AO、推薦入試にシフトする大学が増える
みなさん、こんにちは。
小論文添削歴20年の元高校国語科教師、すい喬です。
今回は1番基本的な話をします。
少し耳が痛いかもしれませんが、読んでみてください。
それは入試とも大きな関係があります。
今日の報道に多くの私立大学はAO、推薦入試をさらに増やす意向だという記事が載っていました。
従来なら大規模の大学で30~40%くらい。
さらに50%という比率でAO、推薦入試を増やしてきました。
単純に入試の得点だけで合否を決めるのではなく、中学高校時代にどのような学習をし、クラブ活動をしてきたのかを見たいというものです。
最近では学校内の活動だけでなく、社会的な広がりをもって活躍をしている人も欲しいという要望が強くなっています。
記憶力に頼る勉強だけの学生より、自力で伸びていく力のある素養を持つ人材が望まれているのです。
さらに新型コロナウィルス蔓延により、高校は従来のカリキュラムを全て消化しきれないだろうという予測も大学側にはあります。
これからの入試は潜在的実力を重点的に見ていこうという方針に転換しつつあるようです。
2021年度は60%までAO、推薦にシフトするという大学も現れました。
誰もが知っている有名な大学の話です。
現実はそこまで変化しているのかというのが今の姿なのです。
語学力などに力をいれている大学は、海外での就学体験などを受験の条件にしているところもあります。
かつてのようにがむしゃらに暗記だけをして受験をするというような入試は、完全に影を潜めました。
まさに発表する力、書く力、考える力が求められているのです。
そこで小論文やプレゼンテーションの能力がますます必要になりつつあります。
しかしきちんとした言葉を書くという作業ぐらい、難しいものはありません。
自分では書けたと思っていても、別の人が読むと、何を言っているのかわからないということがよくあります。
まさにここが小論文の骨格です。
真に実力のある人だけが最終試験に臨める仕組みになっているのです。
本を読まないと書けない
少し耳の痛い話をします。
大きな大学でもレポートが満足に書けないという学生はかなりいます。
ひどいケースになると、ネットの記事をコピペして提出するなどということもまかり通っているのです。
教える側もそうした実態を知らないワケではありません。
しかし単位の取得をあまりに厳しくすると、後の指導が煩雑になるという現状もあります。
もちろん、担当者全員がすべて同じような指導をしているというのではありません。
そういう傾向が強いということです。
ではどんな学生が書けないのか。
これははっきりしています。
本を読まない人です。
長い論理的文章を、真面目に読み込んだことがない学生です。
おそらく小、中学校時代から満足に読書をした経験がないものと思われます。
ぼく自身、中学生、高校生の添削指導を通じて、図書室の利用が極端に低い現実を見てきました。
司書の先生がいくら声高に叫んでも、本の貸し出し数は伸びません。
半年間でクラス全員の貸し出し総数が20冊にも満たなかったといって、国語の担任が嘆いていたこともありました。
もっとはっきりいえば、大人が読まないのです。
家に本がいつも積まれていれば、子供も自然に手を伸ばします。
よく言われる「積ん読」という読み方です。
大人同士の会話の中に本や新聞記事の話が出てくるかどうかということも、大きな要素です。
家庭環境のことをあまり口にすることは、問題であるという自覚はあります。
しかしこれは偽らざる現実です。
スマホですべて済ましてしまう環境の中で、子供が論理性を養えるとはどうしても思えません。
ある程度長い論理的な文章を読むという訓練は、環境のなせる業だといってもいいのです。
何を読めばいいのか
基本は楽しい本です。
読書は楽しいものだという刷り込みが大切なのです。
どれほどの良書であっても、それを必要としない時に無理に読めといわれても意味がありません。
どんなものでもいい。
とにかく面白いという経験の積み重ねが大切なのです。
うちの子はラノベばかり読んでますけどという親の悩みを聞かされたこともあります。
それでもかまいません。
成長していくうちに、自然と離れていきます。
無理にやめさせたりするのが1番まずい方法です。
全て自発的にというのが基本です。
もちろん、親が読んでみてすごく面白かったから勧めるという場面はあってもいいでしょう。
しかし読まないからといって、叱るようなことがあってはなりません。
インプットはあくまでも自然にというのが基本なのです。
本当の面白さを知るようになれば、放っておいても自分で読みます。
先生や友達からの刺激も大切です。
ある程度の年齢になると、親よりもむしろ友人からの影響の方が強いかもしれません。
読書のジャンルも最初は小説などに偏っているでしょう。
しかしそのことをとやかく口にしてはいけません。
インプットには長い時間がかかるのです。
そのうちに今までと違うジャンルのものに手を出すということが出てくるかもしれません。
そういう時に、できれば親の本棚にキラリと光る本が並んでいることが望ましいのです。
読書は習慣です。
本や新聞を読むことと空気を吸うことを意識することなく、自然に積み重ねていければ最強です。
小論文を書くことの意味
読書をたくさんしたからすぐに文章がうまくなると楽観的に考えないでください。
勉強は長い時間を必要とします。
子供が言葉を覚えるのと同じです。
最初はカタコトで同じ音を発音しながら、次第に自分の語彙にしていくのです。
どのような言葉を使うのかというのは、環境によります。
これも厳しいようですが、その人がどのような日常を日ごろ過ごしているのかに関係しています。
もちろん、読書によって後から身につけられる言葉もあるでしょう。
親や友人からのものもあります。
それらが自然に融合され、やがてアウトプットになります。
難しい言葉を使うというだけでなく、整合性のある論理的な表現や構成を身につけていくことは、容易なことではありません。
しかし必ずできるようになるのです。
1冊の本と出会うことによって、表現力がかわり、論理性が養われるということもあります。
このあたりまでくると、既にその下地が出来上がっているという事実がものを言います。
あとは練習という名の訓練を積み重ねるだけなのです。
こういう言葉をこの場合に使ってはいけない。
こういう構成方法を守っていけば、必ず論理性の一貫した文章になるといったようなことは幾らでもあります。
とにかくいい文章を書きたければ、まず読むことです。
文章を読まずに、うまい文が書ける人はいません。
これが大原則です。
今回は少し厳しいことを書きました。
勉強に関していえば、環境は大きな意味を持ちます。
さらにアウトプットの良否は、インプットの質と量に左右されます。
噛み応えのある本、特に新書などを読み続けてください。
論理性を養うには最も手短かな方法です。
読書と書く力との関係の根は想像以上に深いのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。