雨が降った日
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
『落窪物語』は、継母にいじめられた姫が、知恵と愛によって幸せを掴んだという話です。
数ある古典の中でも、かなり珍しいジャンルに入る作品ですね。
主人公は落窪の君という名前の姫です。
亡くなった母親の形見の部屋「落窪(家の奥の暗い部屋)」に押し込められ、継母に虐げられます。
食事も満足に与えられません。
部屋の名前を聞くだけで、彼女のおかれた境遇が想像できます。
継母は主人公をいじめる典型的な悪役の役割です。
自分の娘だけを溺愛し、落窪の君を召使いのように扱います。
それに対して、少将は主人公を助け出す若い貴公子して登場します。
頭脳明晰で勇気もあり、落窪の君を窮地から救い出すのです。
現代版シンデレラストーリーと考えればいいでしょう。
二人の仲を取り持つのは阿漕(あこぎ)という女房です。
落窪の君は継母と義姉に冷たくされ、粗末な部屋で暮らしています。
しかし阿漕を通じて少将は姫の噂を聞き、彼女に会いたいと強く願うようになりました。
二人は恋に落ち、少将はついに姫を連れ出すことに成功します。

彼はやがて高い官職につき、落窪の君をいじめた継母に見返りを果たすのです。
最後には継母も悔い改めることで、大団円を迎えます。
落窪物語は日本最古の「いじめ」を題材にした物語といえます。
後の『源氏物語』や『狭衣物語』にも影響を与えました。
当時の貴族社会の生活(衣装・儀式・恋愛)も細かく描かれており、風俗資料としても貴重です。
主人公が知恵と忍耐で困難を乗り越える点が、古典の中でも特に印象的なのです。
今回は雨が降った日に、少将が出かけるのをためらうシーンです。
姫がその時の心情を歌に託すことで、自分の気持ちを強く訴えます。
本文
暗うなるままに、雨いとあやにくに、頭さし出づべくもあらず。
少将、帯刀(たちはき)に語らひ給ふ。
「くちをしう、かしこにはえ行くまじかんめり。この雨よ」とのたまへば、「ほどなく、いとほしくぞ侍らむかし。さ侍れど、あやにくなる雨は、いかがはせむ。心の怠りならばこそあらめ、さる御文をだにものせさせ給へ」とて、気色いと苦しげなり。
「さかし」とて、書い給ふ。

「いつしか参り来むとしつるほどに、かうわりなかんめればなむ。心の罪にあらねど。おろかに思ほすな」とて、帯刀も、「ただ今参らむ。君おはしまさむとしつるほどに、かかる雨なれば、くちをしと嘆かせ給ふ」と言へり。
かかれば、いみじうくちをしと思ひて、帯刀が返りごとに、「いでや、『降るとも』と言ふこともあるを、いとどしき御心ざまにこそあんめれ。
さらに聞えさすべきにもあらず。
御みづからは、何の心地のよきにか、『来む』とだにあるぞ。
かかる過ちし出でて、かかるやうありや。
さても世の人は、『今宵来ざらむ』とか言ふなるを、おはしまさざらむよ」と書けり。
君の御返りには、ただ、
世にふるを憂き身と思ふわが袖の濡れはじめける宵の雨かな
とあり。
注 帯刀 少将に仕えている男(姫君に仕えているあこぎの夫)
現代語訳
暗くなるにつれて、雨は外に出られないほどひどくなってしまいました。
「残念だが、この雨では姫のもとへ行けそうもないな。」
少将が帯刀に言いました。
「通い始めて間もないのに行かないなんて、姫君が可愛そうです。まあ、少将様が浮気をしたというのなら話は別ですが、このあいにくの雨ではどうしようもありませんし。せめて手紙だけでも送って差し上げてくださいませ。」
そう言う帯刀は、阿漕の顔を思い浮かべているのか、ひどく困った様子でした。
少将もその通りだと思ったのか、手紙を書きました。
「早くそちらへ行こうと準備をしているうちに、雨脚がひどくなってそちらにうかがえなくなりました。あなたへの愛が消えたわけではないので、悪く思われぬように。」
帯刀も阿漕に手紙を書きます。
「わたしは今すぐ行くよ。少将は、出かける準備をしているうちに雨がひどくなって、とても残念がっております。」
手紙を読んだ阿漕は、もちろん落胆を隠せませんでした。

『降るとも』という古歌を知ってるのかしら。
昔の人は、今夜行くと言ったら、雨が降ろうが風が吹こうが恋人のもとへ駆けつけたものなのに。
昔の人にできて、今の人にはできないって言うのでしょうか。
姫様に何と申し上げればいいのやら。
世間では『今宵来ざらむ』といえば今後もずっと来ないだろうって言うものなのに。
阿漕の今日一日の働きが無駄になっただけでなく、姫の三日夜までもがこんな形で消えてしまったのです。
一方、姫から少将への手紙には、ただ一首だけ歌が詠まれていました。
世にふるをうき身と思ふわが袖のぬれはじめける宵の雨かな
今でもこの世にいるのがつらい私の袖が、今宵は雨が降ってあなたが来ないので、もう濡れ始めています。
妻問婚
右近の少将が落窪の君のもとへ通い始めてから、3日目になっていました。
当時は男性が女性のところへ3日間通うと、結婚が成立したのです。
女性は実家で暮らしているのが普通でした。
男性が通う形式を妻問婚と呼びます。
女性のもとに通い始めて3日目の夜に、「三日夜餅」で祝います。
夫婦と両家が正式に結びつき結婚が成立したことを示す儀式です。
ちょうど、その3日目が豪雨になってしまったというのが、この段の背景にあります。 
「所顕(ところあらわし)」という祝宴を開くには、とにかく3日間通う必要があったのです。
従者の帯刀(たちはき)は少将の乳母子で、帯刀の妻、阿漕(あこぎ)は姫君にお仕えしています。
なんとかこの結婚を無事に迎えたいと彼女は神経を使っていたに違いありません。
それなのに雨が降ったからといってやってこないのでは、どうにもなりません。
せっかくの準備も無駄になってしまいます。
あこぎは亡くなった母宮が健在のころから姫君にお仕えしている女童です。
彼女は帯刀といい仲になり、それぞれが仕えている少将と落窪の姫をなんとか結びつけようと腐心していました。
それぞれに仕えていた主人同士が、恋心を抱いてくれたというわけなのです。
『落窪物語』は小舎人童と女童がそれぞれお仕えする宮と姫君の話という一面も持っています。
「ほどほどの懸想」という表現があります。
これは身分相応な恋愛をさします。

ここでは帯刀とあこぎ、少将と姫君という関係をイメージすると、理解が深まります。
雨の降る日でも男に女を思う気持ちがあるのならば、男はいつものように待っている女のところへやってくるはずだ。
それなのになぜ来てくれないのかという、阿漕の気持ちも理解できます。
他の日ではありません。
大切な三日夜餅の当日なのです。
少将を姫のところへお連れできない、帯刀への不満もみえます。
阿漕の気持ちも穏やかではありませんでした。
もちろん、豪雨がいけないのは誰の目にも明らかです。
姫の歌も縁語や掛詞などがみごとに使われています。
女性の持つ複雑な内面をうまく描き出している章段だと思われます。
今回も最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
  
  
  
  