原点をさがす
みなさん、こんにちは。
ブロガーのすい喬です。
コロナ禍の中で、毎日何をしたらいいのかよくわからなくなっています。
仕事の悩みを抱えている方も多いことでしょうね。
こういう時になると、正規社員と非正規との差もはっきり出ます。
不況が続けば当然非正規から切られるということになります。
それだけじゃありません。
フリーランスの人はもっと悲惨です。
すぐに仕事がなくなります。
エンタメ関係の人は劇場が全て閉鎖されてしまいました。
興行に携わる人の裾野は広いのです。
アスリートも大変です。
スポーツイベントも現在全く行われていません。
休業がこのまま進めば飲食店などの経営もひっ迫してきます。
旅行関係も同じです。
どうしたらいいのか。
本当に先が見えません。
家族を抱えて、これから先の暮らしのメドをたてなくてはならないのです。
どうしたって不機嫌になります。
笑う気にもなれません。
家族とつい口喧嘩をしてしまうということもあるでしょう。
コロナ禍中の自殺者数増加を懸念している人もかなりいます。
どうしたらいいのか。
基本の線をどこに引くかです。
つまり原点とそれに交わる横と縦の軸です。
そこを起点に全てを考えるしか方法はありません。
変えられないことは
不機嫌にならないために1番大切なことは何でしょうか。
原点を探すということを言いました。
つまり「変えられること」「変えられないこと」の線引きをすることです。
森田療法をご存知でしょうか。
大正時代に精神神経科医、森田正馬が開発した神経症に対する治療方法の1つです。
現在でも有効なメソッドとして採用されています。
基本的に自分で変えられないことは諦めるということです。
いくらクヨクヨ悩んでも、これだけはどうにもなりません。
いつコロナが収束するのかについて考えることは誰もがします。
しかしその終わりが見えないのはある意味仕方のないことです。
いつまで悩み続けても不機嫌が増すだけです。
つまりそうした「変えられないこと」はこの際、自分から切り離すのです。
森田療法では、「~したい」という欲望と、「~になったらどうしよう」という恐怖は、いずれも人が操作することのできない自然現象だとしています。
欲望と恐怖をあるがままに受け止める以外に方法はないのです。
その結果、自然治癒力が働きます。
すると残るのは自分にできることです。
そのままの感情を批判することなく受け入れるのです。
そうすることで、本来の生きる欲望が自然に発現してきます。
他の人が国の決めた原則を守らないからといって、いくら嘆息してみても始まりません。
必ず言うことをきかない人はいます。
「過去と他人は変えられないのです」
自分にやれることをやる。
自分で変えられることだけに励むということが1番神経を安定させる唯一の方法なのです。
そんなに簡単にいくのか
精神的に不安定になりやすい人は、真面目な人が多いです。
よく繊細さんと呼ばれる人がいますね。
人がいい加減に見過ごしていることに気づいてしまうのです。
人間関係などにおいても、本来それほど気にしていないことを、もしかしたらあの人はこう思っているのではないかと考え、思い悩んでしまうのです。
そんなのは思い過ごしだよといくらアドバイスをしてもダメです。
その人はそういう生き方をしてきたのです。
それ以外の方法はとれません。
多分に性格的な問題が多いです。
もちろん、成育歴に由来するところも多いでしょう。
周囲の環境がそれを助長したということもあります。
人は、恐怖や不安、心配といった感情を持てば、なんとか自分でコントロールしようとするところがあります。
全てをコントロールできる人間がすぐれているとつい考えがちです。
しかし人間はロボットではありません。
時に制御不能になるのです。
そこで泣ける人なら割合元に戻りやすいのかもしれません。
しかしそれもできない。
ただ黙って耐えるしかないという人もいます。
どうしても自分に厳しすぎるところもある人が多いのです。
人はこうあるべきだという目標をいつの間にかたてて、それに向かって進もうとするタイプの人です。
それはそれで立派ですが、すべてにわたって可能なワケではありません。
いわゆる「いい子」の中にそういうタイプがよく見受けられます。
これでは悩みは深くなるばかりですね。
あるがままの生き方
自堕落に生きろと言っているのではありません。
ただなんとなく毎日を過ごしていくこととは全く別のことです。
誤解しないでください。
感情をきちんとコントロールすることに違いはありません。
では何が違うのか。
「自分がしようと思っている行動」を1つ1つできる範囲で無理せず実践していくことです。
囚われた状態から解放されて行動するのです。
ただ考えているだけでなくやってみる。
そうしているうちに、感情も次第に変化していく
これこそが「あるがままに生きる」という姿なのです。
何ごとにも無我夢中で全力でぶち当たるというのではありません。
もっと静かなもんです。
自分の限界を知り、それを受け入れながら進む態度です。
その実践の中で今どうあるべきか、何をするべきかが見えてきます。
どうにもならないから、仕事をかえて転身するというのもありかもしれません。
いや今は逼塞の時期だから、静かに禍いが過ぎるのを待とうという判断もあるでしょう。
自分の生き方を再認識するチャンスなのです。
自分がどういう人間であり、何を最も大切にしようとしているのかということもあわせて考えなくてはなりません。
その全てがあるがままです。
自分と正対しつつ、動き始めるのです
たとえ弱い力であっても、進みたい方向へ1歩を踏み出す。
それが自分の内側から出てきたものであるならば、その声に導かれていくという生き方には十分な価値があるでしょう。
何度も言いましょう。
「変えられない」ことにいくら悩んでもムダです。
関係の絶対性という言葉があります。
自分と他人の関係は1つに決まったものではありません。
自分が変われば他人もかわります。
挨拶の仕方、話し方をちょっと変化させただけで、他人は全く別の側面をみせるのです。
未来もそれと同じでしょう。
自分の立ち位置をすこし変化させれば、何かが変わります。
それを見抜く目をいつも養い続けたいものですね。
最後までお読みくださりありがとうございました。