか20篇たらずしか残されていないのです。

圧倒的に多いのは中国の古典に材をとった小説です。

そのなかでも『李陵』『名人』『弟子』『山月記』などはとても評価が高いです。 

冷徹な自己分析による硬質な文体が、芸術性を保ち続けています。

難解な漢字の読みが続くので、最初は大変に読むのがつらいです。

しかしその響きの中に没入すると、心地のよさが光ります。

ぜひ、声に出して読んでみてください。

全てをここに載せることはできないので、青空文庫などで検索してみましょう。

本文(李徴が虎になるまで)

隴西(ろうせい)の李徴は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に補せられたが、性、狷介(けんかい)、自ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔(いさぎよ)しとしなかった。

いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略(かくりゃく)に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。

下吏(かり)となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。

しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。

李徴は漸(ようや)く焦躁に駆られて来た。

この頃からその容貌も峭刻(しょうこく)となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに炯々(けいけい)として、曾(かつ)て進士に登第(とうだい)した頃の豊頬(ほうきょう)の美少年の俤(おもかげ)は、何処に求めようもない。

数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。

IanZA / Pixabay

一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。

曾ての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才(しゅんさい)李徴の自尊心を如何に傷けたかは、想像に難くない。

彼は怏々(おうおう)として楽しまず、狂悖(きょうはい)の性は愈々抑え難くなった。

一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、遂に発狂した。

友人、袁傪との再会

翌年、監察御史(かんさつぎょし)、陳郡の袁傪(えんさん)という者、勅命(ちょくめい)を奉じて嶺南(れいなん)に使し、途(みち)に商於(しょうお)の地に宿った。

次の朝未だ暗い中に出発しようとしたところ、駅吏(えきり)が言うことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白昼でなければ、通れない。

今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜しいでしょうと。袁傪は、しかし、供廻りの多勢なのを恃み、駅吏の言葉を斥けて、出発した。

残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎が叢(くさむら)の中から躍り出た。

虎は、あわや袁傪に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隠れた。

叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟くのが聞えた。その声に袁傪は聞き憶えがあった。驚懼(きょうく)の中にも、彼は咄嗟に思いあたって、叫んだ。

「その声は、我が友、李徴子ではないか?」

虎になった理由

今から一年程前、自分が旅に出て汝水のほとりに泊った夜のこと、一睡してから、ふと眼を覚ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでいる。

声に応じて外へ出て見ると、声は闇の中から頻りに自分を招く。

覚えず、自分は声を追うて走り出した。

無我夢中で駈けて行く中に、何時しか途は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地を攫(つか)んで走っていた。何か身体中に力が充ち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えて行った。

気が付くと、手先や肱のあたりに毛を生じているらしい。

少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映して見ると、既に虎となっていた。

自分は初め眼を信じなかった。

次に、これは夢に違いないと考えた。(中略)

理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。

自分は直ぐに死を想うた。

しかし、その時、眼の前を一匹の兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。

再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口は兎の血に塗れ、あたりには兎の毛が散らばっていた。

これが虎としての最初の経験であった。

それ以来今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。

ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還って来る。

そういう時には、曾ての日と同じく、人語も操れれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書の章句を誦(そら)んずることも出来る。(中略)

他でもない。自分は元来詩人として名を成す積りでいた。

しかも、業未だ成らざるに、この運命に立至った。

曾て作るところの詩数百篇、固より、まだ世に行われておらぬ。

遺稿の所在も最早判らなくなっていよう。

ところで、その中、今も尚記誦(きしょう)せるものが数十ある。

これを我が為に伝録(でんろく)して戴きたいのだ。

何も、これに仍って一人前の詩人面をしたいのではない。

作の巧拙(こうせつ)は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。

悲しい詩

この小説には本文中に詩が添えられています。

なんとも悲しい詩ですが、主人公の気持ちが伝わってくるだけにやりきれません。

しかし袁傪はその詩がすばらしいものであるとは思うものの、超一流と呼ぶには何かが足りないと感じたのです。

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偶(たまたま)狂疾(きょうしつ)に因りて殊類と成り

災患相仍(よ)りて逃(のが)るべからず

今日(こんにち)爪牙(そうが)誰か敢へて敵せんや

当時声跡共に相高し

我は異物と為る蓬茅(ほうぼう)の下(もと)

君は已に軺(よう)に乗りて気勢豪なり

此の夕べ溪山(けいざん)明月に対し

長嘯(ちょうしょう)を成さずして但だ噑(こう)を成すのみ

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心を病んでしまったことから、人間ではない種類の生き物になってしまい、災いが次々と起こり逃れることができませんでした。

今となっては、誰がこの爪や牙に敵として向かってくるでしょうか。

昔は君も私も優秀で、評判がとても高かったです。

EliasSch / Pixabay

しかし今、私は人間と異なる種類の生き物になって草むらの中におり、君は車に乗るような身分に出世して勢いが盛んです。

この夕暮れのもと山や谷を照らす月に向かって私は詩を吟じることなくただ吠えるばかりです。

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現代語訳は以上の通りです。

李徴は臆病なプライドの犠牲者といってもいいでしょうね。

役人にはなったものの、その境遇に満足せず、詩人となることを決意します。

しかしそんなに容易な道ではありません。

やがて屈折した果てに、変身してしまうのです。

その後、李徴の前に数少ない友人だった袁傪が現れます。

李徴は「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」が自分を虎にかえたと自己分析をします。

同じような感情を持つ若者は今も多いのではないでしょうか。

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『山月記』は自分を冷静にみてとることの必要性を知る年齢にふさわしい小説だと感じます。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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