【推薦入試・立川高】言葉のデジタル性は永遠の課題【2019年度】

学び

推薦入試の小論文

みなさん、こんにちは。

小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は都立立川高校推薦入試2019年度の過去問を検討します。

なぜこの問題を取り上げたかといえば、この年から中学3年生の添削も始めたからです。

はじめての経験でした。

もっぱら大学入試の小論文だけを長い間担当してきたので、新鮮な体験でした。

大学入試の場合は800字~1200字というのが普通です。

それが高校入試では300~600字くらいが中心なのです。

逆にいえば、大変に短い文章の中にエッセンスを詰め込まなくてはなりません。

もう1つは文系と理系の問題がセットになって1問ずつ出るところが多いのです。

大学の場合は受験する学部によって、出題内容もかなり変わります。

その点、高校受験ではオールマイティな力が要求されるのです。

かえって難しい面もありました。

テーマは学校によって様々です。

進学指導重点校ではかなり力を入れた問題が多いですね。

内容も幅が広いです。

自分の今までの体験やそこで感じたこと。

さらに高校でそれをどう生かしたいのかを書けといったタイプの問題はあまり出ません。

ほとんどが大学の小論文のパターンと同じです。

人文、社会、自然科学の3つの分野を網羅しています。

受験する生徒は相当勉強しなければ、合格は見込めないでしょう。

一般受験を視野に入れながら、小論文に備えるのは、かなりの力技です。

いい加減な気持ちでペーパーテストがないからなどという気持ちでは無理です。

やめておいた方がいいと思われます。

2019年度の問題

立川高校では毎年2問が出題されます。

文系と理系が1問ずつです。

この年の設問には言葉の問題が出ました。

出典は永田和宏『知の体力』からのものです。

歌人にして細胞生物学者という2つの表情を持つ人です。

夫人は歌人の河野裕子さんといったらわかるでしょうか。

この本は大学教育がどのようなものであるのかを解説した本です。

入学したばかりの学生に学ぶことの意味を教えるために書いたものなのでしょう。

ところがその枠をこえ、熱を持った生の声が次々と飛びだします。

高校教育までは正しい答えが1つある世界だと筆者はいいます。

しかし社会に出てみると、絶対的に正しい答えというものが必ずしもあるわけではない。

大学はその教育と実社会の間の緩衝帯であり、そのような教育を目指す必要があるというのです。

今回の出題では、その一環として言葉の問題をとりあげています。

問いは次のようなものでした。

本文を読んで、あなたは、人はどのような点に注意してコミュニケーションをとるのがよいと考えるか。

「言葉のデジタル性」について説明した上で300字以上360字以内で論じなさいというものです。

原稿用紙1枚にも満たない字数です。

キーワードは「言葉」「デジタル性」の2つだけ。

徹底的に切り込む能力が要求されました。

課題文があります。

この文章が最大のヒントです。

じっくり読み解いて内容を精査する必要があります。

しかし与えられた時間は2問で50分。

後半には自動車の燃費規制の問題が出題されました。

大変に厳しいです。

国語力だけでなく、時間配分などの能力も要求されます。

課題文全文

アナログとかデジタルという言葉も、もう普通に使われる言葉になってしまった。

デジタルはディジット、つまり指に由来する言葉である。指折り数えるというような、離散的な量の表示である。

アナログは連続量と訳されることが多いが、もともとはアナ(類似の)とログ(論理)に由来する言葉である。

ある量を別の何かの量に変えて表示すること。

時間という連続量を、文字盤の上の針の角度で類似させたり、温度を水銀柱の高さで近似させたりする、これらがアナログ表示。

いっぽう、デジタル時計では、連続量である時間を数値化する。

標本化するのだと言ってもいいだろう。

連続量を離散量に標本化する作業だから、どんなに細かく区切っても、量と量のあいだには空隙が残る。

われわれはアナログの世界に生きている。

1分、2分という区切りに関係なく時間は私のなかを流れているし、空気にもその匂いにも境日はなく、数えることはもちろんできない。

そんな世界にあって、感覚としてアナログを捉えることはできても、それを表現することはできないものである。

表現した途端にそれはアナログからデジタルに変換されてしまうからである。

アナログ世界は表現不可能性のなかでのみ成立しているとも言える。

「今日は38度もあった」と言えば、38度という数値は理解できるが、その人が感じている暑さは、38という数値のなかにはない。

何も数値化だけがデジタル化なのではなく、言葉で何かを言い表わす、そのことがすなわちデジタル化そのものなのである。

言葉で表わすとは、対象を取り出して、当てはまる言葉に振り分ける、すなわち分節化する作業である。

外界の無限の多様性を、有限の言語によって切り分けるという作業なのである。

人は自分の感情をうまく言い表わせない時、言葉のデジタル性を痛感する。

アナログとデジタルの境界

一読して理解できましたか。

言葉で何かを言い表すこと、そのものがデジタルなのだという内容が把握できればある程度は書けるでしょう。

どういう意味かをしっかり掴まえておかなければいけません。

連続した対象を切り取ることが言葉で表現する作業なのであるという基本的な認識を持つことが大切です。

その時に何が起きるのか。

それは当然切り取った直後から多様性が失われるということです。

さまざまな感情の襞がデジタル的処理によって切り取られてしまうのです。

表現はつねにそうした経緯で外に出ていきます。

自分の感情の全てを表出したものではありません。

そこに乖離感が生まれます。

やさしくいえば、もどかしさとでもいうのでしょうか。

こんなつもりでこの言葉を発したのではないという否定的な感情です。

アナログをデジタル化するということは、そうした事実の連続を積み重ねていく作業に他なりません。

そのことを基本的にきちんと捉えきれたのかどうか。

そこが採点者の見る1番のポイントになります。

ここで問いです。

人はどのような点に注意してコミュニケーションをとればいいのか。

言葉が全てをあらわしているワケではないという事実がポイントです。

その背後にたくさんの感情が隠れているのです。

想像力をたくましくして、相手の心と通底する努力を積み重ねるしかないでしょうね。

わずか400字程度でどれだけのことが書けるのか。

是非、1度試みてください。

自分の持つ言葉の力を信じて書いてみることです。

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その繰り返し以外に、本当の実力をつけるための方法はないと思われます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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