隅田川
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は能の中でも狂女ものとして知られる『隅田川』を取り上げます。
能は不思議な芸能です。
初めて見たのは学生時代でした。
渋谷の松濤にあった観世能楽堂の第一印象は、静かなところだというものです。
都会の中にありながら、なんの雑音もありません。
能楽堂の佇まいが、周囲とは隔絶したものでした。
はじめて能を見るのですから、ストーリーを完全に追うことなどは考えてもみませんでした。
ただ能楽的な環境に触れたかったのです。
学生のため、料金も非常に安かった記憶があります。
その後も何度か出かけました。
「杜若」「鉄輪」「弱法師」の他ははっきりと覚えていません。
笛の甲高い響きと、鼓の音が心地よかったです。
それ以降、知人が謡曲を習っていたので、その発表会に2度ほど出かけたくらいでしょうか。
年齢を重ねるまで、全く縁がありませんでした。
歌舞伎には何度も通いましたが、能までは心が届かなかったのです。
それがいつの頃からか、見たいと思うようになりました。
世阿弥の生き方に関心があり、『花伝書』を何度も読んでいたからかもしれません。
授業で扱うことはありませんでした。
古典を教える機会はあっても、それがすぐに能と結びつく環境ではなかったのです。
たまたま、勤務した学校の授業に、謡曲を学ぶ講座があり、特別講師として、観世流のシテ方が講師に来てくれたことがありました。
ホールで実際に面をつけるところから、見せてくれたのです。
それを生徒と一緒に見る機会などがあり、再び興味を持ちました。
狂女もの
その後しばらくして、月に2度ほど、千駄ヶ谷の国立能楽堂を訪れるようになりました。
最初は目をならすというレベルでしたが、次第に楽しさがわかってきました。
水道橋の宝生能楽堂や、渋谷のセルリアンタワー能楽堂、目黒の喜多能楽堂なども訪れました。
「羽衣」「杜若」「道成寺」「葵上」などはさまざまな演者のものを見ています。
その中で今回紹介する「隅田川」は悲哀に満ちた話です。
この演目はかつて歌舞伎でも見たことがあります。
先代の中村勘三郎と中村歌右衛門の2人で演じた芝居です。
ストーリーがあまりにも悲惨なものなので、よほど演技力のある役者でないと、演じきれないと思われます。
リアリティを保つことができないのです。
長い劇ではありません。
2人の名優は、歌舞伎座の舞台を思う存分に使い切っていました。
さて能の話です。
女物狂いと呼ばれる演目も、いくつかあります。
子供や、愛する人と引き離され、やがて狂気に落ちていくという話です。
『隅田川』の悲しさはすでに子供が死んでしまっているところに由来します。
その事実を知らずに諸国を行脚しながら、探して回るという母親の姿に哀しみが宿っているのです。
それだけに事実を知った母親の感情が、ひときわ強く伝わってきます。
東下り
隅田川といえば、『伊勢物語』で有名な「東下り」の段を思い出しますね。
今までに何度、この段を扱ったことでしょう。
有名な歌があります。
名にし負はばいざ言問はむ都鳥我が思ふ人はありやなしやと
「都」という名を持っているのなら、さあ尋ねよう、都鳥よ。私が恋い慕う人は無事でいるのかいないのかと。
在原業平の作です。
主人公は、武蔵の国と下総の国の間にある隅田川まで、京都から足を運んできます。
都に残してきた人を思う気持ちが、どれほど強いのかを、この歌から感じ取ることができますね。
都鳥とはゆりかもめの別名です。
昔は、京の都から東国へ出てくるだけでも、長い苛酷な旅でした。
能『隅田川』はその感覚を実にうまく取り込んでいます。
あらすじは次のとおりです。
時は春の夕暮れ時です。
隅田川の渡し場で舟を出そうとしていると、女物狂がやってきます。
自分の子が人買いにさらわれ、それから神経を病んでしまったというのです。
息子を探すための旅を続けていることを知ります。
女はここで「都鳥」の歌を披露します。
観客は『伊勢物語』と登場人物を重ねることになるのです。
ここから一気にクライマックスを迎えます。
船頭はちょうど1年前、下総の川岸で亡くなった梅若丸の話を物語ります。
一周忌の供養をしてやろうと考えていたというのです。
ところが女は泣き続けています。
船頭がその理由を訊くと、まさにそれが探し求めていた子供だったのでした。
そこで梅若丸の塚に案内し、ともに念仏をあげます。
しばらくすると、塚の中から梅若丸の亡霊が現れたのでした。
しかし抱きしめることもできず、幻影は夜明けと共にその姿を消します。
母親の悲しみは絶頂に達し、涙だけがその悲しみを増幅させるだけです。
梅若伝説
「梅若伝説」をご存知ですか。
現在でも旧暦の3月15日には墨田区の木母寺(もくぼじ)という寺で、法要が行われています。
『梅若権現御縁起』には、次のような説話が載っています。
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梅若丸は、吉田少将惟房(これふさ)卿の子、5歳にして父を喪い、7歳のとき、比叡山に登り修学す。
たまたま山僧の争いに遭い、逃れて大津に至り、信夫藤太(しのぶとうた)という人買いに欺かれ、東路を行き、隅田川に至る。
旅の途中から病を発し、ついにこの地に身まかりぬ。
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能の『隅田川』は、この伝説をうまく取り入れて成功した作品なのです。
歌舞伎や文楽などにも、隅田川を舞台に幼い梅若殺しを取り入れた作品がみられます。
近松門左衛門作の浄瑠璃では、複雑なストーリーにしたため、登場人物も多くなっています。
歌舞伎では鶴屋南北が芝居を書きました。
いずれにしても『伊勢物語』に使われた歌からイメージが次々と広がっていった珍しいケースではないでしょうか。
能においても、非常に演出が細かいです。
半ば狂った女に、舟に乗りたければ狂ったような舞いを舞って見せろなどという船頭の無茶な要求まで登場します。
その日最後の舟だと知った女は、業平の歌を暗示させながら、巧みに人の心を引き付けるのです。
梅若の死は貴種流離譚の典型ともいわれています。
貴人たちが遠くへ流されていくことの悲しみと、母親が我が子を失う悲しさを二重写しにしているのです。
船頭がやがて、狂った女に同情し、態度が変化していく様子にもリアリティがあります。
この作品は幻影に出会う最後の場面が、もう一つのクライマックスです。
世阿弥は実際に子供を出さず、母の演技だけで表現しようとしました。
一方の作者、元雅は子供の役を舞台に登場させたのです。
当初から2通りの演出がありました。
どちらがより効果的なのかは、今でも意見が分かれています。
この作品は、悲しみの感情が強い作品だけに、多くの人々につよい感慨をもたらしました。
そのため、歌舞伎や、浄瑠璃にまで広がっていったのに違いありません。
機会があったら、ぜひご覧になってください。
人の世の悲しみがよくわかる作品です。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。