火炎を描く
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、ブロガーのすい喬です。
今回は必ず高校1年で習う『宇治拾遺物語』の中から代表作「絵仏師良秀」を取り上げましょう。
覚えていますか。
高校に入って1学期に習う単元にあります。
燃え盛る火を見ながら、叫ぶ絵仏師良秀の姿には鬼気迫るものがあります。
芥川龍之介はこの作品にヒントを得て『地獄変』という短編を書き上げました。
学校によっては同時にこの小説を扱うケースもあります。
原文
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これも今は昔、絵仏師良秀といふありけり。
家の隣より火出できて、風おしおほひてせめければ、逃げ出でて、大路へ出でにけり。
人の書かする仏もおはしけり。
また、衣着ぬ妻子なども、さながら内にありけり。
それも知らず、ただ逃げ出でたるをことにして、向かひのつらに立てり。
見れば、既にわが家に移りて、煙、炎くゆりけるまで、おほかた、向かひのつらに立ちて、眺めければ、「あさましきこと。」とて、人ども来とぶらひけれど、騒がず。
「いかに。」と人言ひければ、向かひに立ちて、家の焼くるを見て、うちうなづきて、ときどき笑ひけり。
「あはれ、しつるせうとくかな。年ごろはわろく書きけるものかな。」と言ふ時
に、とぶらひに来たる者ども、「こはいかに、かくては立ち給へるぞ。あさまし
きことかな。物のつき給へるか。」と言ひければ、「なんでふ、物のつくべき
ぞ。年ごろ、不動尊の火炎を悪しく書きけるなり。今見れば、かうこそ燃えけれ
と、心得つるなり。これこそ、せうとくよ。この道を立てて、世にあらむには、
仏だによく書き奉らば、百千の家も、出で来なむ。わ党たちこそ、させる能もお
はせねば、物をも惜しみ給へ。」と言ひて、あざ笑ひてこそ立てりけれ。
そののちにや、良秀がよぢり不動とて、今に人々めで合へり。
現代語訳
これも今となっては昔の話だが、絵仏師の良秀という者がいました。
家の隣から、出火して、風が覆いかぶさってくるように吹いて迫ってきたので、良秀は逃げ出して、大通りへ出てしまったのです。
家の中には人が注文して描かせている仏もいらっしゃった。
また、着物を着ていない妻子なども、そのまま家の中にいました。
それも気にかけず、ただ自分が逃げ出たことをよいことにして、道の向かい側に立っていました。
見ると、既に自分の家に燃え移って、煙や炎がくすぶるまで、良秀はだいたい、道の向かい側に立って、眺めていたので、「大変なことですね。」と言って、人々が、見舞いにやって来たが、慌てるそぶりはありません。
「どうしたのですか。」と人が言ったところ、良秀は向かいに立って、家の焼けるのを見て、うなずいて、時々笑っています。
「ああ、大変な得をしたなあ。長年下手に描いていたものだなあ。」
と言う時に、見舞いに来た人たちが、「これはまあなんとしたことだ、このよう
に立っていらっしゃるのか。驚きあきれたことだなあ。霊の類いがとりつきな
さったのか。」と言うと、「どうして、霊の類いがとりつくはずがあろうか、い
やとりついてなどない。長年、不動尊の火炎を下手に描いていたのだ。今見る
と、このように火燃えていたのだなあと、理解したのだ。これこそもうけもの
よ。この絵仏師の道を専門にして、世を生きていくには、仏さえ上手にお描き申
しあげるならば、百軒千軒の家も、きっとできるだろう。
おまえたちこそ、これといった才能もおありでないので、物をもお惜しみなさりませ。」と言って、あざ笑って立っていたのです。
その後のことでしょうか。
良秀の絵はよじり不動といって、今でも人々がみなほめ合っているということです。
伝説的な絵師
芥川龍之介は古典に題材をとった小説をいくつも書いています。
その代表が『羅生門』でしょうか。
高校に入って最初に習う小説がこれです。
『今昔物語』の中からテーマを引き出しています。
「羅城門ノ上層ニ登リ死人ヲ見タル盗人ノ語」というのがそれです。
原作の主人公は最初から「盗人」ですが、芥川の作品では「下人」です。
飢え死にをしそうになった下人が、ついにはどうしようもなくなって犯罪に手を
染めるというのが『羅生門』のストーリーのポイントです。
最初から他人のものを盗む気があったワケではないのです。
それが次第に変化していくところが大きな山場でしょう。
人間の心理の変化にスポットをあてたのが、まさに芥川龍之介ならではの視点だったのです。
内容には似ているものの、心理状態にはかなりの差があります。
1人の下人がどうして盗人になるのか。
正義とは何かということを考えさせる小説です。
それと同様に『地獄変』もある意味で怖ろしい小説だといえるでしょう。
絵仏師というのは仏の絵を描いて売る仕事をしている人のことです。
仏像は高くて買えないので、人々は仏の絵を買って、それを家に安置しました。
平安時代の伝説的な画師、良秀の話です。
傲慢で変わった性格のため、人々からは気味悪がられていたのです。
良秀には一人娘がいました。
大殿は良秀に「地獄変」の屏風絵を描くよう命じます。
良秀は何かに取り憑かれた狂人のようになり、地獄絵図に取り組みます。
その様子が次々と描写され、芸術を超えた狂気を感じさせます。
弟子を縛り上げて鳥に襲わせたり、夢の中でうなされたりします。
最後に彼が描こうとしたのが燃え上がる牛車と、その中で焼け死ぬ貴婦人の姿でした。
そこで大殿は、牛車に罪人の女房を閉じ込め火を放ちます。
その様子を見て絵を描けというのです。
しかし牛車の中にいたのは、良秀の娘でした。
最初は声も出ずに苦しみます。
やがて牛車に火がかけられ、娘は身もだえしながら死んでいくのです。
良秀はその様子を恍惚とした表情で見つめます。
彼は「地獄変」の屏風を完成させ大殿に献上します。
皆が称賛したその次の夜、良秀は自ら首を吊って死んでしまったのです。
芸術の行きつく先
芥川龍之介は何を見ていたのでしょうか。
彼自身、自殺をした時に呟いた言葉があります。
ぼんやりした不安というのがそれです。
「僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」という言葉で、芥川は旧友に手紙で送っています。
この手紙自体は青空文庫にも『或旧友へ送る手記』として残っています。
興味のある方は調べてみるといいでしょう。
芸術家として、自分自身を突き詰めていった時、まさに良秀のような芸術の持つ究極の怖さにもぶちあたったことでしょう。
そこから先へどう進めばいいのか。
日々考え続けたことと思います。
絵仏師としての生きざまと小説家の生きざまが重なって見えるような気もします。
自分の生き方に中世の古典を引き寄せる力の強さを感じないワケにはいきません。
機会があったら是非、いろいろな作品に触れてみてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。