捜神後記
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は陶淵明の作と言われる全10巻の中から特に有名な「楊生の狗」の話をします。
主人公・楊生が飼っていた犬の機転によって命を2度も救われたという話です。
酒に酔ってあやうく焼け死ぬところだった楊生を、犬は体についた水で助けました。
またその犬をくれるなら助けてやろうと言われると、その場の雰囲気を察知し犬自身が素早く次の行動に出ました。
賢い犬の頭の回転の速さを味わってください。
作者の陶淵明の名前はご存知ですね。
有名なのはこのブログの記事にもした『桃花源記』です。
老荘思想の影響を強く受けた文人です。
陶潜の名前で知っているという人もいるかもしれません。
20代の終わりに科挙に合格して官職に就きました。
しかし40歳を過ぎた頃、辞めて故郷に戻り農作を始めます。
その時の詩が有名な『帰去来辞』(ききょらいのじ)です。
最初の一節が殊によく知られています。
帰りなんいざ。
田園将(まさ)に蕪(あ)れんとす、胡(なん)ぞ帰らざる。
このフレーズを聞いたことがありませんか。
彼は名利も地位も求めない理想的な生き方を望みました。
しかし理想と現実は違います。
陶淵明の詩の多くは酒を歌ったものが多いのです。
昔から日本人に愛されてきました。
ある種の懐かしさとともに思い出される詩人なのです。
この『捜神後記』という作品は彼が『捜神記』のあとを受けて編んだものと言われています。
『捜神記』は4世紀の東晋時代に干宝という人が編纂した奇譚小説です。
神や仙人、妖怪などが多く登場する不思議な話がたくさん載せられています
書き下し文
晋の太和中、広陵の人、楊生、狗を養ひて、甚だ之を愛憐し、行止与に俱にす。
後に生、酒を飲みて酔い、大沢の草中を行く、眠りて動く能はず。
時に冬月の燎原にして、風勢極めて盛んなり。
狗、乃ち周章号喚す。
生、酔いて覚めず。
前に一坑の水有り。
狗、便ち走りて水中に往きて還り、身を以て左右の草上に灑(そそ)ぐ。
此くの如きこと数次、周旋して跬步し、草皆沾湿し、火至れども焚くを免がる。
生醒めて、方に之を見る。
爾る後、生、因りて暗行し、空井の中に墮つ。
狗、呻吟して暁まで徹す。
人有りて経過し、此狗が井に向かい号ぶを怪しみ、往きて視れば生を見る。
生曰く「君、我を出だすべし、当に厚く報ひ有るべし。」
人曰く「此の狗を以て与へらるれば、便ち当に相出だすべし。」
生曰く「此の狗、曽て我の已に死するを活かせり。相与ふるを得ず。余は即ち惜しまず。」
人曰く「若し爾(し)からば、便ち相ひ出ださず。」
狗、因りて頭を下げ井を目す。
生、其の意を知り、乃ち路人に語りて云はく「狗を以て相与へん。」と。
人即ち之を出だし、之を繫ぎて去る。
後五日、狗、夜に走り帰る。
現代文訳
晋の太和年間のこと、広陵の人で楊生という人がいました。
一匹の犬を飼っており、その犬を大変愛しみ可愛がって、いつも共に行動していたのです。
後に楊生は酒に酔い、広い草原の草の中で、眠ってしまい動けなくなってしまいました。
時はちょうど冬で、草原に野火が燃え広がり、風の勢いは大変強かったのです。
犬は慌てふためき、吠え喚きましたが、彼は酔って気づきません。
犬の前に水のたまった穴がありました。
そこで犬は走って水中に入り、還って、自分の体を使って水を左右の草の上に注ぎました。
このようにして数回繰り返し、周囲を旋って濡らし歩くうちに、草が皆濡れて湿ったため、火がやってきても焚けるのを免れたのです。
楊生は酒が醒めて、このことに気づきました。
その後、彼は暗い所をたまたま歩き、空の井戸に落ちて嵌ってしまいます。
狗は夜明けまで一晩中呻き唸りました。
ある人がそこを通り行き、犬が空の井戸に向って吠えているのを怪しみます。
そこに行って井戸を見ると、楊生が井戸の中に見えました。
彼は言いました。
「あなたが私を出してくださったら、きっと厚くお礼をしましょう。」と。
その人は「この犬を私にくださるなら、すぐにここから出してさし上げます。」
楊生は答えます。
「この犬は以前に私が死ぬところを助けてくれました。差し上げることはできません。そのほかのものなら、なんであろうと惜しみません。」
人は答えました
「もし犬をくれないのなら、あなたを出してあげません。」
犬は頭を下げ井戸を見ていました。
彼には犬の意図がわかり、すぐ路人に語りました「犬をお礼にさしあげます。」と。
その人はすぐに楊生を出してくれ、犬を繫いで連れ去りました。
帰って後、五日、犬は夜に走り帰ったということです。
怪異譚
中国の怪奇小説にはこの作品の前に『捜神記』があることは既に記しました。
それでは後の世ではどうなのでしょうか。
1番有名なのは『聊斎志異』(りょうさいしい)です。
中国の清代前期の短編小説集です。
作者は蒲松齢(ほしょうれい)という作家です。
高校では時代の新しい作品なので、ほとんど扱うことがありません。
古典というジャンルには入らないので所収しないのです。
しかし短編小説としての定評はとても高いです。
日本でもこの作品に関心を抱いた作家はいます。
その中でも1人あげるとすれば、安岡章太郎でしょうか。
『私説聊斎志異』という作品を上梓しています。
他に作品として完成した作家といえば、太宰治です。
『清貧譚』という小説がそれです。
これは何度読んでも不思議な味わいに満ちた作品です。
菊の苗を買いにいった主人公がたまたま出会う人を自宅に招きます。
姉と弟の2人でした。
弟が育てた菊によって主人公は豊かになり、姉を妻とします。
実はこの2人は人間ではありませんでした。
菊の精だったのです。
青空文庫で読めます。
実に不思議な読後感の短編です。
怪異譚の持つ特別な味わいに満ちているのです。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。