【マニュアル全盛】トリセツの未来は想像の外【効率主義の落とし穴】

ノート

トリセツ本ばやり

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

昨日もちょっと駅前の本屋さんを覗きにいきました。

世の中の流れを知るには最適の場所ですね。

その時々の人の心の動きがよくわかります。

今ならさしずめ来年の予想がヒット企画でしょうか。

アフターコロナの時代をどう生き抜くかということです。

といってもいつアフターなどと呼べる状態になるのか。

本当のところはよくわかりません。

目につくのがやはりお金の本です。

みんな不安ですからね。

年金もきちんともらえるのか。

それも何歳からになるのか。

こうすれば税金が戻ってきますとかいう本ばかり。

ちょっと悲しくなります。

そんな中で頑張っているのが、いわゆるトリセツ本です。

これはすごい。

ブームにのるというのは怖ろしいです。

いくつかあげておきましょう。

小林美智子『妻と正しくケンカする方法』、姫野友美『女の取扱説明書』。

黒川伊保子『定年夫婦のトリセツ』、黒川伊保子『夫のトリセツ』。

雨玉さき『JSのトリセツ』、黒川伊保子『娘のトリセツ』 。

黒川伊保子『家族のトリセツ』、黒川伊保子『息子のトリセツ』。

ちなみにJSとは女子小学生のことだそうです。

全くなんてことでしょう。

訴訟が怖い

妻と正しくケンカする方法なんて学んでどうするんですかね。

そうは言っても、ちょっとその世界を覗きたい気もしますけど…。

しかしここまでトリセツ化が進むと、人間はそんなに単純なもんじゃないだろうという気もしてきます。

マニュアルというのはそもそもなんのことなんでしょうか。

正確に言うと、トリセツとマニュアルは違うのかもしれません。

どちらかといえば、マニュアルの中にトリセツが含まれるという考え方のようです。

しかし使い方はかなり曖昧ですね。

少し調べてみました。

そもそもマニュアルとは、初心者に対して、具体的に扱う方法を教えるために標準化・体系化して作られた文書のことをさすようです。

つまり不慣れな人に対して、やさしく使い方を教えてくれる本というワケです。

だからいろんなことが細かく書いてあるのです。

最近では新製品を使って事故が起きたりするとすぐ訴訟になります。

そこで考えられる限りの注意書きを添付しなければならなくなりました。

よく例えに出されるのが電子レンジの話です。

ペットの猫を早く乾かす目的で、電子レンジに入れてはいけませんなどということが本当に書いてあったりするとか。

これは都市伝説ですかね。

多分笑い話でしょうが、企業にしてみれば死活問題です。

取扱説明書(トリセツ)というと、ちょっと機械装置や道具といった工業製品のイメージがありますね。

夫の効果的な使い方などといわれると、いかにも粗大ごみ化した亭主をバカにした雰囲気が漂います。

それがまた購買意欲をそそる理由にもなっているんでしょう。

ネーミングの妙とでもいえばいいのかもしれません。

ちなみに相手に分かりやすいマニュアル作成のポイントというのがあります。

視覚的に分かりやすく、デザインに凝りすぎないということです。

難しい用語をたくさん使わないことも大切です。

いずれにしても分厚いマニュアルはご免ですね。

マニュアルは便利

マニュアルという言葉にはプラグマティズムの匂いがあります。

アメリカ型の効率主義です。

なるべく短い時間で効果的に新人を教育する。

1人のキャビンアテンダントを育成するにはかなりの時間と手間ががかかります。

それを最短で行うための方法論なのです。

新人を教育する時には、この通りやればとりあえず形になります。

制服の着方からお化粧の仕方、立ち居、振る舞い。

全てにわたって細かく指導されます。

もちろん、パイロットも同様です。

pixel2013 / Pixabay

複雑な航空機の操縦を分厚い手引書通りに覚えていかなければなりません。

機体が変われば、マニュアルもかわります。

非常時のマニュアルなどは完全に身体の中にしみこませておかなければならないでしょう。

いつだったかテレビで宇宙飛行士のマニュアルが紹介されていました。

英語の他にロシア語のものもありました。

うずたかく積まれたマニュアルを全部頭に入れなくてはならないと聞いて、眩暈がしました。

本当にものすごい能力を持った人以外には無理です。

真のサービスとは

これはある落語家がよく噺のまくらで使うマニュアルばかのネタです。

その師匠がある日、楽屋にいる若い前座さんのために、とあるハンバーガーショップに立ち寄ったと思ってください。

そこで彼は30個ばかり注文しました。

いつものようにその店員さんはありがとうございます、とハキハキした声で挨拶をしてくれました。

そこまではいいのです。

その次の台詞が「こちらでお召し上がりになりますか」というものだったとか。

まさか30個のハンバーガーをたった1人で食べるワケがないじゃないかと彼は高座で吠えておりました。

さらに、コーヒーを注文すると、こちらコーヒーになりますと呟いたとか。

またまたその噺家はカチンときて、コーヒーになるということは、その前はなにか別のものだったのかとつい訊きたくなったそうです。

ひとつひとつの言葉を大切にしている噺家だからこそ、気づく様々な表現のおかしさということなのでしょうか。

先日もとある店に入り、コーヒーとパンを注文したら、ごゆっくりどうぞと挨拶されました。

このお店は入り口にさまざまなパンを置いて、お客が勝手にトレイにのせてとる方式になっています。

そこまではいいのですが、いちいちパンが焼けるたびに、その商品についての解説をし、あたたかいうちにどうぞというようなことを店員が一斉に呟きます。

時には誰かのいうことを復唱したりもします。

マニュアルがあるらしいということは、しばらく店の中にいれば、誰でも気づくのです。

毎回、同じことを言うので、なんとも不思議な光景に見えて仕方がありませんでした。

自分で全てを誰にも言われる前に気づき、行動するということは大変な努力を要します。

それを短時間でこなすためにあらゆるマニュアルが必要となるのでしょう。

しかし真のサービスは、こころの中にあるということもまた事実なのです。

何かを注文するたびに、「よろこんで」と叫ぶ居酒屋チェーンや、ドアを開けると「ようこそ」と挨拶するファミリー・レストランもまた異様な風景です。

客が正面玄関に現れるたびに、ごく自然に応対し、時にはそのお客の名前を口に出して迎えるというホテルのドアマンの話をいつかテレビで見た記憶があります。

さらに部屋に残していったたった1枚のメモでも、必ず捨てずに保管しておくというある名門ホテルの話を読んだこともあります。

その1枚のメモ用紙が、お客様にとってどれほど大切で意味があるものなのかまで、想像した末の行動なのだとか。

たかがマニュアル、されどマニュアルなのかもしれません。

人間の行動には複雑な連鎖があります。

それをマニュアルで全てこなせるとはどうしても思えません。

トリセツで扱われるほど、単純な人間じゃないぞと呟きたいのですが、さてどんなものでしょうか。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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