ノーベル文学賞受賞
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は本の紹介をしましょう。
2024年のノーベル文学賞に選ばれた、ハン・ガンの最新作を読みました。
彼女は韓国人として、さらにアジア出身の女性としても初めてノーベル文学賞に選ばれました。
この機会にぜひ著作を手に取りたいと考えたのです。
というのも、今年はなぜか、韓国人作家の小説を読む機会があったからです。
以前話題になったチョ・ナムジュ作『82年生まれ、キム・ジヨン』を手にしたのが数年前です。
それ以来、全く読んだことはありませんでした。
ところが数か月前になぜか2冊立て続けに手にしたのです。
ファン・ボルム『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』とイ・ジュへ『その猫の名前は長い』がそれです。
どちらも現在の韓国の様子をみごとに描いていました。
一言でいえぱ、生きづらさです。
極度に学歴社会の構図が張り巡らされ、格差が日本以上に歴然としています。
その中を生きる人たちの横顔を、実にさりげなく当たり前のように描写している点に驚きを感じました。
最近は日本人の書いた小説をあまり読まなくなりました。
確実に韓国の作品の方が、内圧が高いと感じます。
どうしても書かざるをえなくなったことを、真剣にそして静かに綴っていったという印象が強いのです。
今回手にとったハン・ガンの最新作は、その確信をさらに強いものにしました。
扱っている題材が、政治的なものであるというだけではありません。
彼女の筆致は静かで正確そのものです。
感情を前にこれでもかと押し出すタイプのものでもないのです。
むしろ感情は一番奥のそのまた奥にしまわれたままです。
そういう意味では、語られている事件の惨状とのバランスがとれていないくらいです。
しかし確実に読者にせまるものがある。
現在の世界の状況を見過ごすことができないという、ノーベル賞選定委員たちの気分に合致したものだったのかもしれません。
くしくも日本の被団協が平和賞をとったということとリンクしているような気がしてならないのです。
受賞の理由の中に「歴史的トラウマに立ち向かい、人間の命のはかなさをあらわにした強烈な詩的散文」という言葉があります。
詩作から始まったという彼女の文学的な出発を思う時、納得させられる要素がたくさんあります。
読んでいて感じるのは、小説を読みながら、散文詩の美しさに触れることができることでした。
済州島4.3事件
この作品を理解するためには最初に「済州島4.3事件」を知らなければなりません。
しかし長い間、この事件はタブー視されてきました。
日本人はもちろん、韓国人にとっても、あまりよく知られていない事実なのです。
ぼく自身、この小説を読むまで、観光地として有名な済州島が、流血の島であったことなど、全く知りませんでした。
事件は1948年にまでさかのぼります。
済州島で起こった島民の自主独立国家の蜂起がきっかけです。
1954年までこの虐殺は続きました。
北朝鮮労働党の暗躍を怖れた反共団体の大弾圧が行われたのです。
1948年に韓国が独立すると、暴動に対する暴力的な鎮圧がさらに激化しました。
韓国においてもこの事実は50年近く隠蔽されていたのです。
韓国最大のトラウマとも呼ばれています。
30万人とも言われる死体、遺骨の隠蔽が行われていたのです。
武装蜂起した多くの民間人が死亡しました。
済州島の村々の70%が焼き尽くされたといわれています。
恐怖から住民の島外への脱出が続き、島の人口は3万人にまで激減したとか。
済州島虐殺事件とも呼ばれています。
この歴史的な位置づけを理解していないと、小説を理解することはできないでしょう。
ちなみに『別れを告げない』という作品のタイトルは「哀悼を終わらせない」という著者の覚悟を意味しています。
作家キョンハの視線
主要な登場人物は多くありません。
作家であるキョンハとドキュメンタリー映像作家の友人、インソンです。
済州島で育ったインソンの父親と母親が大きな存在感を放っています。
さらにいえば、象徴的な存在は2羽の鳥と雪の描写です。
雪が降り続く済州島の風景は静謐そのものです。
散文詩の世界が現出しています。
しかしその島で起こった事件の記述が後半に示される部分は、壮絶そのものなのです。
浜辺で銃殺された人々はみな海に流され、そこには何も残らなかったという現実は、この大量虐殺の側面をよく描きだしています。
キョンハのもとへ、インソンから「すぐ来て」というメールが来る冒頭の部分は、作品のスピード感をあげるのに成功しています。
キョンハはソウルの病院に入院中の友人インソンから、済州島に残したインコに餌と水を与えてほしいと頼まれたのです。
友人のインソンはなぜ済州島に戻ったのか。
それは認知症が進む母の介護のためでした。
仕事を一緒にしようと約束していたのに、その後制作の話は進んでいきません。
彼女は島へ戻ってから、突然仕事をやめ、木工製作に励みだしました。
しかしある日、誤って機械で指を切断してしまうのです。
島に手当てのできる病院がなく、彼女はソウルへ救急輸送されます。
インソンは母親の介護で済州島に帰っていると、キョンハは思いこんでいたのです。
メールには病院の名前が記されていて、「すぐ来て、身分証明書を持って」というものでした。
キョンハは緊急事態が起きたのだろうと、仕事場から家に戻らずタクシーで病院に急ぎます。
インソンは工房で指を切ってしまい、病院で縫合の処置をしてもらったというのです。
3分に1回、介護人に神経が駄目にならないように、指に針をさされているのだと告げます。
そのインソンからの頼みはすぐ島に行って、家にいる2羽のインコに水と食べ物をやってほしいというものでした。
今日行かなくてはインコが死んでしまうというのです。
キョンハは彼女の依頼に応じて、済州島へ向かいます。
天候が悪くなり、島には雪が降り始めていました。
この部分の記述はみごとというしかありません。
その後、やっとのことで済州島の家に着いた彼女の前に繰り広げられる光景は雪一色でした。
彼女は電気も切れた家の中で、米ソ冷戦下でおきた4.3事件にまつわる家族の悲惨な過去を知ることになります。
済州空港の滑走路の下に埋められた事実、海岸で撃たれ対馬まで波に流されたこと、穴に死体が捨てられたままの過去の歴史がそこで明らかになるのです。
母親との葛藤
描写の中ですさまじいのは、済州島4.3事件を生き延びた母親に触れたところです。
インソンは以前、老いた母親を嫌っていたのです。
その描写はすさまじいです。
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そのうちいつからか、母さんが嫌になってきたの。
この世が嫌で耐えられないのと同じくらい、ただもう母さんが気持ち悪かった。
自分自身を嫌っていたのと同じくらい、母さんが嫌だったんだね。
母さんが作ってくれた料理が気持ち悪くて、傷だらけの食卓を几帳面に布巾で拭いてる後ろ姿にぞっとして、昔ふうに結い上げた白髪が嫌で、何かで罰を与えられた人みたいに少し背中をかがめた歩き方にいらいらした。
だんだん憎しみが大きくなって、そのうち息もできないくらいになったの。
何か火の玉みたいなものがひっきりなしに、みぞおちから湧き上がってくるみたいで。
家出したのは要するに、生きたかったからだよね。
そうしないとあの火の玉が私を殺してしまいそうだったから。
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その母親が作品の後半で、全く違った横顔を見せます。
インソンが虐殺事件の中で、母親がどのような行動をしたのかを知った時から、母に対する嫌悪感が消えたという事実と重なります。
父親が奇跡的に生きていたこととあわせて、この部分の記述はさまざまなことを考えさせます。
読んでいて感じるのが、島の言葉をどう翻訳したのかということです。
翻訳者の斎藤真理子さんは、沖縄の現地語をかなり勉強したとか。
元々、済州島は両班と呼ばれた貴族の流刑地でした。
島民たちだけにしか通じない、特殊な表現ばかりなのです。
それを日本語にする時、どうしたら作品に緊迫感を与えることができるか。
そのヒントを沖縄方言にみたということです。
確かに「ウチナーグチ」と呼ばれる沖縄独特の表現は、島という閉鎖された社会に共通しているものかもしれません。
南部戦跡をたくさん見たぼく自身、方言を翻訳に取り込むというアイデアに感心させられました。
作品の内容を説明していると、非常に残虐な描写の多い作品だと感じるかもしれません。
しかし実際は大変に静かな小説なのです。
悲しいくらいに白くて静謐です。
ノーベル賞をとったという感覚だけで読んでも、得られるものは少ないかもしれません。
しかし「語り継ぐ」という人間の営みが、どういうことかを考えるのには有効です。
ぜひ、一読をお勧めします。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。