教育問題
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は先日ちょっとだけ、ミヒャエル・エンデについて書いた内容の続編です。
『モモ』についてはあの記事にまとめた通りです。
その際、ちょっとだけ彼が通っていたシュタイナー学校のことについて触れました。
最近は教育問題を扱う新聞記事が多いですね。
トップはやはりいじめでしょうか。
それが引き起こす自殺などの話を読んでいると、少子化社会を迎え、さらに息苦しくなるのかなとつい危惧してしまいます。
SNSを使わない子供は近いうちにいなくなるでしょうね。
今は小学生の方がタイピングも速いと聞いています。
入学当初からタブレットを持ち、プログラムの勉強もしています。
今の中学生よりも始めた時期がはやいのです。
できる子は、すぐにプログラムを書き直すといいます。
SNSなんてもうあたりまえの世の中になるでしょう。
町田市の事件では先生が与えたタブレットを勝手に使いこなして、友達とやりとりしていたそうです。
当然内容は想像できますね。
日常の学校での細部にわたる話です。
大人が全く知らないようなことも子供どうしは共有しています。
それがいじめに発展するまでには、そう時間はかかりません。
同調圧力が強い日本社会の姿は子供の世界でも同じです。
大人だけの話ではありません。
他人と比べなければ生きていけない日本人にとって、SNSは両刃の剣です。
シュタイナー学校
人智学という言葉をきいたことがありますか。
あまり多くの人が口にする内容ではありません。
哲学や教育学の一種だと考えてください。
ルドルフ・シュタイナーは自律を求めようとする態度を終始とりました。
彼は1861年に生まれ、オーストリアやドイツで活動しました。
その活動の全容を知るのは大変です。
人智学について多くの著作を書いています。
基本はやはり人間の思想、精神に及ぶものでした。
なかでも1番強い影響を与えたのが教育だったのです。
彼の考えに共鳴する人たちがつくったのがシュタイナー学校です。
子安美知子さんの本は日本でも驚きをもって迎えられました。
『ミュンヘンの小学生』『ミュンヘンの中学生』がそれです。
この本は彼女自身の娘さんがシュタイナー学校へ通った時の記録です。
確かにユニークな学校ですね。
どちらかといえば自由な芸術教育とでもいえばいいのでしょうか。
知識ばかりを詰め込む今の日本の学校とは正反対です。
しかし何も教えないというのではありません。
絵を描くこと、踊りを踊ること。
この2つを特に大切にしています。
オイリュトミーと呼ばれる自然に身体を動かす動作は、人間の感情をより自然なものにすると言われています。
絵なども何かを描くというのではなく、その色が持っている力とか、大きく塗りつぶしていく時の爽やかな気分などを重視しているのです。
その他にもいくつか特徴があります。
①在校中、担任は変わらない。
②教科書を使わず、カリキュラムもない。
③通信簿も点数をつけない。
これだけでもちょっとした驚きですね。
1人1人を大切に
教育は人間の根本です。
人間の価値観を伝える重要なファクターです。
それだけに芸術的な要素をたっぷりと加えながら、身体の動きをコントロールする教育にはある種の哲学があります。
神秘性をもったメソッドなのかもしれません。
障害児を障害児として扱わないというのも、シュタイナー教育の特徴です。
同じクラスで一緒に育っていきます。
効率ということからは1番遠いのでしょうね。
シュタイナーはヨーロッパの中世やルネサンスから続く「神秘」の水脈を受け継いでいます。
それだけに近代社会が作り出した息苦しさから抜け出そうと考える人には、熱く受け入れられました。
エンデ自身が深い関心を示したのは当然のことだったでしょう。
彼もシュタイナー学校に在学していたのです。
ぼく自身、エンデに興味を持ったきっかけは彼の小説よりも、むしろシュタイナー教育を受けた人間だからという側面が強かったのです。
シュタイナー教育は今や管理主義教育のアンチテーゼになっています。
さまざまな国でその研究と実践がさかんになっているのです。
実際そこからどのような人間が生まれ育ちつつあるのかについては、とても関心がありました。
そこで繰り広げられるオイリュトミーやフォルメンの実習、さらに芸術教育が人間の自発性をどう展開させるのかというポイントは示唆に富んでいます。
シュタイナーは社会の3層化を強く訴えました。
人間の社会生活を精神の領域、経済の領域、法の領域に分けたのです。
それぞれが独自の機能を持つべきであるとしたのです。
3つの営みはしかしそれぞれが有機的につながりあっています。
特にその中でも精神の領域においては想像力の豊かさが求められます。
エンデへの影響
エンデの作品の中にシュタイナーの思想は多くみてとることができます。
その基本は自分を認識したければ、世界のなか、あらゆる周囲に目をそそぎなさいということです。
あなたが世界を認識したければ、あなたのなか、自身の深みに目を向けなさいというのが基本です。
自分を掘ればそこに泉があるという考え方です。
真の自分とは自分の外にあるものや人との関係の中から明白になるという彼の考え方がよく出ています。
そこにモモという少女の姿が浮かんではきませんか。
『オリーブの森で語りあう』という対談集の中には次のような言葉があります。
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試みがうまくいかなくても、そのおかげで変化がもたらされるときみはいった。
たしかに人類の歴史の99.9%は外側からみると失敗した試みだ。
しかしそういう試みは、失敗にもかかわらず、いやまさしく失敗だからこそいっそうずっと意味をもちつづけるんだ。
だれもがうまくやりたいと思う。
けれども外側からみて失敗だとしても、大きく人類の歴史からながめるなら、試みの価値と影響力は消えないわけだ。
それはけっして否定できない。
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数々の失敗をくりかえすことでバスチアンはファンタージェンから抜け出すことができました。
『はてしない物語』も内容の深い童話です。
ミヒャエル・エンデは自分自身の体験を通して様々なことを語ろうとしました。
それをどう生かすのかは、まさにあなた自身です。
日本にもシュタイナー学校は何校かあります。
関心のある方はHPなどでチェックしてみてはどうでしょうか。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。