【伊勢物語・身を知る雨】在原業平の代作が男の恋心に火をつけた【107段】

身を知る雨

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は『伊勢物語』を読んでみましょう。

教科書に所収されているものです

『伊勢物語』は中世を代表する「歌物語」です。

作品の中に必ず和歌が入っているところから、そう呼ばれました。

主人公は在原業平(ありわらのなりひら)です。

平安時代前期の貴族で有名な歌人でした。

皇族に生まれたものの、役人としては不遇だったので、歌の道に生きていこうとしたのでしょう。

この話に出てくる、藤原敏行は9世紀後半に活躍した官人、歌人、書家です。

三十六歌仙の1人に選ばれています。

因幡守、図書頭、左近衛少将などを歴任しました。

技巧を用いながらも自然な詠みぶりで、『古今集』に19首が入集しています。

藤原敏行は、藤原不比等の末孫です。

その男と、業平のところにいたという、ある女との間の愛のやり取りを歌ったのがこの段の内容なのです。

業平は身分も高貴で、歌にも熟達した人物として、理想化されて描かれています。

実際とは微妙に違います。

『伊勢物語』の成立過程を考えてみると楽しいですね。

この話は在原業平に仕えていた娘に、藤原敏行が言い寄ってきたところから始まります。

仕方なく、娘に代わって業平が歌を詠むことになりました。

その和歌が、敏行の心を突然揺さぶってしまったのです。

結果的に、彼が代筆をしたことで恋心を抱くようになったというのが、愉快です。

手紙の持つ意味

当時、代筆というのはかなりあったようです。

平安時代、男女が顔を合わすことは殆どありませんでした。

垣間見(かいまみ)というのがせいぜいです。

ちょっと覗いて、偶然に見かけたというレベルでしょう。

通常は最初は和歌のやりとりから恋愛が始まったのです。

手紙は、男にとっても女にとっても教養と才知を知らせるためのものでした。

紙の質、色合い、香の種類など、あらゆる要素が駆け引きの材料だったのです。

歌のレトリックや内容だけでなく、文字そのものの上手下手も大切な要素です。

全てが相手の器量を測る道具になったのです。

最初は女房が代筆して、手紙を書くケースも多かったようです。

さらに会を重ねていくうちに、相手の姫君から直筆の手紙をもらうようになります。

その頃になると、男は女性のところへ通うようになるというのが普通だったようです。

全ては女房の才覚にかかっていました。

TeroVesalainen / Pixabay

『源氏物語』などを読んでいると、どうやって光源氏が女性のところへ近づいていったのかが、よくわかります。

女房の手引きがなければ、とてもめざす女性のそばに寄ることなどはできませんでした。

しかしそれが事件に発展してしまうと、笑い話だけではすまされなくなります。

『源氏物語』の奥深さには、誰もが目を見張りますね。

『伊勢物語』のこの段の場合は代筆をしたのが、在原業平だったので、話がかなり複雑になってしまいました。

あまりにも歌のレベルが高すぎたのです。

最後に出てくる「数々に」の歌は『古今和歌集』に業平の歌として収められています。

本文

むかし、あてなる男ありけり。

その男のもとなりける人を、内記にありける藤原の敏行といふ人よばひけり。

されど若ければ、文もをさをさしからず、

ことばもいひしらず、いはむや歌はよまざりければ、かのあるじなる人、案をかきて、かかせてやりけり。

愛で惑ひにけり。

さて男の詠める。

つれづれのながめにまさる涙河袖のみひちて逢ふよしもなし

返し、例の男、女にかはりて、

浅みこそ袖はひつらめ涙川身さへ流ると聞かば頼まむ

といへりければ、男いといたうめでて、今まで、巻きて文箱に入れてありとなむ言ふなる。
男、文おこせたり。

得て後のことなりけり。

「雨の降りぬべきになむ見わづらひはべる。身幸ひあらば、この雨は降らじ」と言へりければ、例の男、女に代はりて詠みてやらす。

数々に思ひ思はず問ひがたみ身を知る雨は降りぞまされる

と詠みてやれりければ、蓑も笠も取りあへで、しとどに濡れて惑ひ来にけり。

現代語訳

昔、身分の高い男がいました。

その男に仕えていた女を、内記であった藤原敏行という人が求愛したのです。

しかし、女はまだ若かったので、手紙もしっかりとは書けず、言葉の使い方も知りません。

まして和歌など詠んだことがありませんでした。

そこで、主人であった男が下書きをし、女に清書をさせて送ってやったのです。

敏行はその文に、ひたすら心をとらわれました。

そこで敏行が詠み送った歌は、次の通りです。

つれづれのながめにまさる涙河袖のみひちてあふよしもなし

降り続ける長雨の中、あなたを思ってしみじみ物思いに沈んでいると、ますます溢れてくる涙がまるで河のように流れ、袖が濡れるばかりで、あなたに会う方法もないのがつらいのです。

返歌は、例によって主人である男が女に代わって詠みました。

浅みこそ袖はひつらめ涙河身さへ流ると聞かば頼まむ

思いが浅いからこそ袖しか濡れずにいるのでしょう。

その涙河とやらで身体まで流れると聞いたら、あなたの愛を信じることにいたしましょう。

そう言ったところ、男は大変に感激して、今現在までその文章を文箱にきちんとしまって保管しているそうです。

やがて、二人は恋仲になりました。

敏行がある時、手紙を寄こしました。

「伺いたいのですが、雨が降りそうなので空模様を見て困っています。我が身が幸運なら、雨は降らないでしょう」というものです。

そこで以前の通り、主の男が女に代わって返歌を詠みました。

数々に思ひ思はず問ひがたみ身を知る雨は降りぞまされる

私のことを本当に愛しているのかいないのかお尋ねするのははばかられるので、そんな私の身の上を知る涙雨がいっそう激しく降るのです。

この雨の中、来てくれたらあなたは本当に私を愛してくれているということですね。

そう詠んで送ったので、敏行は笠も蓑も手に取ることができず、びっしょり濡れながら大慌てでやって来たということです。

歌のレトリック

和歌の修辞法はさまざまです。

その中でもよく使われたのが、掛け言葉です。

これは日本語の特徴として、大切なものです。

音が同じで意味が違うのです。

「つれづれの」の歌では「ながめ」は「長雨」と「眺め」の2つの意味を持ちます。

他には枕詞がよく使われますね。

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この段には枕詞が出てきていまません。

枕詞は、歌のリズムを作り出すための必須アイテムです。

代表的な枕詞を覚えておくと、日本語の持つ音の響きが実践的に学べます。

「ひさかたの」などは代表的なものですね。

天・雨・月・空・光などとあわせて、使われます。

ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

百人一首の歌を覚えるのもいい方法です。

いろいろと工夫を凝らしてみてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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