物の怪
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は『源氏物語』について少しお話をさせてください。
このブログでもいくつかの段をご紹介しました。
1番愛らしいと言われている紫の上がはじめて登場する「若紫」などはいいですね。
何度読んでも、思わずほっこりとしてしまいます。
あどけない少女の面影が実にみごとに描かれています。
この記事の最後にリンクを貼っておきましょう。
あとで読んでみてください。
今日は愛らしさとは正反対の段を読みます。
実は生徒が1番好きなところでもあるのです。
何度も授業をしました。
特に女子の生徒は好みますね。
生霊が正妻の出産の場面にあらわれるというおどろおどろしい段です。
今の高校生は漫画をたくさん読んでいるので、ちょっとドラマチックに感じるのかもしれません。
アニメの1シーンをイメージするんでしょうか。
そんなものは初めからフィクションに決まってるからというワケです。
むしろ楽しいのかもしれません。
しかし昔の人にとって霊は確実に存在しました。
そこに嫉妬がからむとなれば、それはもう現実そのものだったのです。
もちろん、現在の高校生にもそうした気分がいくらかは理解できるのでしょう。
じっと授業をきいている生徒が多かったです。
この段は少し形をかえて能にも取り入れられています。
葵上
原文を少し読んでみましょう。
「まださるべきほどにもあらず。」
と皆人もたゆみ給へるに、にはかに御気色ありて悩み給へば、いとどしき御祈祷数を尽くしてせさせ給へれど、例の執念き御物の怪ひとつさらに動かず。
やむごとなき験者ども、めづらかなりともて悩む。
さすがにいみじう調ぜられて、心苦しげに泣きわびて、少しゆるべ給へや。
大将に聞こゆべきことありとのたまふ。
さればよ。あるやうあらむとて、近き御几帳のもとに入れたてまつりたり。
むげに限りのさまにものし給ふを、聞こえ置かまほしきこともおはするにやとて、大臣も宮も少し退き給へり。
加持の僧ども声しづめて法華経を読みたる、いみじう尊し。
現代語訳
葵の上はまだしかるべきお産の時ではないと誰もが気を緩めていらっしゃると、突然ご出産の兆しがあってお苦しみになります。
そこでよりいっそう御祈祷の数を尽くしておさせになりますが、例の執念深い物の怪ひとつがいっこうに動きません。
尊い修験者たちは、珍しいことだととても困惑しています。
そうはいってもたいそう調伏されたので、葵の上は痛々しく泣き、つらく思って少し祈祷をおゆるめください。
大将に申し上げることがありますとおっしゃいます。
女房たちはやはりそうか。何かわけがあるのでしょうと、源氏の君を近い御几帳のところにお入れ申し上げました。
葵の上はまったく最期のご様子でいらっしゃるので、申し上げておきたいことがあるのだろうかと、大臣も宮も少しお下がりになりました。
加持の僧たちの声を小さくして法華経を読んでいる姿が、とても尊いものです。
ここが問題のシーンです。
苦しむ葵上の傍に源氏が近寄ります。
するとそこで見たものは、かつて葵上に辱めを受けた六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の怨霊だったのです。
彼女は自らの抱える辛い思いを呟きます。
そうする内、次第に感情の昂ぶっていった御息所は葵上を責め苛むのです。
このシーンが1番迫力のあるところですね。
生徒はじっと聞き入っています。
憎い葵上を一緒にあの世へ引きずっていこうとする迫力は並々のものではありません。
嫉妬の嵐
葵上は、数ある名門貴族の中でもとりわけ血筋が良い女性です。
父は左大臣、母は皇女で、しかも桐壺帝の同母妹でもあります。
皇族ではないものの生まれが大変高貴な人なのです。
それだけにプライドも高く、4歳年下の源氏とは打ち解けようともしません。
彼女にしてみれば源氏と結婚したことによって、帝の中宮になる望みはなくなったのです。
しかしそれを不仲の原因にしてしまうのは無理があります。
源氏の心は既に父の後妻、藤壺の宮にうつっていました。
許されない恋の対象です。
もちろん正室である葵上を放置しておくことはできません。
しかし心を打ち解けてなんでも話し合うということができないのです。
源氏はこの後、子供だった若紫を二条院の住まいに引き取ります。
夕顔という身分の低い女性との交際もありました。
さらに元東宮妃だった六条御息所とのこともあります。
葵上は自分が得られるはずだった東宮妃という地位の女性と源氏が恋人同士であることも許せなかったのでしょう。
まさに女のプライドをかけた意地の闘いでした。
それだけに葵祭の見物に牛車で出かけた六条御息所にひどい目をあわせてしまいます。
「車争い」と呼ばれているシーンです。
これが怨念の発端だったのかもしれません。
能の美学
ここで少し視点をかえて能をみてみましょう。
「葵上」は四番目の鬼女物としてよく上演されます。
今までに何度も拝見してきました。
前半と後半で全く動きが変化します。
その落差がこの能の真骨頂ですね。
能には葵上本人は登場しません。
舞台の正面におかれた着物が葵上の象徴なのです。
具合の悪い葵上を心配して何かの物怪がついているのか探ろうとします。
その正体を知るため、照日の巫女が梓の弓を鳴らして物怪を呼び寄せると、枕辺に現れたのはなんと六條御息所の生霊でした。
彼女は光源氏との華やかだった日々を切々と訴えます。
激しい感情の高ぶりを示す場面です。
葵上の容態が悪化したことで、左大臣は強い法力を持つ横川の小聖を招きます。
加持祈祷により六條御息所の生霊を退散させようとしたのです。
祈祷を進めると、突如、鬼になった女が登場します。
葵上の命を取ってしまおうとたくらんでいるのです。
六條御息所の魂そのものでした。
この鬼女の面は怖ろしいです。
般若と呼ばれます。
角のはえた面です。
ここまで激しい表情をした面はそれほどにはないのではないでしょうか。
外面如菩薩内心如夜叉という言葉があります。
まさにあの夜叉そのものです。
最初に出てきた時に女性がつけている泥眼と呼ばれる静かな面とはまるで違います。
ここから行者と鬼女との対決のシーンが続くのです。
数珠を押し揉み、祈祷を続ける聖と行者たち。
鬼は苦しみます。
自分の怨念をどうしても晴らしたいのです。
ここは最大の見ものですね。
六条御息所の気持ちがわかればわかるほど、見ていてもつらいです。
東方に降三世明王、南方軍荼利夜叉地、西方大威徳明王、北方金剛地夜叉明王、中央大聖地不動明王などと唱えながら法力の全てを使うのです。
やがて横川の小聖の祈りで鬼女は心を和らげ成仏し、物語は幕を閉じます。
葵上は能の中でも大変人気のある演目です。
チャンスがあったら是非、鑑賞してみてください。
不思議なくらいに心が安らぎますよ。
今回も最後までお付き合い下さりありがとうございました。