人生100年
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
月日は百代の過客だといったのは俳聖、松尾芭蕉です。
何代にもわたって過ぎていく旅人のようなものだという意味です。
光陰矢の如しとも言いますね。
50年と聞くと、ものすごく長いような気がします。
しかしふっと自分の人生をふりかえってみると、50年は早いです。
おそらく100年も瞼を閉じた一瞬と同じようかもしれません。
かつて劇作家の別役実が書いた死なないドラキュラの芝居を演出したことがあります。
タイトルは『ドラキュラ伯爵の秋』です。
死ねないドラキュラが苦しみぬくという不思議な話でした。
確かに100年は長いですね。
生き残るというのはそれだけで大変なことです。
マスコミはよく簡単に口にしますが、実際に100年の間認知症にもならず、元気に他者とコミュニケーションを取り続けるというのは至難の業です。
コロナ禍が少しおさまってきたので本屋さんを訪ねることも多くなりました。
いろいろな雑誌を眺めているうちと、生き残るという言葉がたくさん出てくるのに気づきます。
1番多いのが「今後生き残る企業100」などというタイトルです。
あたりまえのことですが、会社が失われれば生活の基盤がなくなってしまいます。
それでは困るというワケで、少しぐらい給料が下がっても仕事を分け合って生き抜いていこうという思想も現れました。
ワークシェアリングという考え方がそれです。
全員が正社員というのは無理だというので、非正規の枠もできました。
春闘も今は夢
春闘という今となっては少し懐かしい響きを持つ賃金闘争があります。
もちろん、今も毎年繰り返されています。
しかしその中身は以前と全く違います。
非正規の人にとって春闘は対岸のできごとのようなものです。
賃金があがらない。
労働条件が改善されない。
社会補償なども、正規と非正規では明らかに違います。
いくらでも問題が山積しているのです。
時代は確かに変わりつつあります。
誰もがまんべんなく幸福になるというイメージはもう遠いものなのかもしれません。
作家の村上龍はかつてエッセイの中でもう人々に共通の幸福はないと書いていました。
個人がどのように自分の幸福観をつくりあげ、そこで喜びを得るかが真の課題だというのです。
高度経済成長の時代に夢見た、全体の幸せという考えは幻想でしかなかったのでしょうか。
生き残れる会社に所属していない人はどうすればいいのでしょう。
やはりカメになってじっと耐えていくべきなのでしょうか。
今日も箱根駅伝の予選会を見ていて、いろいろなことを感じました。
かつて学生ランナー屈指の逸材として持ち上げられた人が、今はある大学の監督をつとめています。
10年近く指導した結果、やっと今年予選会を通過しました。
お正月の駅伝に出られることになったのです。
今や高視聴率をとれる正月恒例の特番ですからね。
彼が調子を落とし、途中でリタイアした時のことがはるか以前だったというのが嘘のようです。
2002年の出来事でした。
実に20年前です。
リタイア
途中で走れなくなってリタイアしました。
その瞬間のことは直前まで考えられなかったに違いありません。
それ以降も何校か途中で涙をのんだ大学がありました。
身体が十分できていないのに走りすぎたためだと思われます。
以前はこれほど途中で棄権するということがなかったと聞きます。
破竹の勢いで勝ち続けたある大学が以前闘いを放棄した時は、本当に驚きました。
が、今はそれほど珍しい光景ではありません。
ここでもカメになる訓練が必要になりつつあるのではないでしょうか。
ひるがえって自分の人生を考えた時、生き残るということは何を意味するのでしょう。
経済生活を最後までうまく行うということでしょうか。
愛情にあふれた人生を豊かに送るという意味かもしれません。
しかしどんな人間にも必ず死は訪れるのです。
俗に死に方の理想は「ピンピンコロリ」だと言いますが、こうしたポックリ死を迎えるために、どれだけの修行をつむ必要があるのでしょうか。
いずれにしても身体がきちんと機能しているということが基本です。
しかしその訓練を支えるものはやはり心なのでしょう。
どんな人間にとっても自分がいる場所の確認こそが一番大切なのです。
誰かのために生きているという実感がなくなった時、人は精神を荒廃させていきます。
藤沢周平
藤沢周平はぼくの大好きな作家の1人です。
市井のどこにでもいるような人間に張り付いてその心の内側を描いていきます。
それは彼が苦労して生きた人生そのものを描いているからでしょう。
読んでいると、思わず応援したくなります。
作品の中で最も好きなのは『蝉しぐれ』です。
この本は残るだろうと思います。
かつてNHKで放送されました。
内野聖陽の抑えた演技が見事でした。
映画にもなりましたが、テレビドラマの方がずっと上質の出来栄えでした。
もう一作。
『三谷清左衛門残日録』は、隠居して仕事が全くなくなった清左衛門が主人公です。
これもNHKで放送されました。
彼のところへ藩の難題を持ちかけては、生き甲斐を無理にでも掘り起こそうとする友人が登場します。
どんな人間にも火種は残っています。
そこへどう火をつけるか、後は1人1人の生き方の問題でしょう。
藩内の実に複雑な人間関係をうまく差配しながら、解決に導く手腕はさすがに老練というしかありません。
見事です。
しかし自分で火がつけられなくなった時、少しでもそばにいて助けてくれるほんのわずかの友人、あるいはネットワークを持っている人は幸せです。
社会から抜け落ちた時、1番こわいのは今までの人脈が失われることです。
特に利益だけでつながっていた人たちの間に、この傾向が強くみられます。
どこにでもいるごく当たり前の人間にとって、何が一番大切なのかをもっと考えなくてはいけません。
そのためにしばらくじっとして動かない時間があってもいいでしょう。
しかしあまりに長く途切れると、もう同じ舞台には上がれません。
そのあたりの微妙な間合いの取り方を考えなくてはならないでしょうね。
プライドだけは1人前で、手や足がついていかないというのはやはりまずいです。
大切な3つのこととはなんでしょうか。
①人間的な温かみに満ちた損得勘定抜きのいい友人を持つことです。
別の場所へ必ずうまく誘ってくれます。
②過去にこだわるプライドを捨てることです。
なまじ偉かった人は後が惨めです。
これが1番難しいのです。
③身体をつねに温め、健康でいること。
どんなことがあっても、絶対に冷やしてはなりません。
心も同様です。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。