源氏物語を読みたい
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、ブロガーのすい喬です。
今回は三島由紀夫『豊饒の海』に大きな影響を与えた物語の話をします。
作品名を『浜松中納言物語』と言います。
聞いたことがありますか。
平安時代中期、1050年頃のものだと言われています。
作者は『更級日記』を書いた菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)が最有力です。
しかし本当のことはよくわかっていません。
ここまで『源氏物語』に入れ込んだ物語を書いたと人は誰かということから、彼女の名前が最初に浮かんだようです。
父親の仕事の関係で上総国にいた彼女は、とにかく『源氏物語』が読みたかったと日記に書いています。
当時、地方において本を読むということは至難の業でした。
印刷技術もないのです。
誰かが書き写さなくてはなりません。
54帖もある大長編を完本で読めるのは、京の都だけです。
どうしても京都へ行きたいと毎日仏に手をあわせて祈った様子が、『更級日記』の冒頭に出てきます。
叔母にあたる人が作品をプレゼントしてくれた時の喜びは天にも昇る心地だったのでしょう。
朝から夜まで、ずっと読み続けたといいます。
必ず高校の古文の授業で習うところです。
覚えていますか。
『浜松中納言物語』には『源氏物語』の影が色濃く残っています。
光源氏、藤壺、紫上、弘徽殿女御、薫、匂宮といった主要な登場人物たちの残像がそのまま表現されています。
ある意味、その模倣ともいえるのです。
しかし放埓なロマンチシズムには魅力があります。
だからこそ、今日まで残っていると言ってもいいのではないでしょうか。
もう1つの根拠
この作品が特異なのはそこに出てくる「夢」にあります。
『更級日記』にも同じように夢のお告げのシーンが幾つかあるのです。
そこから作者が類推されたという経緯もあります。
この物語では「夢」が重要な役割を果たしています。
今と違って、科学が発達していない時代の話です。
夢をみるということは、そこに登場する人物が、自分のことを見てくれている、あるいは愛情を抱いていることと、同じであったのです。
そういう意味からすると、ここにある夢は決して荒唐無稽なものではありません。
ご紹介する文は主人公の中納言が皇子(父の生まれ変わり)の住む唐の河陽県の離宮に参内する場面です。
『浜松中納言物語』は浜松中納言の日本と唐土にまたがる恋や転生を描いた浪漫的な物語なのです。
現存する巻1は主人公の中納言が唐の都に到着し熱烈な歓迎をうけるところから始まっています。
中納言が参内すると、唐帝や大臣たちはその立派な容姿、漢詩、管弦の才に驚嘆します。
それを受けて中納言が離宮に暮らしている三の皇子を訪問するのが本文の場面です。
亡くなった父親が自分よりも年下の皇子という設定もすごいですね。
巻1の前に散逸した部分があったと思われます。
おそらく次のような内容だったのでしょう。
式部卿宮(父宮)に男君(主人公、後の中納言)がいて両親から寵愛されています。
男君は源氏の姓を賜り、天性の美しさとすぐれた才能が世の評判となりますが、父がにわかに亡くなってしまいます。
残された母子は悲嘆にくれるもののどうにもなりません。
ある時、故父君が中納言の夢枕に立ち、唐土の皇子に転生した自分に会いに来るように告げます。
中納言は母君の悲嘆を慰めつつ渡唐を決意し、朝廷に願い出るのです。
そこで3年間の渡唐を許可されるというワケです。
場面が日本と唐にまたがったり、夢のお告げによる転生を繰り返すなど実に新奇な筋立てです。
通常の授業で習うものとはまた違う味わいがあるのではないでしょうか
本文
三の御子は、内裏のほとり近く、河陽県といふところに、面白き宮造りて、そこをぞ御里にしたまへる。
母后も諸共に住みたまふ。
御子の御消息あり。
限りなく嬉しく参りたまへり。
所のさま、外よりもいみじくめでたく、水の色、石のたたずまひ、庭の面、梢のけしきもいみじう面白し。
こなたに召し入れらる。
御年七つ八つばかりにて、美しうて、麗しく鬢づらゆひ装束着ておはす。
ありし御面影にはおはせねど、哀れにさぞかしと見奉るに、涙もこぼるる心地したまふ。
御子も御気色かはりて、大かたのことども仰せられて、詞には宣はで、昔を忘れぬに、かく逢ひ見つるよしのあはれを書きて賜はせたるに、いみじう念ずれど涙とまらず。
その御返しの文、雲の浪煙の浪と、遥かに尋ねわたりて、生を隔て、かたちをかへたまへれど、あはれになつかしく、故郷を恋ふる心も、忽ちに忘れぬる心をつくりて見せ奉るに、御子もえ堪へたまはず。
現代文訳
三の皇子は宮中のほど近く、河陽県というところに、風情のある美しい宮をおつくりになられて、そこを御里になさっておられます。
母宮もごいっしょにお住まいになられていました。
ある時、三の皇子からのお手紙がありました。
皇子は中納言の君をお呼びなされたのです。
中納言の君はたいそうお喜びになられて、参上なされるのでした。
その宮の様子はほかの宮とは比べようもなく、言うに言われぬすばらしさです。
池に川に張られた水の色、石のたたずまい、庭の趣き、植林の景色も、それはもう、ただ美しいばかりでした。
皇子は中納言の君を御殿にお招き入れなさいました。
三の皇子の御年は七つか八つばかりです。
美しくて、麗しくて、その黒髪も滴り落ちそうなきらめきにてあらせられるのです。
在りし日の懐かしい父君の御姿ではいらっしゃらないけれども、その麗しさには間違いがありません。
この方こそ父君だと目を見張り、ただ涙がこぼれる心地がされたのです。
皇子もお察しなされたのでしょう。
御気色を変えられて、通り一遍のご挨拶などすまされた後は、ぶしつけに言葉をかけるなどされません。
昔を忘れることも出来ないままに、こうしてまた、出会えた奇跡のあはれさを、文にしたためなさって賜りました。
その御涙もとどまることを知りません。
お返しの漢詩文をお書きになられました。
かさなり渦巻く雲の遠き、遠き群れの浪間を飛び越えて、はるかに参上したいま、生を
隔て、御かたちをお変えになられたとはいえ、御父君はあはれに懐かしく、故郷、あの
海の向こうの日本の国でともに過ごしたかつての日々を想う心は、とても忘れ得るもの
ではなかったのだったと、ただ、ただ、懐かしい御心をお見せになり、皇子も耐えられ
ずに想いがあふれるばかりだったのです。
三島由紀夫への影響
三島由紀夫がこの作品を知ったのは学習院にいた頃だったといわれています。
研究者の一人であった教師が授業で取り上げたのです。
その時から輪廻転生というテーマが彼の脳裏に刻まれることとなりました。
三島は後にこんなことを言っています。
「デカダンス期の作品であるから、古典的完璧さには欠けるところがあるが、退屈な前半を凌ぐと、みごとにパセティックな後半部に到達する」
彼はこの物語に古典的完璧さはないと言い切ったのです。
古典文学の持つ本質的な美意識には欠けるものがあると考えたのでしょう。
あまりにストーリーに振り回されすぎたと思ったのかもしれません。
あれほど『源氏物語』に熱心だった菅原孝標女も後にはその熱狂がさめたと言われています。
その後に書かれたとするならば、古典本来の持つ言葉の優雅さや美意識からは外れたとみることもできます。
しかし細かな点に注意して読んでいくと、また別の味わいがあるのです。
是非、読み込んでみてください。
畢生の大作といわれた『豊饒の海』については、以前記事にしました。
最後にリンクを貼っておきます。
もしよかったら、読んでいただければ幸いです。
『春の雪』はぼくの好きな小説でもあります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。