ホンネとタテマエ
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
よく面接のときに、なぜこの学校を志望しましたかと訊かれますね。
その時、まさかここしか受からなかったからとか、ここに推薦がもらえたからなどと答える受験生はいないでしょう。
もしかしたら、確かにそれが本当なのかもしれません。
他の学校の推薦ワクが全部埋まっていて、親には現役でどこかに入ってくれと言われたからなどということもあり得ます。
とくに今は大学全入時代です。
選ばなければ、どこかに潜り込めます。
しかしそれがホンネだとしても、はっきり口にする学生を大学は欲しがるでしょうか。
その学生が4年後に就職活動などで苦労するのは目に見えています。
好んで入学させたくはありません。
しかし現実はそんなことも言ってられないのです。しない
定員を充足できない大学も現実には存在します。
学力テストをしない大学も多くなっているのです。
そのかわりに、最近は小論文と面接を利用する大学が増えました。
私立大学の合格者の50%は現在、推薦入試組です。
どちらかといえば、小論文は基本的にタテマエ的な意見が優先する試験なのかもしれません。
採点者は現状肯定型より、改革優先型を好む傾向が強いです。
自分の利益を前面に出すタイプの文章は、あまり評価されないのです。
できれば「利他」の考え方を導入してください。
難しくいえば「喜捨」の論理です。
社会貢献という言葉の方が理解しやすいかもしれません。
社会に対して自分に何ができるのか、そのためにはどうすればいいのかという視点があれば、それだけで内容が豊かに膨らんできます。
現実はこうなのだから、これ以上はどうにもならないという考え方も確かにあるでしょう。
簡単に世界が好転しないのは、ある意味当然です。
これだけ、核廃棄、戦争放棄、平和志向を訴えていても、現実はそれと反対の方向に動いています。
都合のいい論理
世界中がポピュリズムの嵐の中にいます。
自分たちに都合のいい論理を組み立てて、他国に侵入するという事実もあります。
悲しい現実です。
入試では採点者が好感を持つ内容を前面に押し立てて、文章を組み立てる方が有利でしょう。
つねに社会貢献の視点を忘れないでください。
さらに大切なことは、筆者の人格を否定しないということです。
近年の試験は基本的に課題文型が多いです。
かなり長めの文章が最初に登場します。
その内容を読み取るだけで、大変な労力を使うのです。
しかし基本的にこれだけはやってはいけないという大切なポイントがあります。
それは課題文の筆者の人格を否定してはいけないことです。
問題作成者たちが、相談し合って、試験に適した文章を課題文に選びます。
当然そこには、一定の方向性を持った考え方があるはずです。
それを全面的に否定することだけはやめた方がいいです。
採点者の心証を悪くするだけではありません。
受験したあなたの人格が破綻していると、考えられてしまう可能性があるからです。
どんなにNoを言いたいときでも、必ず筆者の立場をきちんと理解し、ここまでは了承したけれど、これ
以降の論点には懐疑的だと順序立てて示すべきです。
よくある言い方としては「確かに~だが、しかし」という言い方があります。
これならば、すべてを否定しているわけではなく、採点者の気分を害することも少ないと思われます。
しかしだからといってこれをつねに定型として得意技にしてはいけません。
よく参考書にありますね。
小論文のためのツールのように紹介している本もあります。
課題文を最初に要約し、「では、~だろうか」と問題提起をするのです。
その後「確かに、~。しかし、~である。」といった形で対立意見を出して批判するものです。
こういう書き方があることを否定するものではありません。
ただしいつでもこのパターンに押し込めば、合格答案になるというワケではありません。
全ての小論文をデジタル的に、YesNoに分けることはできないのです。
段落の切り方
段落は一目で実力を診断する材料です。
よく真っ黒な答案がありますね。
文字だらけの解答です。
段落が3~4つないと、全体が一気に黒々とした印象になります。
採点をしていてもあまり読みたくないパターンです。
実際に読んでみると、案の定、内容にまとまりがありません。
論理の運び方がはっきりしていないのです。
同じテーマが何度も繰り返されています。
このタイプがもっともNGな答案ですね。
段落というのは本来意味の塊です。
その中には同じ論点の内容が含まれています。
あまり多すぎると内容が細切れになりすぎて、読んでいられません。
その反対は全部の内容が固まりすぎて、論点の進展がよくわからないのです。
小論文の基本が問題提起、原因の分析、解決策だということは、何度も書いてきました。
もちろん、この通りにはいかないケースも多々あるでしょう。
しかし基本はまさにこれです。
3つの要素を正確に
この3つの要素が抜け落ちてしまうと、小論文にはなりません。
もう一度書いておきます。
①問題提起、②原因の分析、③解決策です。
これだけではどうしても内容が理解されにくいときに、自分の体験や見聞などを入れて、よりわかりやすくするのです。
元々、それほどに重厚な内容が800字足らずでかけるワケはありません。
あくまでもその入口を覗くというレベルでいいのです。
それでかまわないのです。
どうしても採点者に認めてもらいたい思う一心で、筆者の主張を頭から否定するなどということは論外です。
そういう時にタテマエも捨てたものではありません。
多くの人はタテマエには価値がないものと考えがちです。
確かに大人はいつも大所高所に立った、一般論ばかりを振り回しているという考えをもつ人も多いはずです。
しかしこれは少し言いすぎです。
小論文というのは、常にそうした側面を持っているものなのです。
あまり個人的な考えだけを明らかにしても、高い評価を得ることはできません。
だからといって刺さらない文章を書きなさい、というワケではありません。
ではあなた独自の論点なら、つねに刺さるのでしょうか。
そんなことはありません。
独りよがりになってしまう危険性を多々含んでいます。
一般論をうまく利用しながら、そこに自分の考え方をさりげなく突っ込んでいく。
その加減が大変に難しいのです。
タテマエを入れたから、読者に刺さらなくなるということではないのです。
その方法論を手に入れることができれば、多くの試験で合格点をとることが可能になるはずです。
そのためには練習です。
あらゆる機会を捉えて練習に励んでください。
期待しています。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。