真打襲名披露
みなさん、こんにちは。
アマチュア落語家で元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は噺家の名前の話をしましょう。
ぼくにももちろん高座名があります。
アマチュアですから、勝手に自分でつけました。
苗字にあたる亭号は「春乃家」としました。
なんとなく春の気分が好きだったものですから。
亭号には「柳家」のように「家」がつくのと、「春風亭」のように「亭」が使われることが多いですね。
その他「桃月庵」とか「蝶花楼」のようなのもあります。
とんでもない名前ももちろんあります。
「台所おさん」とか「御船家ぎっちらこ」とか。
台所おさんは落語協会の真打です。
御船家ぎっちらこは古今亭の大きな名前ですけど、あの菊之丞がこの名前になりかけて勘弁してもらったという有名な話もあります。
それじゃあ、女形みたいな風情だから、いっそ「菊之丞」にしちゃえということになったのだとか。
ただし誰も最後の「丞」の文字が書けず、あわてて辞書でひいたそうです。
これは全部彼の噺のマクラに登場します。
皆さん、それぞれ昔の噺家の名前を探してつけるのです。
もちろん、名づけ親は師匠です。
その人の持っている雰囲気にあわせて、首をひねります。
前座の名前はのちにかえられることが多いので、なるべく覚えやすいものになりがちです。
最近の前座さんの名前を調べてみればそのことがよくわかります。
師匠の名前
多くのケースでは師匠の名前の一文字をもらうことも多いですね。
春風亭一之輔のところは師匠が「一朝」なので、「一」がつく人と「朝」がつく人に分かれています。
円楽一門は、「楽」の字のつく人が圧倒的です。
好楽は笑点に出ているので、よく知られていますが、外にもたくさんいるのです。
鳳楽、小円楽、五九楽、楽麻呂、道楽、栄楽、とん楽、楽春、真楽、楽松、竜楽、良楽、愛楽、京楽…。
この後もずっと続きます。
人気のある兼好は、好楽の弟子なので、「好」の文字をつけたというワケです。
師匠が誰なのかがすぐにわかると、お客も安心なんでしょう。
飲み屋でちょっと知り合っても、師匠の名前が知れていると、それだけで御馳走をしてもらう機会もあるのだとか。
これも不思議な感覚ですね。
圓生の弟子だった円丈などは前座名を「ぬう生」といいました。
なんでも「ぬう」っと部屋に入ってくる形から名づけられたそうです。
師匠はいつも彼のことを「ぬう」と呼んでいたそうです。
なんとなく気の毒な気もしますが、これはまだ序の口です。
とにかく妙な名前の前座がいっぱいいて、きっと師匠も名前をつけるのが面倒になったのかもしれません。
変な前座名
ちょっと前に「ありがとう」という名前の前座がいました。
とにかく4年間ぐらいの間に、いろいろなところを回り、お客に愛される身とならなくてはなりません。
酒席でも、師匠がいいというまで、箸をもつことも許されません。
お酒を飲むなどというのはとんでもない話です。
グラスがあけば、すぐに次の注文をとり、たえずテーブルの上に目を配っていなければなりません。
お客の気分を良くするというのが、前座の修行なのです。
そうした日々の積み重ねが人の気をそらさないという芸の道につながるということなのです。
人嫌いではとても続けられませんね。
むしろ人たらしになれるかどうか。
それが次の仕事につながります。
先輩に可愛がられれば、地方へ一緒に仕事で連れて行ってもらえます。
当然、そのことは師匠の許可がなければできません。
師匠同士の礼儀で、自分の弟子が世話になれば、必ず挨拶をしなくてはならないのです。
師匠がなんにも知らずに、弟子が稽古をしてもらったなどということがあれば、即破門です。
サラリーマンがよくいう、「ほうれんそう」(報告、連絡、相談)をこまめにきちんと行うということが、最善の生き方なのです。
前座の名前も、師匠の亭号で随分と違います。
瀧川鯉昇の弟子たちはほとんど「鯉」という文字がつけています。
鯉朝、鯉太、鯉橋、鯉斗、鯉八、鯉輪、鯉んなどよくぞこれだけ名前をつけたと感心させられます。
春風亭昇太率いる落語芸術協会は割合おちついた名前のひとが多いですが、落語協会は随分とにぎやかです。
たたみ、ぼんぼり、らいち、うどん、東村山、わたし、松ぼっくり、おい太などと奇抜な高座名が続きます。
それもこれもはやくお客に名前を憶えてほしいからでしょう。
あるいは他の師匠に覚えて使ってもらいたいという一心からかもしれません。
しかし逆に大名跡となると、止め名といって、だれも使えないものもあります。
協会がすべて管理しているワケではなく、それぞれの家で持っている場合もあるのです。
これも実は悩みの種になっています。
「圓朝」「圓生」「志ん朝」「志ん生」などはさて誰が継ぐのでしょうか。
ぼくの場合
一番、最初は「小よし」としました。
よく名前に「小」をつけるのはよくあるケースです。
「柳枝」「小柳枝」「助六」「小助六」「遊三」「小遊三」「痴楽」「小痴楽」など、いくらでもいます。
しかしプロの方の中に何人かおられましたので、これはまずいと即却下になりました。
実はあの立川談志師匠も、かつて小よしを名乗った時期があるのです。
それでは、酔狂をもじって、勝手にさん喬師匠の弟子になってやれと考えました。
いけませんかねえ。
愛喬も考えましたが、現役にいました。
最初はかなり妙な感じもしましたが、昨今では身体にもなじんできたかなと思ってます。
名前はあとからついてくるものです。
美空ひばりだって、よく考えると、かなり妙です。
そんなワケで、噺もうまくなればいいんですけど、それはまた別のことです。
特別に載せたこの写真は某所で開いた独演会の時の様子です。
寿のついた座布団がご愛敬ですね。
今はもちろん、特製の座布団をあつらえて、使っています。
ここはさる豪商の別荘と聞きました。
由緒のある建物だそうです。
お客様に笑っていただけるいい道楽だと思っています。
ところで、名前がかわると、芸風もそれにつれて変化していくものだとよく言います。
歌舞伎などはいい例ですね。
いつの間にか、大看板の名跡を襲名し、芸の格もまた格別のものになるようです。
残念ながら、ぼくにはそんな話はありません。
師匠の名前を継ぐというのは、芸人にとって重い意味があります。
そのための精進をし続けなくてはならないのは、もちろんも当然のことなのです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。