心打つ詩
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は伊東静雄の詩を取り上げます。
この詩人の存在をご存知でしょうか。
学校でも滅多に扱うことがありませんね。
本当に好きな僅かの人だけに愛されている詩人です。
日本浪曼派を代表する人です。
評論家、保田與重郎と並んで大きな影響を若者に与えました。
日本古典文学やリルケへの造詣も深かったのです。
一言でいえば浪漫的で日本的な叙事詩に耽美性を加えた作風の詩人です。
言葉が美しいのです。
それだけで1つの世界を形作っています。
その中にいると気持ちが高揚するとでもいうのでしょうか。
彼の作風は、少年期の三島由紀夫にも多大な影響を与えました。
完結した世界を美しいままに生きようとした三島にとって憧れの風景だったのです。
伊東静雄は京都帝国大学文学部国文科を卒業し、高校教師になりました。
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いつも汚い手ぬぐいをぶらさげた国語の先生でした。
しかし彼の心の中には日本の原風景がありました。
旧制住吉中学時代には、『古事記』などを教えていたのです。
その風貌と教科書のタイトルをもじって生徒たちは彼を「コジキ」と呼びました。
名物教師だったのです。
1935年に出版された処女詩集に彼の代表作が載っています。
わがひとに與ふる哀歌
太陽は美しく輝き
或は 太陽の美しく輝くことを希ひ
手をかたくくみあはせ
しづかに私たちは歩いて行つた
かく誘ふものの何であらうとも
私たちの内の
誘はるる清らかさを私は信ずる
無縁のひとはたとへ
鳥々は恒に變らず鳴き
草木の囁きは時をわかたずとするとも
いま私たちは聽く
私たちの意志の姿勢で
それらの無邊な廣大の讃歌を
あゝ わがひと
輝くこの日光の中に忍びこんでゐる
音なき空虚を
歴然と見わくる目の發明の
何にならう
如かない 人氣ない山に上り
切に希はれた太陽をして
殆ど死した湖の一面に遍照さするのに
難しい詩です。
しかし限りなく美しい。
ぼくはかつて彼の故郷、長崎県の諫早市をバスで通り抜けたことがあります。
その時、ずっと窓の外を見ながら、この詩のことを思い出していました。
「無辺の広大な讃歌」「音なき空虚」などという表現を読んでいると、そこに静かな風景が見て取れます。
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死んだような湖に希われた太陽。
伊東静雄は何を見ていたのでしょうか。
まさに浪漫的であり日本的な叙事の世界そのものです。
ヘルダーリンに傾倒した詩人は悲しいほどに透明な詩を書いたのです。
1941年には三好達治、中原中也、立原道造らとともに、詩の同人誌「四季」にも参加しました。
三島由紀夫への影響
もう1篇、好きな詩をご紹介します。
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春の雪
みささぎにふるはるの雪
枝透(す)きてあかるき木々に
つもるともえせぬけはひは
なく聲のけさはきこえず
まなこ閉ぢ百(もも)ゐむ鳥の
しづかなるはねにかつ消え
ながめゐしわれが想ひに
下草のしめりもかすか
春來むとゆきふるあした
この詩をこよなく愛したのは作家三島由紀夫です。
彼が畢生の大作だといって死ぬ間際に書いた4部作『豊饒の海』の最初の作品が『春の雪』なのです。
このブログでもかつて記事にしました。
最後にリンクを貼っておきましょう。
確かに装飾の華美な小説です。
しかし4部作の中では『春の雪』がぼくは一番好きです。
この詩はみささぎと呼ばれる天皇陵に、春の雪が音もなく降る情景を描いたものです。
実に静かで完結した世界をみごとに表現しきっています。
伊東静雄は保田與重郎に師事しただけに、強い思想性にひたっていたことは間違いがありません。
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近代批判と古代賛歌を支柱として、「日本の伝統への回帰」を提唱した文学思想を日本浪漫派と呼んでいます。
1930年代といえば、日本が軍国主義へ傾いていく時期でした。
それだけに伊東静雄の世界に反感を抱く人もいます。
しかしここではあくまでも彼の持っていた精神世界に着目してください。
それが後に三島由紀夫に結晶したともいえます。
こういう詩人がいたということだけで十分なのかもしれません。
詩人は夭折する存在なのでしょうか。
長く生きてはいけないのでしょうか。
詩人は言葉を紡ぐという才能に疲れたのかもしれません。
伊東静雄は46才で眠りにつきました。
春の雪
春の雪というタイトルを引き継いだ三島由紀夫はその後どうなったのか。
今年は生誕95年だそうです。
その最後に書いたのが『豊饒の海』でした。
大正の貴族社会を舞台にした『春の雪』。
右翼的青年の行動を描いた『奔馬』。
仏教を追究しようとする男性とタイ王室の美女との関わりを描いた『暁の寺』。
少年と老人の対立を描いた『天人五衰』。
全4巻から成る物語です。
物語の底の部分には能における「シテ」と「ワキ」の要素が用いられています。
登場人物の中で最後まで生き残って全てを語るのは、ワキの役に相当する本多繁邦です。
松枝侯爵の息子・清顕と綾倉伯爵の娘・聡子の恋を描く物語は主人公が輪廻転生を繰り返しながら、最終章までたどりつきます。
最初のシテにあたるのが松枝清顕です。
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三島由紀夫は「究極の小説」を目指したといわれています。
果たして彼の目論見は成功したのかどうか。
それはどうぞご自身でお読みになり判断してください。
今回はそれが目的ではありません。
伊東静雄の世界がこのようにしてふくらんで結実したという事実がなによりも興味深いのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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