【真打すごろく・柳家権太楼】死ぬまで続く芸の道にあがりはないという真実

ノート

柳家権太楼

みなさん、こんにちは。

アマチュア落語家で元高校国語科教師のすい喬です。

今回は噺家、柳家権太楼の話をします。

好きですね。

「宿屋の仇討ち」という噺を権太楼の型で覚えました。

爆笑派の1人です。

十八番は「代書屋」でしょうか。

何度聞いたかわかりません。

「幽霊の辻」(ゆうれんのつじ)や「佃祭」も好きです。

1970年、五代目柳家つばめに弟子入りしました。

柳家ほたるで前座修行を開始。

その後、1974年に師匠が亡くなったため、大師匠、五代目柳家小さん門下に入りました。

やがて二つ目を終えて、1982年9月、18人抜きで真打に昇進したのです。

三代目柳家権太楼を襲名しました。

その頃の盟友が今度、落語協会会長になった柳家さん喬です。

上野鈴本で行われる柳家2人の落語会は、毎回チケットが完売します。

仲がいいのかというとそうではありません。

では不仲なのかと聞かれれば、それも違います。

2人きりでお酒を飲んだことはないとか。

名人並び立たずということでしょうか。

互いの芸を尊敬しあっているだけに、つかず離れずなのです。

最高のライバルといえるでしょう。

その彼も後期高齢者になりました。

何度か入院を繰り返し、今日を迎えています。

疲れない落語

こういう言い方をすると失礼にあたるのかもしれません。

しかし何度聞いても、疲れません。

楽しいのです。

愉快です。

最近は彼自身も落語そのものを楽しんでいるようです。

その「ゆらぎ」が面白さを助長しているようにもみえます。

Youtubeでも見ることができます。

ぜひ、試みてください。

やはり「代書屋」からでしょうか。

こんな依頼人がいるワケはないという事実から離れて、単純に楽しめます。

権太楼の落語に出てくるのは庶民ばかりです。

殿様もいないわけではありませんが、長屋に住むごく普通の人間たちに寄り添っています。

「たちきり」などという噺では、遊女も登場しますが、やはり底辺で暮らす人々にかわりはありません。

権太楼はそうした人々にあたたかいのです。

やさしさが根底にあるので、安心して噺を聞いていられます。

けっして裏切られることがありません。

現在は落語協会の重鎮として、また柳家の代表として、さまざまな席に出ます。

特に真打披露興行などの時には、必ず顔を出しますね。

その中で、一番印象に残ったときの話をしましょう。

ある噺家の真打ち披露でこんなことを話していました。

真打すごろく

今までは上をめざし、とにかく真打ちになることだけを念じてきたことと思います。

けれど、このすごろくはクルッと裏を返すと、名前をかえて、本当の真打ちすごろくになるんです。

今までと違って、何年たてば必ず上に上がれるというもんじゃない。

少し先まで行ったかと思うと、そこでしばらく待てとなり、さらに振り出しへ戻れとなります。

どこに上がりがあるのかまったく見えず、死ぬまで続く厳しい戦いなんです。

だからお客様のあたたかいご祝儀が必要です。

ご祝儀とは金銭のことじゃない。

高座にあがる時に迎え手の暖かい拍手をしてあげてください。

終わったら、よかったよ、おもしろかったよという送り手の盛大な拍手をたくさんください。

芸人ははやされれば、踊るんです。

みなさまのこころからの応援をこの若い噺家に送ってあげてください。

よろしくお願いいたします。

また一つ増えて嬉しい寄席のぼり。

本日はまことにありがとうございました。

権太楼のあたたかい口上が今も耳に残っています。

芸人の人生は想像以上に厳しいものです。

少し人気が出ていい気になると、すぐにお客が引いていきます。

どこまでも謙虚でないと、それがすぐ芸に出ます。

登場人物の長屋の住人には、なんの驕りもありません。

しかしそれが少しでも噺の中に見えてしまうと、所詮嘘の塊になってしまうのです。

怖いです。

しかし真実なのです。

必死に生きるために

噺家1000人の時代です。

いい名跡を手にしたからといって、人気がでるとは限りません。

名前はその人が自分の力で大きくしていくものなのです。

事実、近年、人間国宝になった噺家の名前は「五街道雲助」です。

ご存じですか。

彼の弟子たちは、誰も「五街道」を名乗りません。

桃月庵白酒(とうげつあんはくしゅ)、隅田川馬石(すみだがわばせき)、蜃気楼龍玉(しんきろうりゅうぎょく)というのです。

初めて耳にするという人もいるでしょう。

Photo by tablexxnx

それくらい噺家の世界も多様になっています。

その中を必死に生きている人間だけに呟ける言葉なのでしょう。

真打ち披露興行の時にトリをとってはみたものの、その後一度も機会がないという噺家がいかに多いことか。

真打ちすごろくの存在とその怖さをあらためて感じざるを得ません。

芸の世界には鬼が宿っていると思います。

「芸は砂の山」とかつて三遊亭圓生は呟きました。

いくら積み重ねても、すぐに崩れていくのです。

それだけに、生き残ることの難しさをあらためて感じます。

権太楼の挨拶は、そうした日々を潜り抜けてきた人だけに言える言葉にちがいありません。

肝に銘じておきたいものです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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