現代語訳のすすめ
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
あなたは「源氏の須磨がえり」という言葉を知っていますか。
第1巻の『桐壺』から読み始めたのはいいものの、『須磨』『明石』ぐらいまで来ると、くたびれてしまうことをさしています。
実はここからが面白いんですけどね。
今はたくさんの現代語訳があります。
古文でしか読めなかった昔に比べれば、夢のようです。
昨今は漫画でも読めますからね。
入り口はどこからでもいいのではないでしょうか。
ぜひ、この物語の世界を覗いてみてください。
個人的には角田光代や林望の訳などが読みやすいと感じます。
なぜなら、敬語をほとんど省略しているからです。
『源氏物語』の難しさは登場人物の複雑な関係と敬語にあります。
かつては与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子、瀬戸内寂聴、村上リウなどたくさんの現代語訳がありました。
これから読み始める人には、新しい作家たちのものの方が入りやすいでしょう。
言葉の選択も、歌の解釈もわかりやすくなっています。
昨年は紫式部の一生がNHKの大河ドラマで放送されました。
その余韻はまだ残っていると感じます。
こういう機会にとりあえず『須磨』『明石』まで紐解いてみるのはいかかですか。
日本人の言葉の美しさに触れることができるはずです。
なぜ須磨へ
最初になぜ源氏が須磨へ移らなくてはならなかったのかを考えてみましょう。
この土地は京都からそれほど離れてはいません。
現在の地番は兵庫県神戸市須磨区です。
地名の由来は隅「スミ」が転訛したものだと言われています。
つまり関西圏の最もはずれという意味なのです。
ここに源氏が自ら移った理由はいくつか考えられます。
光源氏が23歳の年、桐壷院が亡くなり、時の権勢は朱雀帝の外戚である右大臣方に移りました。
翌年、院の奥方である藤壺中宮が29歳の若さで出家します。
前々から光源氏のことを快く思っていなかった右大臣や、弘徽殿の大后は光源氏を失脚させようと画策を始めました。
帝が寵愛する朧月夜との密会を、彼女の父親である右大臣に発見されてから、不穏な空気が漂っていたのです。
権力は、源氏と敵対する右大臣側が握っています。
当然のように、光源氏の官位はもぎ取られ、無位無官になりました。
この状態が続くと、流刑にあう可能性もあります。
そこで源氏はあらかじめ、自ら須磨に退くことを決意しました。
それが最も安全な策だと判断したからです。
最愛の妻、紫の上を本当は須磨へ連れていきたかったのです。
しかしそれをすれば、さらにどのような咎めがあるかもしれません。
そこで彼女を都に残し、わずかな従者だけを連れて旅立ったというわけです。
光源氏が26歳の時のことです。
この時、紫の上は18歳、藤壺の中宮は31歳でした。
つまり朝廷から居住を許される、畿内ぎりぎりの土地が須磨だったというワケです。
逆にいえば、須磨から先は貴族が住める土地ではなかったということを意味します。
朝廷に対する謀反の意思がないこと、朝廷への恭順を示すためにはここに移る以外にはありませんでした。
当然のことながら、光源氏の正妻格として夫を支えてきた紫の上は、たいそう悲しみます。
「どんなひどい所でもご一緒したい」。
「命にかえても別れをとどめたい」と涙を流します。
しかしそれも叶わないことでした。
過去の事例
須磨を選ぶにあたって、他の理由も考えてみましょう。
在原行平(ありわらのゆきひら)の和歌の影響がそれです。
わくらばに問ふ人あらば 須磨の浦に藻塩垂れつつわぶとこたへよ(古今集 雑 在原行平朝臣)
歌の意味は、もし、たまたまわたしのことを尋ねる人があったなら、須磨の浦で水を藻にかけ(涙を流して)思い悩んでいると答えてくれ、というものです。
行平は文徳天皇の時代に罪を問われて須磨に流されていたことがあり、この歌はそのときに都にいる知人に贈ったものと言われています。
今から考えると景勝の地で、さぞやのんびりと暮らせたのではないかと思うかもしれません。
しかし源氏の立場になってみると、華やかな宮廷生活をしていた身にとって、みやびと無縁な暮らしはそれだけで十分に苦しい日々だったのです。
京を離れるに当たり、源氏は親しい人々に別れを告げて回ります。
密かに別れを告げるため、左大臣、藤壺、紫の上、花散里、朧月夜といった近しい人々のもとへ忍んで出向き、別れを惜しみました。
須磨での暮らしぶりが『源氏物語』ではみごとに描かれています。
本文を少しだけ読んでみましよう。
落剝した源氏の心のうちが透けてみえてくるようです。
本文
その日は、女君に御物語のどかに聞こえ暮らし給ひて、例の、夜深く出で給ふ。
狩の御衣など、旅の御よそひいたくやつし給ひて、
「月出でにけりな。なほ少し出でて、見だに送り給へかし。いかに聞こゆべきこと多くつもりにけりとおぼえむとすらむ。
一日二日たまさかに隔つる折だに、あやしういぶせき心地するものを。」
とて、御簾巻き上げて、端に誘ひ聞こえ給へば、女君、泣き沈み給へる、ためらひて、ゐざり出で給へる、月影に、いみじうをかしげにてゐ給へり。
「わが身かくてはかなき世を別れなば、いかなるさまにさすらへ給はむ。」
と、うしろめたく悲しいけれど、思し入りたるに、いとどしかるべければ、
「生ける世の別れを知らで契りつつ 命を人に限りけるかなはかなし」など、あさはかに聞こえなし給へば、
惜しからぬ命に代へて目の前の 別れをしばしとどめてしかな
「げに、さぞ思さるらむ。」
と、いと見捨てがたけれど、明け果てなばはしたなかるべきにより、急ぎ出で給ひぬ。
道すがら面影につと添ひて、胸もふたがりながた、御舟に乗り給ひぬ。
須磨には、いとど心づくしの秋風に、海は少し遠けれど、行平の中納言の、「関吹き超ゆる」と言ひけむ浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。
御前にいと人少なにて、うち休みわたれるに、一人目を覚まして、枕をそばたてて四方の嵐を聞き給ふに、波ただここもとに立ち来る心地して、涙落つとも思えぬに、枕浮くばかりになりけり。
琴を少しかき鳴らし給へるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさし給ひて、
恋ひわびて泣く音にまがふ浦波は 思ふ方より風やふくらむ
と歌ひ給へるに、人々おどろきて、めでたう思ゆるに、忍ばれで、あいなう起きゐつつ、鼻を忍びやかにかみわたす。
現代語訳
須磨に出発する当日は、女君(紫の上)にお話をのんびりと日が暮れるまで申しあげて過ごし、いつものように、夜が更けてからご出発した。
狩り衣など、たびの御装束はひどく地味に装いなさって、
「月がすっかり出ましたね。明るいですがやはり少し端に出て、せめて見送るだけでもなさってくださいね。
須磨に行ったらどんなにか申し上げたいことがたくさんたまってしまったことよと思われることでしょう。
一日二日まれに離れている時でさえ、妙に気の晴れない気持ちがするのに。」
と言って、御簾を巻き上げて、端の方に来るようにお誘いすると、
女君は、泣いて沈んでいらっしゃるが、心を静めて、膝をついて進み出てきたその姿は、月の光に映えて、とても美しい様子です。
源氏は「私がこのようにはかない世と別れてしまったならば、紫上はどのような様子で頼るところもなくお過ごしになるだろう。」
と心配で悲しいけれど、思いつめているので、何かと言うといよいよ悲しみが増しそうなので、
「生きているこの世に別れというものがあると知らないで、死ぬまで一緒にいると、あなたに何度も約束したことでした。あてにならないものです。」
などと、わざとあっさり申し上げると、紫上は惜しいとも思わない。
この私の命とかえて、目の前のあなたとの別れをしばらく止めたいと一心に思われる。
とても見捨てがたいけれど、すっかり夜が明けてしまったならば体裁が悪いだろうからと源氏は、急いでご出発した。
道中、紫上の姿がありありと思い出され、ぴったりと身に添っているようで、胸もふさがった思いのまま、お舟にお乗りになった。
須磨では、ひとしお思いを尽くさせる秋風によって、海は少し遠いけれど、須磨に流罪になったという行平の中納言が、「関吹き超ゆる」と詠んだとかいう浦波が、毎夜本当にたいそう近くに聞こえて、この上なくしみじみと風情があるものは、このような所の秋であったのだと感じる。
源氏のおそば近くには人もたいそう少なくて、皆が寝続けている時に、一人目を覚まして、枕を斜めに立てて家の四方の激しい風の音を聞いている。
すると、波がすぐにこの辺りに打ち寄せて来る気持ちがして、涙がこぼれるとも思えないのに、いつの間にか枕が浮くほどになってしまったのだった。
琴を少しかき鳴らしてこたものの、その音が自分でもひどくもの寂しく聞こえるので、弾くのを途中でやめて、
恋しさに耐えきれずに泣くと、その声に似ている浦波が寄せてくるのは、私のことを恋しく思う人々のいる都の方から風が吹いてくるからだろうか。
とお歌いになっていると、寝ていた人たちもはっと目を覚まして、すばらしいと思われるので、我慢できずに、わけもなく身を起こしながら、皆そっと鼻をかんでいる。
明石の君との出逢い
都の華やかな生活とは打って変わって、須磨での住まいは侘しいものでした。
都に残した恋人たちとの文通だけが、心の慰めとなったのです。
源氏の手紙に対し、出家した藤壺からも情のこもった返書が届きます。
朧月夜や紫の上、六条御息所からも便りが次々と届いたのです。
朧月夜は、帝の寵愛を受けながらも、源氏のことを忘れられずにいました。
さてこの後、明石の君との恋愛が始まります。
彼女との間に生まれた女の子、明石の姫君がやがて紫の上の苦悩を深くさせる原因ともなっていくのです。
長くなりますので、源氏の話はまた次の機会に話を譲ることにしましょう。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。