【小論文・監視社会】プライバシー保護と防犯カメラの関係は紙一重

学び
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記録装置の普及

みなさん、こんにちは。

小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は監視カメラの功罪について考えます。

最近、街中を歩いていて防犯カメラを見ない日はありません。

実にさりげなく、しかししっかりと設置してあります。

駅、商店街、交差点、駐車場、商業ビル…。

ありとあらゆる場所にあるのです。

日々起こる事件を防犯ビデオの映像で見る機会も多くなりました。

テレビで頻繁に流れていますね。

近年、監視カメラがなかったら、とても犯人をつかまえられなかっただろうという犯罪も増えています。

家畜を夜こっそりと盗み出すなどという事件や、自動販売機を壊して金銭だけを抜き取るなどいう光景を見せられると、何とも言えません。

つまり不審者を監視すれば防犯、自然現象を監視すれば防災、交通機関を監視すれば安全管理になるのです。

監視カメラの設置が本当に意味を持つのは抑止装置としてだけではありません。

むしろ証拠媒体としての録画が持つ意味の方がより重要なのです。

最近の例で言えばドライブレコーダーの設置などもその1つです。

あおり運転の映像などもカメラが全てを映し出しています。

事故が起こった後での保険金支払いのための重要な証拠物件にもなります。

小論文のテーマとして、ここ数年監視カメラのメリット、デメリットについて書きなさいという問題が増えています。

みなさんはどちらの要素が強いと思いますか。

功罪が半分ずつという考え方もあるでしょう。

あるいはどちらかが抜きんでているという論点もあります。

自分なりにこの問題の大切なポイントをまとめておいてください。

監視社会の現在

監視社会の発生する背景には大きな国家観の変化があります。

地域社会に根ざした生活とは真逆の都市が生まれたことも大きな理由の1つです。

名もない民衆の群れが、ひとたび国家を転覆させようとした時、あらゆる手口が考えられるからです。

テロリズムがまさにそれです。

どこにでもいる無名の人間が突然爆弾テロの首謀者になり得るのです。

私たちの周囲から世間が消えつつあることで共同体がなくなりかけています。

人間の単位が限りなく個に近づき、それと同時に何をしでかすかわからない単位として、巷を遊泳しているのです。

geralt / Pixabay

当然為政者にとっては恐怖の対象です。

どのように犯罪者予備軍を捕縛するのか。

内面の監視を含めて、未来に起こるテロや殺人事件を予知しなくてはなりません。

多くの国家が新しいデバイスを使い、個人の特定を急いでいます。

顔認証によるGPSシステムの設置などもその1つでしょう。

例えば、1つの示威行動を集中的に撮影したとします。

その後、すぐにAIと組み合わせて映像に映った個人を特定するのです。

それらをデータベース化して、要注意人物の監視システムをつくりあげることはそれほど難しいことではありません。

最近ではSNSなどと連動して個人の顔をデータにまとめる作業もされています。

個人が何気なく使っている善意のスマホも、もう1つの優秀な監視カメラなのです。

危機管理という表現は確かに耳障りがいいですが、内容は想像以上に怖いです。

日本においてマイナンバーカードがあまり普及しない理由も、おそらくこのあたりにあるのでしょう。

国民総背番号制と監視システムに対する皮膚感覚的な怖れを多くの人が持っているからに違いありません。

「マイナポイント」というシステムを作り上げた理由もマイナンバーカードの普及促進と繋がっているものと思われます。

パノプティコンの功罪

パノプティコンという表現を御存知でしょうか。

監視型社会を論じるうえでは必須です。

覚えておいでくだい。

パノプティコンとは一望監視社会の監獄モデルをさします。

中央の監視室の周りに囚人棟が円環状に配置されています。

監視塔からはすべての独房を見渡すことができるのです。

geralt / Pixabay

また独房からも監視塔が見えます。

しかし囚人はいつ自分が監視されているのかわかりません。

独房どうしは壁で仕切られていて互いに見えません。

囚人は自分だけが常に監視されている錯覚に陥ります。

これで受刑者が2度と犯罪を起こさないようになるかは大きな疑問だと言われています。

しかし現代社会はバノプティコン化しているとよく言われます。

どこからか誰かに見られている。

かつての5人組のようなシステムがいつの間にか、蜘蛛の巣のように周囲を取り巻いていると考えることもできるのです。

誰が見ているのか。

残念ながら、それはわかりません。

囚人どうしが互いに相手を知らないというのは不安です。

都市のマンションと同様です。

住人は互いのことを知らないのです。

どのような考えを持った個人なのかさえ、わからないのです。

ところが誰かがどこかで見ているという恐怖感は消えません。

他者を怖れながら、いい人を演じ続けなければなりません。

この息苦しさは独房の中にいる囚人とどこか似ています。

個人情報の危機

国家による統制はどこへ進むのでしょうか。

私たちは個人情報を知られることを極端に怖れるようになりました。

少し前の学校現場を考えてみればよくわかります。

試験の点数を貼りだし、入学した学校と名前を貼りだし、住所録を発行し続けてきました。

それがごく当たり前のことだったのです。

いつの頃からか、個人情報を公にすることに対する危機感が増大していきました。

プライバシー権、表現の自由などに対しても非常に過敏です。

思想や信条にからむことは、入学試験、入社試験などでも訊ねることはできません。

それだけしていてもある意味無力なところがあります。

あらゆる場所から情報が筒抜けになっているのです。

ネット販売などの業者はビッグデータを握り、個人の趣味嗜好にまで忍び寄ってきます。

権力は個人の内面に立ち入ることに躊躇しません。

あらゆる監視システムを使って、たえずリサーチを繰り返しています。

それだけ、無名の人間の集団には潜在力があるのです。

カメラそのものには何の判断力もありません。

ただ淡々と映像を映し出し記録するだけです。

問題は人間の側の意志でしょう

その問題に対して、どのような姿勢で臨めばいいのか。

もう1度、このチャンスにしっかり考えておいてください。

今年も必ず監視型社会の功罪がテーマとして取り扱われるだろうと思います。

ネット社会の持つ力を、権力もよく知っているからです。

自分の考えをまとめてください。

難問です。

そのつもりで関連の図書などを読むことを勧めます。

厚い本は無理です。

新書を用意してください。

スキマ時間を活用しなければいけません。

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受験期は勉強の季節です。

この時期をどう乗り切るかによって、その後の生き方も変わります。

最後までお読みくださりありがとうございました。

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