新宿末広亭
みなさん、こんにちは。
ブロガーのすい喬です。
突然ですが、新宿にある寄席に入ったことがありますか。
建物の前を通りかかったことぐらいはあるかもしれませんね。
いまとなっては随分と古臭い建物です。
裏通りですからね。
知らない人の方が多いでしょう。
ぼくは歌舞伎町の生まれです。
今から考えると、すごい環境ですね。
家の前が新宿区役所で、少し歩くと伊勢丹と花園神社でした。
ゴールデン街もすぐ傍で、子供のころはコマ劇場の前にあった池におもちゃの船を浮かべて遊んでいたのです。
さて末広亭の話に戻りましょう。
新宿末廣亭が再建されたのは昭和21年。
今から80年近く前です。
初代の大旦那、北村銀太郎の名前は、おそらく忘れられることはないでしょう。
たくさんの本が出ています。
古今亭志ん生と同年の生まれでもあります。
暇さえあれば、志ん生と将棋を打っていました。
この人は落語協会の分裂騒動の時も大きな役割を果たしましたね。
隠然たる力をもっていたのです。
三遊亭圓生たちの立ち上げた新しい派を、新宿には出さないと彼が言わなかったら、今頃は協会も完全に四分五裂だったかな。
上野も池袋も大旦那の意見に従ったのです。
レトロ感覚
末廣亭はなんともいえないレトロな風格の建物です。
子供の頃、よくこの近くまで遊びに行きました。
伊勢丹や隣の丸物(今の伊勢丹会館)はぼくにとって大切な遊び場でした。
近くに鉱泉湯もありました。お湯が真っ黒でした。
そんなわけで、ずっと親しみを抱いてます。
入ると、正面に飾ってある額がすぐに目に入ります。
床の間もあって、提灯もあって、本当に不思議な空間です。
生き馬の目を抜くような新宿という地に、こんな空間があるということそのものが不思議でなりません。
かつてはどこの町内にもあったような寄席が、淘汰され、少なくなってしまいました。
これからも消えてもらっては困ります。
上野人形町にも末広亭はありました。
しかしとうに閉館しています。
最前列に陣取って噺家の芸を見るなんて贅沢は、そうそうできるものではありません。
本当の至近距離です。
それも通常は昼夜の入れ替えなし。
席亭さんが太っ腹だから、お昼から夜の9時までいられるんですよ、とよく先代の古今亭志ん五師匠が話してました。
懐かしいです。
あんなに早くに亡くなっちゃって。
正面の額には「和気満堂」とあります。
いい言葉ですね。
建物の中に和気が充ち満ちているという気分がいい。
笑門来福というところかな。
近頃は夜の部が寂しいですね。
お客さんもはやく家路についてしまいます。
両側の桟敷席はもちろん、2階席まで満員などという時もあるのにね。
どうぞ足を運んでみてください。
今日はここまで。
じゃあね。ばいばい。