【小論文】どんな意見や推論よりも事実にまさる最強の武器はない

学び

事実とは何か

みなさん、こんにちは。

小論文添削歴20年の元都立高校教師、すい喬です。

今回は意見と事実の違いということについて考えます。

事実とは何か。

これは大変に難しい問題です。

このテーマを問い詰めるだけで小論文になるくらいです。

黒澤明監督の代表作『羅生門』という映画をご存知でしょうか。

これは芥川龍之介の同名小説『羅生門』ともう一作『藪の中』という作品を合体してつくられた映画です。

全篇が1つの事件に関わった人間の証言を元にして構成されています。

しかし立場が違うと犯罪の内容に関する説明も微妙に変化していくのです。

つまり事実が違います。

立場が犯罪の意味を変えるというある意味では怖ろしい内容を含む映画です。

見た後、不思議な居心地の悪さを感じる人も多いのです。

本当に事実などいうものはあるのかどうか。

自分が立っている場所の危うさを知るのです。

つきつめていえば、本当の意味で事実などというものはないのかもしれません。

しかしここではそこまで原理原則に立ち入るのをやめましょう。

哲学の問題意識とからみますからね。

一般的に語られる事実のレベルで話をすすめることにします。

新聞への信頼はどこからくるのか

ところで新聞はなぜ多くの人に読まれるのか。

そこには事実が書かれているからです。

あらためて事実とは何かを問います。

事実とは本当ににあったことです。

必ず調査、実験、検証などをすれば確認できることです。

賛否を問う時の基礎的な資料となりうるものです。

意見や推論とは自ずと性格が違うことはよくわかるでしょう。

憶測を含む考えや判断は調査、実験、検証などに耐えられません。

賛否を問うても答えられない場合もあるのです。

新聞は5W1Hを必ず入れてまとめます。

このことを記者は新人の時から身体に叩き込まれるのです。

逆にいえば、この要素の入っていない記事はなんの意味も持ちません。

わざわざ時間を費やして新聞を読むのは事実を知りたいからです。

しかし今は新聞の購読者数もかなり減っています。

膨大な記事を読むには、大変な時間が必要となります。

MichaelGaida / Pixabay

ネットニュースは無料ですが、中にはフェイクもあります。

どれが事実なのかを通すフィルターが存在しないケースもあります。

必ず確認作業が必要になるワケです。

新聞社には記事の真偽をチェックするセクションが存在しています。

つねに内容を見張っているのです。

捏造は許されません。

逆にいえば、憶測を交えて書いた記事は、印刷される以前にボツになるのです。

そこには信頼性の問題がつねについて回ります。

信用を一度損なうと、回復するのは大変なことです。

小論文も同じ運命

小論文も事情は全く同じです。

全てを推論で構成すると、最後に必ずつらくなります。

自分の意見を入れることは当然あるでしょう。

しかしそればかりになると、信頼度が一気に下がります。

読む人に納得してもらうためにはむしろ、意見や推論をやめることです。

それよりも具体的な数字や固有名詞を入れてみてはどうでしょうか。

たった1つ数字が入っただけで、文章は生き返ります。

みんなが反対しているというのと、60%の人が反対しているというのでは信用力が違います。

気持ちや推測だけで文章を書こうとすると、書き手の意志が伝わりません。

「~のようだ」「~らしい」では記事にはならないのです。

文章の中に具体的な説明が少しでもあれば、理解しやすくなるのです。

評論などから出題された問題の場合は筆者の論点をどこまで取り上げるのか難しい局面もあります。

「確かに~だ」「しかし~である」という伝家の宝刀を使うためには、筆者の論点をきちんと自分の身体にしみこませなければなりません。

ファクトチェックが自分の中できちんとできていないと、文章の力がなくなってしまうのです。

問題文自体に推論がかなりあるというケースも存在します。

その場合は書き方の工夫が必要になるでしょうね。

しかし入試の場合、かなり議論をしてから問題文を選んでいます。

あまりに無茶な文章はまず出ないと考えて下さい。

小論文の課題には言い切る文体のものが多いです。

その意味ではファクトチェックの心配までする必要はないでしょう。

そのまま真っすぐ進んで大丈夫です。

納得してから構成を

あらかじめきちんと納得しておかないと、説得力のある文章にはなりません。

新聞と同じというのはそういう意味です。

事実の持つパワーを論旨に反映するということが求められているのです。

内容に対して自分の気持ちや感想がいくら書いてあってもそれは論文にはなりません。

しかし事実を積み重ねて書くという練習を続けていくと、必ず開けた風景の中に立つことができます。

その感覚を何度かやって掴んでください。

意外とこれだなという手ごたえを得られる時が来るはずです。

その感覚を是非大切にしてください。

文章を書く時には、いつでも、書いている内容が「事実」か「意見」かを冷静に見極める必要があります。

自分は今、事実にもとづいて論じているという瞬間を大切にするべきです。

意見に偏りすぎてしまうと、必ずワケがわからなくなります。

つまり論理の方向が見えなくなってくるのです。

この時が1番苦しいです。

ちょっとつらくなってきたなという時は必ず論理を見誤っています。

書き手がそのことに気づかないようでは、まだ小論文を書く資格がありません。

意図した方向に向かない場合、引き返す勇気も大切です。

慣れれば、どこからが事実で、どこからが推論なのかも見えてきます。

そこへ戻ればいいのです。

書き直してください。

あるいは構成のし直しをしましょう。

完成させるには練習しかありません。

何度も苦しい思いをしながら修正していくのです。

まだ時間はあります。

過去問にチャレンジしてください。

コロナ禍の中です。

災害に関する問題が多く出題されると思います。

新聞のコラムなどを使った問題も増えるでしょう。

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是非、やってみてください。

事実と推論、意見の壁をきちんと見分けて下さいね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

【芥川龍之介】黒澤明監督の名画・羅生門の原作は全く別の短編だった
芥川龍之介の名作『羅生門』は誰もが高校で習う小説です。同じタイトルで映画を撮ったのが名匠黒澤明監督です。しかし厳密にいうと、映画の「羅生門」は芥川の別の短編『藪の中』をメインにして描いたものです。2つの作品で事実はどう扱われたのでしょうか。
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